だいぢのEasyBassing

初めはバス釣行記のブログだったんですが…。
関東を中心に釣りや散策に出掛けていましたが…。
熊本県民になりました。

今泉製鉄跡 (熊本県八代市)

2022年12月16日 | 散策記
今回は、熊本県八代市にある、県指定史跡「今泉製鉄跡」に寄ってみた。
「今泉製鉄跡」は江戸時代末期から明治時代前期頃まで稼働した製鉄所の跡のようだ。
生産規模や運営形態など不明な部分は多いが、球磨川の水運と豊富な木材資源を利用した産業遺跡として
貴重なことから熊本県の史跡に指定されている。

 
国道219号沿いにあり、すぐ横を球磨川が流れている。この空き地が製鉄所の跡のようだ。

熊本県指定史跡 昭和57年8月28日指定
  今泉製鉄跡
 今泉製鉄跡は、江戸時代末期の嘉永2年(1849) に操業を始めた八代城の御用製鉄所の跡です。ここで生産された鉄は、
刀剣や鉄砲の製作に使用され、また、八代城下の商人を通じて長崎方面へ出荷されていました。
 この遺跡一帯は、古くから鉄山床地(かねやまとこち)と呼ばれ、昭和53年(1978)の発掘調査によって、
溶鉱炉の下部構造である床釣施設(本床・小舟 からなり、炉を防湿・保温する) が、良好な状態で残っていることが確認されました。
近世の鑪(たたら)製鉄は、溶鉱炉に砂鉄と木炭を交互に入れ、炉の両側に置いた天秤鞴(てんびんふいご)から
送風して鉄を精製するもので、本床の上に炉、小舟の上に天秤鞴がありました。
 ここで使用された砂鉄は、鹿児島県の長島から運んだものと伝えられ、木炭の原料となる木材は、
松求麻村の御立山(藩有林)から供給されました。
 製鉄に携わる職人は特殊技術の持ち主で、その長となる人を村下(むらげ)と、村下の見習を炭坂といいます。
今泉で働いた職人たちは、石見国(現在の島根県西部)から来た人が多かったことが分かっています。
 この製鉄所は、明治10年(1877)頃閉鎖され、その生産規模や運営形態など不明な部分は多いものの、
球磨川の水運と豊富な木材資源を利用した産業遺跡として貴重です。
                                               平成22年3月 八代市教育委員会

【文化財データ】
名称:熊本県指定史跡「今泉製鉄跡」
所在地:熊本県八代市坂本町西部ろ1123
時代区分:江戸時代末期
形態:製鉄所跡
見学可能時間:常時開放
駐車場:無(周辺に駐車スペースあり)
コメント    この記事についてブログを書く
« 宗覚寺 加藤忠正の墓 (熊本... | トップ | 2023年 八代神社 初詣 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。