忘却の彼方へ

ウエブ上のメモ

「こども」 ドロシー・ロー・ホルト

2009年11月25日 | ことば・詩
 ちょっと気になる言葉・・・、以前どこかで見たり、聞いたりしたことがあるようなないような、でも、誰が言ったものなのかもわからず、ネットで検索するにもキーワードも不確かで・・・いつの間にか忘れていた。
 ある日、自分の雑多なファイルをめくっていたら、コピーした詩があった。
「これだ!」。なんだ、ちゃんと気にしてファイルしていたんじゃないか。

「子ども」 ドロシー・ロー・ホルト

 批判ばかりされた 子どもは
  避難することをおぼえる

  殴られて大きくなった 子どもは
  力にたよることを おぼえる

  笑いものにされた 子どもは
  ものを言わずにいることを おぼえる

 ではじまる詩は、スウェーデンの中学教科書に載っています。
 最後は、

  可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
  世界中の愛情を 感じることを おぼえる

 で結んでいます。

 シンプルだけど、すごく的をついています。親による虐待や不適切な養育を受けてきた彼らの見せる行動の背景を理解する上でも、傷ついたこころをどうやって癒していったらいいかを考える上でもベースになるものだと思います。ファイリングした当時も、まさにこの詩のとおりだと膝を打っていた自分を思い出しました。

 そういえば、以前(今でもやってるかな?)テレビやラジオで「抱きしめる、という会話」「子どもを抱きしめてあげて下さい」といった内容のコマーシャルが流れていました。公共広告機構だったと思うので、国が作ったものでしょう。

 親に可愛がられ抱きしめられるからこそ、親以外の人や世界の愛情を感じる心が育ち、それが土台になって自立しようという気持ちが出てくるわけです。この土台が非常にもろい子どもたちのなんと多いことか・・・・
 もろい土台に、「しつけ」や「勉強」という砂を積み上げていっても、崩れるばかりで積み上がっていかないむなしさ。

 嘆いてばかりもいられませんね、なかなか手応えをつかめない仕事ではあるけれど、一人ひとりに様々な形で愛情を与えながら、土台を少しずつ築いていくしかありません。