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埼玉草加の松並木と太鼓橋を走る(草加松原太鼓橋ロードレース大会)

2014年03月17日 | マラソン大会

【草加今昔物語】

7年前に走り始めて深谷シティマラソン5キロの部に初挑戦、細やかな自信と走る喜びを味わって、埼玉県下の春日部大凧・上尾シティ・行田鉄剣・幸手さくら・さいたまシティ・鴻巣パンジーに参加、やがて開催地の自然や歴史を探訪する楽しみも重なって、大会エリアを関東から東北さらに中部そして近畿へと拡げ、残るは中国・四国・九州そして北海道だが、体力と金力と相談しながら、たまには地元埼玉を走ってみようと草加マラソンにエントリーした。
草加市は埼玉県南東部に位置し、東京都足立区に隣接する埼玉都民のベットタウンである。江戸時代に日光街道2番目の宿場町草加宿として栄え、本陣1・脇本陣1そして旅籠が67軒もあり、あの松尾芭蕉が奥の細道の旅で最初に投宿したといわれている。周辺は水田地帯で稲作が盛んで、綾瀬川を利用し江戸に米を運ぶ舟運も隆盛を極めたという。日光街道沿いの松並木「草加松原」は日本の道百選に選ばれ、綾瀬川沿いの遊歩道に架かる太鼓橋「百代橋」「矢立橋」は草加市のシンボル、船着き場の石段を復元した「札場河岸公園」など、草加の観光名所の悉くが今回のマラソンコースに組み込まれている。
草加というとやはり「草加せんべい」である。独身時代の帰省土産は、父のご指名でいつも「雷おこし」か「草加せんべい」だった。愛知県生まれで上野松坂屋に勤務して結婚、戦後復員して疎開先の母の実家の東北宮城に住み着いた亡父には、東京下町の香りが恋しかったのだろう。草加せんべいの由来は、米どころの草加の農家が余った米を団子状に乾かして保存食にしていたものが、江戸時代に草加宿ができると煎餅として軒に並べて売られるようになったものらしい。大正時代に川越の特別大演習の際に天皇に献上されたことから「天皇が召し上がった草加煎餅」の名が全国に広まって地場産業に発達したという。
草加の産業は煎餅だけではないらしい。東京という一大消費地に近く良質な水が豊富に得られることから、製造に水を多く使う皮革産業や染色業が発展したという。皮革産業は昭和10年以降、三河島周辺の皮革業者が続々と草加に移転進出して地元ブランド「ASOKA」を生み出し、染色産業も江戸中期の大火で焼け出された染め物屋が日光街道宿場町の草加に住み着いたのが始まりで、伝統手工芸の「東京染ゆかた」と呼ばれ親しまれているそうだ。
今回の草加マラソンは、当日の選手受付の混乱を避けるため、ナンバーカードと記録計測タグが事前に参加者自宅あて送付され、会場に着いたらすぐスタートできるようになっている。しかも送られてきたナンバーカードの余白に参加者がそれぞれの想いを書き込めるようになっており、なかなか粋な計らいである。そこでブログ友の釉さんのお母様がアメリカ旅行でシャツに手書きして街中を歩かれたという「We Never Give Up」をマジックで手書きし、濃緑のTシャツに白字でプリントされた「がんばろう日本!」と併せて、5日前に3・11東日本大震災3周年を迎えた郷里宮城の復興への願いを込めて存分に走ろうと思っている。
そしてもう一つ、恥ずかしながら帽子に宮城県共同募金会の「むすび丸バッチ」を付けることにした。宮城県PRゆるキャラ「むすび丸」と「赤い羽根共同募金」がコラボしたピンバッチで、宮城の食と文化を象徴する「おにぎり」に伊達政宗の三日月形の兜飾りを付けて擬人化した「むすび丸」君が、両手を広げて「赤い羽根」のボードに乗ってバランスをとっている姿は、元気に遊ぶ子どもをイメージしているという。このバッチの募金収入で被災地沿岸部の子供たちに津波で失われた遊具を贈ろうという復興支援運動がぜひ全国に広がって欲しいものである。

