CareTaker 's Log

主にスタートレックのことについて書くつもりが、
いつの間にやら日々思ったことについて徒然と。

自省できるものとできないもの

2006-01-31 23:01:43 | 
毎日
発信箱:どのツラ下げて… 山田孝男(編集局)


毎日新聞西部本社(北九州市)が発行した1945年8月16日付朝刊は1面の一部と2面が真っ白だった。当時の新聞は表裏2ページしかない。前日まで焦土決戦をあおった揚げ句、「国民も今日から転換するのだなどと、どのツラ下げて言えた義理か」という高杉孝二郎編集局長の判断で終戦勅語と行政告示しか載せなかった。彼はまもなく社を去った(毎日新聞130年史)。

 検察の尻馬に乗った鈴木宗男バッシングを競いながら、今や彼を評論家としてもてはやすメディア。前日までホリエモンをもてはやしながら、検察次第で怒とうの堀江たたきに走るメディア。むかし軍部追従、いま検察追従で、変わらぬものといえば俗論迎合の卑しさしかないおまえが、どのツラ下げて明日を語り、針路を説くのか。そう感じている読者が少なくないと思う。

 小泉純一郎首相はホリエモン選挙に肩入れした責任を問われて「批判は甘んじて受けるが、メディアはどうなのか」と切り返した。「新聞批判は甘んじて受けるが、テレビ、週刊誌こそ」と言ってしまいがちな私どもと似ている。

 いまや政治に対する観察者、批判者であるという以上に、政治権力を生み出す装置となった感のあるメディア。その無節操な暴走癖、過剰な存在感・圧迫感と加害性を省みず、「悪いのはオレではない」と逃げ腰の醜さが読者の失望を誘っているようだ。どうにも旗色が悪いが、毎日新聞は署名記事を原則にしている。だから許せとは言わない。白紙の新聞を出す予定はないが、それを出した先達の存在を肝に銘じて進みたい。

毎日新聞 2006年1月30日 0時13分


朝日

1月31日の朝刊の「政態拝見」より抜粋。星浩。
()は私の追加。

「宇沢氏は(英国ポンドの切り下げが近いので売買で儲けようとしてシカゴの銀行に行って銀行員に「我々は紳士だからそういうことはできない」と断られて怒っていた)フリードマン氏について「人間の尊厳を否定して自分たちだけの自由を主張する」と批判。一方で大学教授の申し出をきっぱり拒んだ銀行員のモラルを高く評価している。」

そりゃ「通貨の売買したい」って言って「だめです」って言われりゃ怒るわな。しかも通貨を売買するのがだめなら為替がなりたたないのですが・・・
続いて


「武部氏は選挙当時の岡田民主党代表も堀江前社長に接触したではないかと「反撃」した。しかし、岡田氏は堀江前社長と会って支援できないと即断したのだ。「選球眼」は岡田氏が上だったことを露呈してしまった。」

単にホリエモンに岡田が振られただけの話では・・・
彼は郵政民営化賛成で根本的に政策が違ってたし。ホリエモンが岡田では絶対勝てんと「選球眼」を持っていたのでは。
最後に


「堀江前社長を持ち上げたメディアが自主的に検証するのは、首相に言われるまでもなく必要なことである。」

その割には検証している箇所が見当たりませんが・・・
もしかして「うちは持ち上げてないので検証がいらないのだー」とか思ってませんか?おもっきり持ち上げといて・・・

検証が必要だと言いつつなにもしていないのと、過去のことまで出してきて自省している人達。

私も自省するところがあればきちんと自省できる人間でありたい。

体重は変わらないのに胴回りが増えている・・・食べすぎを自制せねば・・・


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