先日、八代市立博物館を見学した後は、八代市のシンボル的存在であろう八代城跡にも行ってみた。
立派な石垣である。正面が大天守台跡。
八代城(やつしろじょう)は加藤清正の三男で第2代熊本藩主加藤忠広が、熊本県八代市(旧 肥後国八代郡)松江村に、
家臣の加藤正方に命じて築かせた輪郭式の平城である。
周囲に4か所ある解説板の所にはくまモンがいる。
1622年(元和8年)に竣工した後、加藤氏の改易により熊本藩主となった細川氏が入城し、
その後、細川氏の家老であった松井氏が八代城守衛となり、以後は1870年(明治3年)の廃城まで松井氏が居城した。
規模はそれほど大きくないが立派な石垣を持つ城跡である。
廃城後は、本丸の石垣や堀を残してほぼ取り壊され、現在、本丸跡には明治時代に創建された八代宮、
北の丸跡には江戸時代に建てられた松井家の庭園である松浜軒、明治時代に創建された松井神社があるが、
その他は、ほとんどが市街地になっており城があった面影はない。
石垣の上からの眺め。 本丸内の様子。
現在の八代城、過去八代城とも呼ばれた南北朝時代の古麓城、安土桃山時代の麦島城の三つの城跡を合わせて
「八代城跡群(やつしろしろあとぐん)」として国の史跡に指定されている。また、2017年には続日本100名城に選定されている。
八代宮
八代宮は、八代城本丸跡の中央に1884年(明治17年)に創建された神社で、旧社格は官幣中社。現在は別表神社である。
主祭神は後醍醐天皇の皇子で征西将軍の懐良親王。
配祀神として懐良親王の後に征西将軍を継いだ後村上天皇の皇子の良成親王が祀られている。
建武中興に尽力した南朝側の皇族や武将などを主祭神とする15の神社である「建武中興十五社」の一つである。
松井神社
松井神社は、八代城北の丸跡に1881年(明治14年)に創建された神社で、旧社格は郷社。
主祭神は、歴代八代城主となる松井家の初代松井康之と2代興長。
境内にある臥龍梅は、熊本県の天然記念物に指定されている樹齢300年以上の梅。
臥龍梅は少し咲いていた。
【城郭データ】
名称:国指定史跡「八代城跡」
別名:松江城、白鷺城
所在地:熊本県八代市松江城町7−34
城郭構造:輪郭式平城
築造主:加藤正方
築造年:1622年(元和8年)
主要城主:加藤氏、細川氏、松井氏
廃城年:1870年(明治3年)
遺構:天守台、石垣、堀
観覧料:無料
公開時間:常時開放
駐車場:無料駐車場あり
立派な石垣である。正面が大天守台跡。
八代城(やつしろじょう)は加藤清正の三男で第2代熊本藩主加藤忠広が、熊本県八代市(旧 肥後国八代郡)松江村に、
家臣の加藤正方に命じて築かせた輪郭式の平城である。
周囲に4か所ある解説板の所にはくまモンがいる。
1622年(元和8年)に竣工した後、加藤氏の改易により熊本藩主となった細川氏が入城し、
その後、細川氏の家老であった松井氏が八代城守衛となり、以後は1870年(明治3年)の廃城まで松井氏が居城した。
規模はそれほど大きくないが立派な石垣を持つ城跡である。
廃城後は、本丸の石垣や堀を残してほぼ取り壊され、現在、本丸跡には明治時代に創建された八代宮、
北の丸跡には江戸時代に建てられた松井家の庭園である松浜軒、明治時代に創建された松井神社があるが、
その他は、ほとんどが市街地になっており城があった面影はない。
石垣の上からの眺め。 本丸内の様子。
現在の八代城、過去八代城とも呼ばれた南北朝時代の古麓城、安土桃山時代の麦島城の三つの城跡を合わせて
「八代城跡群(やつしろしろあとぐん)」として国の史跡に指定されている。また、2017年には続日本100名城に選定されている。
八代宮
八代宮は、八代城本丸跡の中央に1884年(明治17年)に創建された神社で、旧社格は官幣中社。現在は別表神社である。
主祭神は後醍醐天皇の皇子で征西将軍の懐良親王。
配祀神として懐良親王の後に征西将軍を継いだ後村上天皇の皇子の良成親王が祀られている。
建武中興に尽力した南朝側の皇族や武将などを主祭神とする15の神社である「建武中興十五社」の一つである。
松井神社
松井神社は、八代城北の丸跡に1881年(明治14年)に創建された神社で、旧社格は郷社。
主祭神は、歴代八代城主となる松井家の初代松井康之と2代興長。
境内にある臥龍梅は、熊本県の天然記念物に指定されている樹齢300年以上の梅。
臥龍梅は少し咲いていた。
【城郭データ】
名称:国指定史跡「八代城跡」
別名:松江城、白鷺城
所在地:熊本県八代市松江城町7−34
城郭構造:輪郭式平城
築造主:加藤正方
築造年:1622年(元和8年)
主要城主:加藤氏、細川氏、松井氏
廃城年:1870年(明治3年)
遺構:天守台、石垣、堀
観覧料:無料
公開時間:常時開放
駐車場:無料駐車場あり