【草加松原太鼓橋ロードレース(3月16日)】

朝6時半に自宅を出立、太陽は既に春霞の中に輝いて、日中は18度になるというが、まだまだ肌寒く、指先がかじかむほど、リュックから手袋を取り出した。マラソン会場の草加には大宮から4駅も乗り換えるので、いったん上野に出て日比谷線東武線で北上するルートにした。草加は同じ県内なのに東京都心経由になるとは、やはり埼玉都民の町である。
さいたま新都心駅でマラソン姿を多く見かけたが、さいたまスーパーアリーナをスタートする県内最大の「2014さいたまシティマラソン」が開催され、埼玉県庁の川内選手も走るらしい。今月だけで琵琶湖のフルに名古屋そして埼玉のハーフと3週連続の出走とは驚異的である。びわ湖毎日の20キロでトップにいながら25キロで15位に落ちるも盛り返して4位に入賞した頑張りにテレビの前で思わず涙してしまった。ぜひ今日こそ思い通りのレース展開と結果を期待したいものである。
上野駅で地下鉄日比谷線に乗り換え北千住から東武線直通に、日光街道最初の千住宿から次の草加宿までが僅か16分、これでは旅情も何もあったものではない。江戸時代の時の流れのいかに悠長だったことか。
草加駅に8時に下車、駅前広場に古墳状に石材を積み上げた造形物が目についた。草加の源流をテーマにしたモニュメント「草加石清水」である。山のない水源の町草加をイメージして、安らぎの都市空間創出を狙っているという。石清水(いわしみず)といえば今年度の尺八コンクール本選の課題曲が中尾都山作曲「岩清水(いわしみず)」である。三段構成の曲で、一段が幽玄な神苑の秋を、二段が石清水八幡宮の荘厳で神を敬う心の表現を、そして三段で岩清水の力強く湧き出るさまを、様々な技法を駆使して吹奏する尺八本曲中の名曲である。このモダンなモニュメントがライトアップされて深遠な尺八の調べをBGMにコラボさせたら面白いかもしれないなと一人瞑想に耽った。
草加駅からマラソン会場までランナーの流れに従って商店街を抜けると、会場の草加小学校のさほど広くない校庭にはイベントのテントと参加者や家族で溢れていた。校舎裏の庭園に「二宮金次郎像」が建っていた。薪を背に読書するブロンズ像の台座に「私たちは二宮さんのような、親孝行な人、勉強のすきな人、よく働く人になります」とあり、二宮金次郎の報徳精神を普及させる大日本報徳会の会員として嬉しい。この学校の子供たちの将来が大いに楽しみである。
更衣室の体育館で着替えて町中を軽く走ってみた。古い店構えの草加せんべい屋を建ち並び、なかなか落ち着いた街並みである。今日の「草加松原太鼓橋ロードレース大会」は、国の名勝指定を受けることになった「草加松原」の松原遊歩道と巨大な「太鼓橋」二つを走り、綾瀬川の対岸と左岸広場を駆け巡り市街地に戻ってくる10キロレースで、沿道で応援するパフォーマー6グループをランナーが人気投票する嗜好も凝らされている。松原遊歩道沿いを走っていると、「松尾芭蕉像」が江戸の方を向いて立っていた。奥の細道に旅立つ芭蕉が、友人や門人との別れを惜しんでいるようである。近くに建つ5角形の「望楼」は、但馬出石市の辰鼓楼のようで、古い町並みの草加に相応しいシンボルでもある。松並木の対岸に出て最初に渡ることになる太鼓橋(矢立橋)をカメラに収めた。青空に緑の松並木と高層マンションを背景に、綾瀬川の川面に巨大な橋脚を映す「矢立橋」の雄姿が素晴らしい(掲示の写真)。
スタートの9時が迫り、10キロ組2000人のランナーがスタート地点の商店街通りを埋め尽くしていた。草加に住む長女から矢立橋を下りたところで応援するとメールが入った。初めて親父の走るところを見せるのだ、颯爽とした走りっぷりを見せてやらねば。ゲストのボクシング世界チャンピオンの内山高志選手が先頭グループに並んだ。さすがに筋肉質で精悍だが優しそうな好青年で周囲がどよめいていた。やがてファンファーレが鳴りピストルの合図で一斉に動き出した。さきほど試走した宿場町の面影を残す商店街を快調な走りである。
商店街通りを抜けて綾瀬川沿いの札場河岸公園付近を周回していると、最初の応援パフォーマーが現れた。ぬいぐるみを被り一人でギター片手に歌っている。ありがとう。次は獨協大のロックグループである。さすがに素晴らしい迫力だ。力が湧いてくる。やがて草加松原遊歩道に架かる最初の太鼓橋「矢立橋」が見えてきた。長さ100m幅4mあり、橋の名前は奥の細道にある「行く春や鳥啼き魚の目は泪、これを矢立の初めとして」にちなんで名付けられたという。細かいステップでアーチ状の階段を駆け上がると365度の展望が開けて、前方に緑の草加松原が伸びていた。軽いスキップのリズムで駆け下りていくと、長女が花粉症のマスクをして手を振っていた。やはり身内の応援はありがたい。2キロ地点なので9時12分ぐらいと言っておいたが、大分速いタイムで通過できた。ここから約1.5キロ続く草加松並木はスカイツリーの高さと同じ634本あり、江戸時代から千本松原と呼ばれた街道の名所で、遊歩道の石畳が美しく伸びていた。
