朝日新聞土曜版
be mo@china
懐の深い日本はどこに 莫 邦富
~略~
(中国にODAで作られた研修センターでの研修のお別れパーティーにて)
1ヶ月の研修が終わり、お別れパーティーでは故・金田一春彦先生が日本側を代表してあいさつした。「日本をよく知るためには日本のお尻、つまり人様に見せたくないところもきちんと見て、初めて本当の知日派となります」
私は感動した。「社会主義は素晴らしい」という決まり文句しか許さなかった当時の中国で、果たして何人にこうした話ができただろうかと考えさせられ、日本の懐の深さを実感した。
(イタリアの監督が中国のドキュメンタリーを撮って批判されたことに触れ)
あの頃の中国は他人の批判にまったく耳を貸さぬひどい国だった。しかし今の中国で「反華」という言葉に出会う機会は少なくなった。逆に最近の日本で「反日」という言葉がはやり出した。
(Google中国における「反華」「反中」はGoogle日本での「反日」の検索結果の10分の1であったことから)
今の日本人は、かつての懐の深さを捨て、他人の批判を安易に「反日」という言葉で決め付けてはいないか。
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Google日本と、中国政府による検閲を受けているGoogle中国を比較すること自体、意味があるのかはわからないが、Google日本で両者を比較しても圧倒的に「反日」のほうが多いことは確かだ。
が、
その両者を単純に比較することはできない。少なくとも、中国において日本の大使館に対して攻撃を仕掛けたような大規模な暴動は日本では起きてはいない。反日暴動はあっても反中暴動は起きていない。もちろん一部の馬鹿が日本国内の中国の施設にペンキをかけたりなどはあったものの、ごくまれな事例でしかない。数千人規模のデモ行為や、暴力行為に対して止めもしない警察組織など反中に関しては存在しなかった。
それだけでも、反日と反中のどちらが検索にヒットするかは明らかだ。それを無視して「反日」という言葉が多いからと、「日本人の懐が・・・・」というのはお門違いである。
また、日本で反日行為をしても、批判は受けても、それだけではどうと言うことはない。だが、中国において反中行為をすれば、どうなるか。チベットやトルキスタンで行われている行為は何なのか。
どちらの懐が大きいといえるだろうか。
もちろん、自己に対する批判をまったく許さないのは狭量であり、よくないことだと思う。批判に対してより自分を研鑽させていくことが大事だと思う。だが、的外れな批判や悪意ある行為に対してまで懐を大きくする必要があるとも思えない。
be mo@china
懐の深い日本はどこに 莫 邦富
~略~
(中国にODAで作られた研修センターでの研修のお別れパーティーにて)
1ヶ月の研修が終わり、お別れパーティーでは故・金田一春彦先生が日本側を代表してあいさつした。「日本をよく知るためには日本のお尻、つまり人様に見せたくないところもきちんと見て、初めて本当の知日派となります」
私は感動した。「社会主義は素晴らしい」という決まり文句しか許さなかった当時の中国で、果たして何人にこうした話ができただろうかと考えさせられ、日本の懐の深さを実感した。
(イタリアの監督が中国のドキュメンタリーを撮って批判されたことに触れ)
あの頃の中国は他人の批判にまったく耳を貸さぬひどい国だった。しかし今の中国で「反華」という言葉に出会う機会は少なくなった。逆に最近の日本で「反日」という言葉がはやり出した。
(Google中国における「反華」「反中」はGoogle日本での「反日」の検索結果の10分の1であったことから)
今の日本人は、かつての懐の深さを捨て、他人の批判を安易に「反日」という言葉で決め付けてはいないか。
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Google日本と、中国政府による検閲を受けているGoogle中国を比較すること自体、意味があるのかはわからないが、Google日本で両者を比較しても圧倒的に「反日」のほうが多いことは確かだ。
が、
その両者を単純に比較することはできない。少なくとも、中国において日本の大使館に対して攻撃を仕掛けたような大規模な暴動は日本では起きてはいない。反日暴動はあっても反中暴動は起きていない。もちろん一部の馬鹿が日本国内の中国の施設にペンキをかけたりなどはあったものの、ごくまれな事例でしかない。数千人規模のデモ行為や、暴力行為に対して止めもしない警察組織など反中に関しては存在しなかった。
それだけでも、反日と反中のどちらが検索にヒットするかは明らかだ。それを無視して「反日」という言葉が多いからと、「日本人の懐が・・・・」というのはお門違いである。
また、日本で反日行為をしても、批判は受けても、それだけではどうと言うことはない。だが、中国において反中行為をすれば、どうなるか。チベットやトルキスタンで行われている行為は何なのか。
どちらの懐が大きいといえるだろうか。
もちろん、自己に対する批判をまったく許さないのは狭量であり、よくないことだと思う。批判に対してより自分を研鑽させていくことが大事だと思う。だが、的外れな批判や悪意ある行為に対してまで懐を大きくする必要があるとも思えない。