2006年6月30日朝日新聞夕刊
バターン死の行進
日本開戦から4ヵ月後、日本軍はフィリピン・バターン半島の米比軍基地を占領した。米兵ら8万人の捕虜は80キロの道を歩かされ数千の死者が出た。「バターン死の行進」と呼ばれる。
捕虜たちは日本や旧満州に送られ、炭鉱などの強制労働でも大勢が死んだ。
生き延びて帰国した兵士たちは全米組織をつくり、集会を重ねてきたが、5月に行われた今年の集会に初めて日米の2人の若者が参加した。支援団体による論文コンテストの入賞者である。
日本から参加した大学4年生の吉田麻子さんは、元兵士たちから「日本語を知っているよ」と声をかけられた。
「ハヤク、ハヤク」「アリガトウゴザイマス」「タンコウブシ」「ハイッ」
強制労働の日々は、今も生々しい記憶なのだと知った。
日本はまだ謝罪していないと、スピーチで指摘されたことにも胸を突かれた。
米国政府は、戦時中に日系人を強制収容したことに対して謝罪している。「加害国として当然のことなのに、日本がなぜ謝罪しないのか、理解できません」
支援活動を続けてきた在米ジャーナリストの徳留絹枝さんは「元兵士の高齢化が進み、和解の機会は残りわずかです。小泉首相が誠意ある謝罪をすれば、日米関係に大きな貢献となるでしょう」という。
だが、小泉首相の訪米日程に、プレスリーの旧宅訪問はあっても、元兵士と会う予定は組まれていない。 <清水建宇>
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まあ今の日米関係はすでに戦後最高に強固な関係となっているので謝罪の有無がそれほど大きく影響するとは考えられませんが、まず最初に、普通の民間人を多数拘束して強制収用したのと、戦争で捕まえた捕虜を収容所まで連行し収容するのは意味がまったくことなります。誤認逮捕で捕まえた人に警察が謝罪するのと現行犯逮捕で刑務所に送るくらいの違いです。捕虜にして連行したことに対して謝罪するのはおかしいでしょ。
しかも、米国は一般市民を虐殺した日本各地における大空襲や広島、長崎の原爆については一切謝罪していません。日本はバターンの捕虜にそんなことしましたか。
それに考えて欲しいのは捕虜を80キロも歩かせるならば、その捕虜を監視する日本軍兵士も同じく80キロを歩いているということです。しかも武装解除された米国兵士に対して、完全武装で数十キロの荷物を背負いながらです。普通にもっと手軽に送る方法があればやっていますよ。何故、より日本軍にとっても負担のすくないトラックや鉄道による輸送をしなかったのか。それはできなかったからです。当時の日本軍は機械化が非常に遅れていて、将兵も徒歩による移動が当たり前の時代なわけでトラックなんてほとんどなかったのです。
1942年1月2日に日本軍は米軍が無防備宣言していたマニラを占領、アメリカ軍はろくに戦闘しないままバターン半島及びコレヒドール島に退却します。これはバターン半島が天然の要害であることからここに立て篭もることによって時間をかせぎ、援軍を待つという戦略であり、当然の選択と言えます。
3月12日司令官のマッカーサーは部下を残してすたこら逃げます。
4月9日にコレヒドール島を日本軍が占領。食糧が尽き、マラリアやデング熱などでフラフラの8万人が捕虜となります。これは日本軍の輸送能力をはるかに超えた数であり、自分たちの分の食糧しかない日本軍にとってそんなにも大勢の分の食糧を用意できるはずがありません。
もし、立て篭もっていた米兵がある程度の食糧が残っている状況で降伏していればこの問題はおきなかったわけです。司令官が逃げ、周りを日本軍に取り囲まれ、援軍も望めないのに、食糧が尽きるまで立て篭もっていたわけで、その勇気は褒め称えられますが、その結果として餓死しても日本軍の責任は問えないでしょう。監視の日本軍兵士にも餓死者が出ているなかでは。
連行したことが悪いのであれば、そのまま捕虜を連行せずに放置していれば、8万人の餓死者が出るという最悪な事態になっていたわけですが。日本軍が残酷で冷徹であればそうしたでしょう。自らの食糧の確保に必死な状況ではそういう選択もありえたわけです。米兵に温情をかけた結果で批判されるのはあんまりではないでしょうか。
日本軍が食糧として数少ないなかからも自分たちの食べ物を分け与えたところ
「木の根っこを食わす気か!捕虜虐待だ」と
捕虜がゴボウを投げ捨てたこともあるそうです。まあ初めて見た人にはそう見えるかもしれませんが、それで餓死しても自業自得としか言えません。
日本に対する敵対心を高めるためのプロパガンダで今の人たちが騒ぐのはあほらしい。そのことがなぜおきたのか、裏を見ないと。
なぜ日本ははるかに巨大なアメリカに対してハル・ノートを蹴って開戦したのか。なぜ真珠湾攻撃は宣戦布告が遅れて騙まし討ちになってしまったのか。
なぜ瀕死の状態の日本に2発もの原爆を落とさなければならなかったのか。
そしてそれはなぜ広島、長崎だったのか。
単に人がたくさん死んだからダメってのではちょっとね・・・