スタート直後の渋滞と太鼓橋の上りでスローダウンはあったが、キロ5分30秒ペースで快調に走れていた。天気予報通りに気温が徐々に高くなってきたが、綾瀬川沿いだからか、松並木の樹蔭のおかげか、さほど暑さは感じない。コースの中頃にある綾瀬川左岸広場に入った。スポーツ広場のようだが、ロープが張られて5回ほど蛇行して広場内を回るのである。距離合わせの策なのだろう。コース沿いに応援の部のパフォーマー4グループが元気あふれる応援を繰り広げていた。広場の入り口で素敵なハワイアン。広場内で心に響く和太鼓の連打。可愛いお嬢ちゃんたちは草加AKBか。そして統率されたよさこい演舞。いずれも力強く華麗で素晴らしい。走る足取りもリズミカルで軽くなっていた。
再び草加松原遊歩道に戻り二つ目の太鼓橋「百代橋」である。矢立橋と対をなす和風なデザインで、橋の名も奥の細道にある「月日は百代の過客にして」にちなんで名付けられたという。まだまだ健脚である。やがて松並木が切れて桜並木になってきた。まだ蕾も定かでないが、あと半月もすれば桜のピンクと松のグリーンのコラボで遊歩道界隈は花見客で大賑わいになることだろう。
この辺りから空色シャツの背中にJとローマ字で名前を書いた女性ランナーが並走してきた。J子はさきほど矢立橋の袂で応援してくれた長女と同じ名前である。娘のJ子は幼い頃に大病して運動を極力避けていたが、小学校の運動会でドン尻ながら一生懸命に走る姿に「そんなに無理しないで」と心で叫びながらも、頑張っている娘に涙が止まらなかった思い出がある。その娘のJ子とダブっていた。娘が応援に来ていたからかもしれない。東京外環道路で折り返して綾瀬川の対岸をさきほどの左岸広場に向かったが、J子さんはなかなかの走りっぷりである。後姿だけだが、娘のJ子より若いのかもしれない。引き離されまいと「J子~、待ってぇ~」と心で叫びながら追いすがるのだが。5キロの給水所で追い抜いたが再び追いついてきた。5キロで28分10秒、なんとか56分は切りたい。
左岸広場の応援の部のパフォーマーたちは相変わらず頑張っていた。少しも疲れを見せず、統率のとれたパフォーマンスを見せている。親御さんだろうか、ご自分の子供たちにビデオカメラを向けていた。もちろん、我々ランナーなんぞ眼中にないのだろう。かつて高校サッカー応援のブラスバンドで演奏するJ子をカメラ撮りに通っていた自分が思い出される。そうしてサッカー好きになったんだっけ。さて、どのグループが一番よかったか決めておかねば。元気をもらったか、面白かったか、ゴール後に計測タッグで投票することになっている。そんな意識で応援を見ながら走っていると、独協大のロックグループがあの「負けないで」を演奏しているではないか。5年前の千葉館山若潮フルマラソンで、制限時間をオーバーした私を地元高校生たちがこの歌を歌いながら伴走してくれた涙のゴールシーンが思い出されてきた。泣かせないでくれ。よし、投票はこのグループに決めよう。ところが、最後のギター片手のお兄ちゃんがスッカリ潰れた声で同じ「負けないで」を歌っていた。さして上手とは言えないが、まさに気持ちで歌っていた。思わず駆け寄り「(歌を)頑張ってね」と逆に彼を励ましてあげた。
残り2キロあまり、頭から離れないZARD負けないで」を口ずさんでいた。ランナーのJ子さんが少し前に出たが、追い付けなくなっていた。私が遅くなったのではなく、相手がピッチを上げたのだ。綾瀬川沿いから草加市街に戻ると沿道の声援が多くなっていよいよラストランである。商店街通りの奥にスタートゲートが見えてきた。もう少しだ、頑張れ。ゴールで娘のJ子が待っているはずだ。速ければ55分、遅くとも60分以内でゴールすると言っておいたが、なんとか55分台はいけそうだ。スタートゲートを通り過ぎ、草加駅前交差点を折り返して、ゴールの草加小学校校庭に戻ってくると、フィニッシュアーチが目の前に現れた。楽しく走れた充実感で、まさに笑顔のゴールだ。ゴール横で娘のJ子が待っていた。手を振っていた。古稀の父に無理しないでといつも辛口な娘だが、それでも走ろうとする私の気持ちを少しはわかってくれただろうか。
ゴールタイムが55分47秒、順位も全体の3分の1で上々である。かくして70歳の初レースは、思い出に残る楽しいランとなった。草加駅で娘と別れて久喜経由で帰路についたが、いつまでもZARDの「負けないで」が聞こえてくる。来月から岡山、軽井沢、浜名湖とマラソンが連チャンである。これからお花見で酒の機会も増えるし、尺八やコーラスも演奏会が迫って忙しくなるが、走りの方もこれまで以上に頑張らねばなるまい。いくつになってものんびり出来そうにない。



