CareTaker 's Log

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いつの間にやら日々思ったことについて徒然と。

バターン

2006-01-14 22:20:06 | 
<バターン死の行進>文春記事に元捕虜の米国人が抗議

【ツーソン(米アリゾナ州)國枝すみれ】第二次世界大戦中にフィリピンを占領した旧日本軍が捕虜を長距離歩かせ、多数が死亡したとされる「バターン死の行進」を生き延びた元捕虜の米国人が13日、米ロサンゼルスで記者会見し、同行進を扱った昨年12月号の月刊誌「文芸春秋」の記事について「史実をわい曲しようとする記事だ」と批判、同誌発行元の文芸春秋社に謝罪を要求した。

 記事は捕虜が行進させられた約100キロの行程を日本人女性ジャーナリストが4日間で歩いたルポルタージュで、「『バターン死の行進』女1人で踏破」という題名。「この距離を歩いただけでは人は死なない」と結論づけ、旧日本軍の組織的な残虐行為だったとする欧米の定説に疑問を投げかけている。

 記者会見で記事に抗議したのは「死の行進」を体験したレスター・テニーさん(85)ら2人の元捕虜。テニーさんらは「現実は(記事内容からは)かけ離れていた。記事は無神経で、侮辱的だ」などと批判した。

 文芸春秋社長室は今回の抗議について「まだ書面が届いていないので、コメントはできません」としている。

次の日になるまで呑んだ後では10数キロ歩いて家に帰るのも大変である。健康できちんと食事を取れて十分に休息の取れる状態で歩いて検証してもまったく無意味だ。実際に捕虜の食事状態や休憩なども再現しなくては意味がない。





このバターンでの「死の行進」がなぜ起きたかも考えなくてはいけないだろう。当時、フィリピンを植民地にしていたアメリカ軍が日本軍が来ると物資が十分にあったマニラからさっさと撤退して逃げ場のない半島に食料も持たずに退避し、それを追いかける日本軍もそんなに大量の捕虜をまかなうだけの食糧を十分にもって追っかけているはずもない。

しかも日本軍が少ない食糧からわけて与えたゴボウを木の根っこだと勘違いして(無理も無いが)食べ物と思わず捨てたとも聞く。

そして彼らの総司令官は多くの部下を見捨ててさっさと逃げたのだ。(その後、偉そうな顔してパイプを吹かせながら厚木にきたのだが)

この「死の行進」が日本軍の組織的な残虐行為かと言われれば私はそうとは言い切れないと思う。そのとき行進に加わった下っ端の人にはそう見えたかもしれないが、彼らがマニラ周辺で戦って捕虜になっていたり、十分な物資を持って篭城していればそもそもこういったことを日本軍がする必要もなくなるわけで、単純に日本軍だけが悪かったとすることには疑問を感じる。

何事も一つの方向から見ていても何の意味もないと思う。


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