バターン死の行進
日本開戦から4ヵ月後、日本軍はフィリピン・バターン半島の米比軍基地を占領した。米兵ら8万人の捕虜は80キロの道を歩かされ数千の死者が出た。「バターン死の行進」と呼ばれる。
捕虜たちは日本や旧満州に送られ、炭鉱などの強制労働でも大勢が死んだ。
生き延びて帰国した兵士たちは全米組織をつくり、集会を重ねてきたが、5月に行われた今年の集会に初めて日米の2人の若者が参加した。支援団体による論文コンテストの入賞者である。
日本から参加した大学4年生の吉田麻子さんは、元兵士たちから「日本語を知っているよ」と声をかけられた。
「ハヤク、ハヤク」「アリガトウゴザイマス」「タンコウブシ」「ハイッ」
強制労働の日々は、今も生々しい記憶なのだと知った。
日本はまだ謝罪していないと、スピーチで指摘されたことにも胸を突かれた。
米国政府は、戦時中に日系人を強制収容したことに対して謝罪している。「加害国として当然のことなのに、日本がなぜ謝罪しないのか、理解できません」
支援活動を続けてきた在米ジャーナリストの徳留絹枝さんは「元兵士の高齢化が進み、和解の機会は残りわずかです。小泉首相が誠意ある謝罪をすれば、日米関係に大きな貢献となるでしょう」という。
だが、小泉首相の訪米日程に、プレスリーの旧宅訪問はあっても、元兵士と会う予定は組まれていない。 <清水建宇>
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まあ今の日米関係はすでに戦後最高に強固な関係となっているので謝罪の有無がそれほど大きく影響するとは考えられませんが、まず最初に、普通の民間人を多数拘束して強制収用したのと、戦争で捕まえた捕虜を収容所まで連行し収容するのは意味がまったくことなります。誤認逮捕で捕まえた人に警察が謝罪するのと現行犯逮捕で刑務所に送るくらいの違いです。捕虜にして連行したことに対して謝罪するのはおかしいでしょ。
しかも、米国は一般市民を虐殺した日本各地における大空襲や広島、長崎の原爆については一切謝罪していません。日本はバターンの捕虜にそんなことしましたか。
それに考えて欲しいのは捕虜を80キロも歩かせるならば、その捕虜を監視する日本軍兵士も同じく80キロを歩いているということです。しかも武装解除された米国兵士に対して、完全武装で数十キロの荷物を背負いながらです。普通にもっと手軽に送る方法があればやっていますよ。何故、より日本軍にとっても負担のすくないトラックや鉄道による輸送をしなかったのか。それはできなかったからです。当時の日本軍は機械化が非常に遅れていて、将兵も徒歩による移動が当たり前の時代なわけでトラックなんてほとんどなかったのです。
1942年1月2日に日本軍は米軍が無防備宣言していたマニラを占領、アメリカ軍はろくに戦闘しないままバターン半島及びコレヒドール島に退却します。これはバターン半島が天然の要害であることからここに立て篭もることによって時間をかせぎ、援軍を待つという戦略であり、当然の選択と言えます。
3月12日司令官のマッカーサーは部下を残してすたこら逃げます。
4月9日にコレヒドール島を日本軍が占領。食糧が尽き、マラリアやデング熱などでフラフラの8万人が捕虜となります。これは日本軍の輸送能力をはるかに超えた数であり、自分たちの分の食糧しかない日本軍にとってそんなにも大勢の分の食糧を用意できるはずがありません。
もし、立て篭もっていた米兵がある程度の食糧が残っている状況で降伏していればこの問題はおきなかったわけです。司令官が逃げ、周りを日本軍に取り囲まれ、援軍も望めないのに、食糧が尽きるまで立て篭もっていたわけで、その勇気は褒め称えられますが、その結果として餓死しても日本軍の責任は問えないでしょう。監視の日本軍兵士にも餓死者が出ているなかでは。
連行したことが悪いのであれば、そのまま捕虜を連行せずに放置していれば、8万人の餓死者が出るという最悪な事態になっていたわけですが。日本軍が残酷で冷徹であればそうしたでしょう。自らの食糧の確保に必死な状況ではそういう選択もありえたわけです。米兵に温情をかけた結果で批判されるのはあんまりではないでしょうか。
日本軍が食糧として数少ないなかからも自分たちの食べ物を分け与えたところ
「木の根っこを食わす気か!捕虜虐待だ」と
捕虜がゴボウを投げ捨てたこともあるそうです。まあ初めて見た人にはそう見えるかもしれませんが、それで餓死しても自業自得としか言えません。
日本に対する敵対心を高めるためのプロパガンダで今の人たちが騒ぐのはあほらしい。そのことがなぜおきたのか、裏を見ないと。
なぜ日本ははるかに巨大なアメリカに対してハル・ノートを蹴って開戦したのか。なぜ真珠湾攻撃は宣戦布告が遅れて騙まし討ちになってしまったのか。
なぜ瀕死の状態の日本に2発もの原爆を落とさなければならなかったのか。
そしてそれはなぜ広島、長崎だったのか。
単に人がたくさん死んだからダメってのではちょっとね・・・