2 コメント

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おめでとうございます ()
2014-03-23 17:28:38
古希を迎えられての初レース、上々のご様子、
何よりです。
そして、娘さんのご声援を受けてのレースなんて、お幸せですね♪
これから、まだまだ大会が控えていらっしゃるのですね、
どうぞご体調にお気をつけて!

我が母に倣って……最初こそ、そうだったかもしれませんが、
今はカーテンコールさんの独自の頑張りでいらっしゃいますよね。
私も、今年は久しぶりにゆっくりと東北をまわりたいと思っています。

お父様のお生まれから、東北までのご人生、なるほど、そうでしたか……
そして、おせんべいがお好きでいらしたようで、親近感を抱いております♪

私は、甘いものは、時々に応じて、好きなものが変わりますが、
おせんべいだけは別。
子どもの頃からず~~~と好きです。
草加せんべいのような、お醤油味のきいたおせんべいは格別です♪
そんな由来だったのね、と、そちらも面白く拝読しました。
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釉さん、お忙しいところをいつもありがとうございます。 (カーテンコール)
2014-03-24 09:34:34
本人はまだまだ若いと思っているのですが、娘にとっては、70になって心配をかけてばかりの父親なんですね。頑張る姿を少しは褒めてもらえるかなと、期待はしているのですが。
イベント業者の撮ってくれた写真に、ウイネバーギブアップの文字がしっかり写っていました。東北へ、宮城へその思いが届いたことと思います。釉さんご家族の被災地への変わらぬ温かい想いに心から感謝申し上げます。
本大会の参加賞は、草加せんべいの詰め合わせでした。包装の違ういろいろなお店の煎餅が10枚ほど入っており、我々の参加費が、経済的にも草加市の町興しに少しは貢献したかもしれません。
でも肝心の煎餅の味くらべの方は、食に無頓着なものですから、どのお店のも同じ醤油味、こんなでは草加の煎餅屋さんに申し訳ありませんね。
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