だいぢのEasyBassing

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関東を中心に釣りや散策に出掛けていましたが…。
熊本県民になりました。

国指定史跡 平山瓦窯跡 (熊本県八代市)

2020年05月14日 | 散策記
今回は買物で付近を通ったので、熊本県八代市にある国指定史跡「平山瓦窯跡」に寄ってみた。地味な史跡である。

 
「平山瓦窯跡」は、国指定史跡「八代城跡群 古麓城跡 麦島城跡 八代城跡」を構成する遺跡の一つになっている。

平山瓦窯跡は、南九州西回り自動車道建設工事に伴う発掘調査によって発見された「だるま窯」と呼ばれる瓦を焼いた窯跡である。
加藤清正や加藤正方が使用した家紋がついた瓦などが出土していることから、麦島城を改修する際の瓦を焼いた窯と考えられている。

 
地中に保存された窯跡の上に「だるま窯」が復元され、瓦作りの様子が分かるようになっている。

【文化財データ】
名称:国指定史跡「平山瓦窯跡」
所在地:熊本県八代市平山新町5824
時代区分:江戸時代初頭(16世紀初頭)
形態:窯跡
見学可能時間:常時開放
駐車場:無 ※付近に駐車スペースあり


また、平山瓦窯跡の裏手の山には南北朝時代の「平山城」があったようだ。

 
八代市街を一望できる。

(現地解説板より)
   八代市指定史跡 平山城跡  昭和四十年四月十二日指定
南北朝のはじめ、八代荘の代官・内河義真が、八代城の支城としてはじめて築城した山城で、
正平13年(1358)ごろから松岡氏が代々在城しました。戦国直前の寛正6年(1465)、相良長続は名和顕忠から高田郷350町を分譲され、
平山城を家臣団村山某に守らせました。そして長続の子為続の代には修築を盛んに行ない、この城を八代進出の足場としました。
文明16年(1484)八代城を陥れ八代郡を領有してからも、相良氏は代々平山城を重視していました。
戦国末には、相良家家臣の東越後守右衛門佐が、天正のころは同じく桑原和泉守広政が城主として在城しました。
天正10年、島津勢の肥後侵入により、これと戦って没落し、その後は島津の武将が在城しました。

【文化財データ】
名称:熊本県八代市指定史跡「平山城跡」
所在地:熊本県八代市平山新町
時代区分:南北朝〜安土桃山時代(14世紀中頃~16世紀後半)
形態:城跡
見学可能時間:常時開放
駐車場:無 ※付近に駐車スペースあり

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