今回は、熊本県玉名郡和水町(なごみまち)にある国指定史跡「江田船山古墳」に行ってみた。
江田船山古墳は、清原(せいばる)古墳群を構成する古墳の一つで、75文字の銘文が施された銀象嵌銘大刀が出土したことで知られている。
築造は5世紀後半と推測され、墳丘62m、後円部直径41m、後円部高さ10m、前方部幅40mの前方後円墳である。
被葬者は、古墳の周りに石人が配置されていたことなどから、筑紫君一族に関連する地域の首長の墓であったと考えられている。
また、出土品92点は国宝に指定されており、東京国立博物館で展示保管されている。
現在は江田船山古墳を中心に「くまもと肥後古代の森 菊水エリア」として整備されており、古墳見学者の他、
散歩や花見などに多くの者が訪れる公園となっている。
石室内部を自由に見学する事ができる。
後円部頂から前方部に向けての景色。
江田船山古墳の南側には、国指定史跡「塚坊主古墳」がある。
「江田船山古墳 附 塚坊主古墳・虚空像塚古墳」として国の史跡に指定されている。
塚坊主古墳は、6世紀初頭に築造された墳長43.4m、後円部直径29.6m、前方部先端幅20mの前方後円墳で、
石棺の内側3面に赤と白で、丸、三角、ひし形の文様が描かれている装飾古墳である。
石室内部は、毎年3月と10月頃一般公開が行われるようだ。
江田船山古墳の南東側には国指定史跡「虚空蔵塚古墳」がある。
(現地解説板)
国指定史跡 虚空蔵塚古墳 (昭和26年6月9日指定)
清原古墳群の一つで、昭和50年度の調査で前方後円墳であることがわかりました。
墳長44m、後円部の直径38m、高さ5.8mで、前方部の高さは不明のため、平面形をもとに一部復原しております。
内部は未調査のため不明ですが、墳丘に円筒埴輪・人物埴輪が立てられていたことが確認されています。
6世紀初頭に築造された墳長52mの前方後円墳のようである。虚空蔵塚古墳も国の史跡に指定されている。
江田船山古墳の北側には「京塚古墳」がある。
(現地解説板)
京塚古墳
昭和59年に、古墳跡と伝えられる現在地から発見された古墳である。
5世紀後半の円墳で、直径約22メートル、周囲に幅約2.5メートルの溝がめぐり、外径は約27~28メートルである。
内部主体は、舟形石棺と推定される。墳丘には円筒埴輪が立てられたものと思われ、周溝内から多数の円筒埴輪が出土した。
京塚古墳。他の3つの古墳と比べるとかなり小さな円墳である。
また、江田船山古墳公園の前を通る県道に面して、大きな石人が立っている。
石人は、主に九州北部や山陰地方の古墳に並べられた石造りの人物像であり、
筑紫君一族と関連があるともいわれている。
江田船山古墳公園のシンボル的存在である。
新型コロナの影響で、江田船山古墳から出土した国宝のレプリカなどを展示している和水町歴史民俗資料館は休館であった。
【文化財データ】
名称:国指定史跡「江田船山古墳」
所在地:熊本県玉名郡和水町江田302 肥後民家村内
時代区分:古墳時代中期(5世紀後)
形態:古墳群(くまもと肥後古代の森 菊水エリアとして整備済)
見学可能時間:常時開放
駐車場:有(無料)
江田船山古墳は、清原(せいばる)古墳群を構成する古墳の一つで、75文字の銘文が施された銀象嵌銘大刀が出土したことで知られている。
築造は5世紀後半と推測され、墳丘62m、後円部直径41m、後円部高さ10m、前方部幅40mの前方後円墳である。
被葬者は、古墳の周りに石人が配置されていたことなどから、筑紫君一族に関連する地域の首長の墓であったと考えられている。
また、出土品92点は国宝に指定されており、東京国立博物館で展示保管されている。
現在は江田船山古墳を中心に「くまもと肥後古代の森 菊水エリア」として整備されており、古墳見学者の他、
散歩や花見などに多くの者が訪れる公園となっている。
石室内部を自由に見学する事ができる。
後円部頂から前方部に向けての景色。
江田船山古墳の南側には、国指定史跡「塚坊主古墳」がある。
「江田船山古墳 附 塚坊主古墳・虚空像塚古墳」として国の史跡に指定されている。
塚坊主古墳は、6世紀初頭に築造された墳長43.4m、後円部直径29.6m、前方部先端幅20mの前方後円墳で、
石棺の内側3面に赤と白で、丸、三角、ひし形の文様が描かれている装飾古墳である。
石室内部は、毎年3月と10月頃一般公開が行われるようだ。
江田船山古墳の南東側には国指定史跡「虚空蔵塚古墳」がある。
(現地解説板)
国指定史跡 虚空蔵塚古墳 (昭和26年6月9日指定)
清原古墳群の一つで、昭和50年度の調査で前方後円墳であることがわかりました。
墳長44m、後円部の直径38m、高さ5.8mで、前方部の高さは不明のため、平面形をもとに一部復原しております。
内部は未調査のため不明ですが、墳丘に円筒埴輪・人物埴輪が立てられていたことが確認されています。
6世紀初頭に築造された墳長52mの前方後円墳のようである。虚空蔵塚古墳も国の史跡に指定されている。
江田船山古墳の北側には「京塚古墳」がある。
(現地解説板)
京塚古墳
昭和59年に、古墳跡と伝えられる現在地から発見された古墳である。
5世紀後半の円墳で、直径約22メートル、周囲に幅約2.5メートルの溝がめぐり、外径は約27~28メートルである。
内部主体は、舟形石棺と推定される。墳丘には円筒埴輪が立てられたものと思われ、周溝内から多数の円筒埴輪が出土した。
京塚古墳。他の3つの古墳と比べるとかなり小さな円墳である。
また、江田船山古墳公園の前を通る県道に面して、大きな石人が立っている。
石人は、主に九州北部や山陰地方の古墳に並べられた石造りの人物像であり、
筑紫君一族と関連があるともいわれている。
江田船山古墳公園のシンボル的存在である。
新型コロナの影響で、江田船山古墳から出土した国宝のレプリカなどを展示している和水町歴史民俗資料館は休館であった。
【文化財データ】
名称:国指定史跡「江田船山古墳」
所在地:熊本県玉名郡和水町江田302 肥後民家村内
時代区分:古墳時代中期(5世紀後)
形態:古墳群(くまもと肥後古代の森 菊水エリアとして整備済)
見学可能時間:常時開放
駐車場:有(無料)