忘却の彼方へ

ウエブ上のメモ

マズローの欲求階層

2009年11月23日 | ソーシャルワーカーの常識
マズローは、人間の基本的欲求を低次から
生理的欲求(physiological need)
安全の欲求(safety need)
所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
承認の欲求(esteem)
自己実現の欲求(self actualization)
の5段階に分類した。このことから「階層説」とも呼ばれる。また、「生理的欲求」から「承認の欲求」までの4階層に動機付けられた欲求を「欠乏欲求」(deficiency needs)とする。生理的欲求を除き、これらの欲求が満たされないとき、人は不安や緊張を感じる。「自己実現の欲求」に動機付けられた欲求を「成長欲求」としている。

人間は満たされない欲求があると、それを充足しようと行動(欲求満足化行動)するとした。その上で、欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されると、より高次の欲求へと段階的に移行するものとした。例えば、ある人が高次の欲求の段階にいたとしても、例えば病気になるなどして低次の欲求が満たされなくなると、一時的に段階を降りてその欲求の回復に向かい、その欲求が満たされると、再び元に居た欲求の段階に戻る。このように、段階は一方通行ではなく、双方向に行き来するものである。また、最高次の自己実現欲求のみ、一度充足したとしてもより強く充足させようと志向し、行動するとした。


自立援助ホーム インタビュー2

2009年11月23日 | 自立支援・子ども
「自立」と「孤立」

──三好さんはおよそ30年の間、子どもたちを見続けてこられたわけですが、現在の子どもたちを取り巻く環境をどうご覧になっていますか?

三好「何年か前から『自立』という言葉が流行だした気がするんですけど、その頃から『孤立』が深まった気がします。自立と孤立は対極にある言葉だと思うけど、『人の世話にはならん』というのは孤立で、自立とは強いて言葉にすれば『お互い様というところで人とつながっていける』ということのような気がしています。人の世話にはならない、人に迷惑をかけない、というのは孤立にすぎないというか」

──なるほど、これは大人にも言えることですね。

三好「今は大人が孤立しているから、子どもが自立できるわけがないと思います。安心して赤ちゃん時代を過ごせた子は、歳が幼児さんになれば心も幼児さんになれる、安心して幼児期を過ごせた子は、歳が小学生になれば心も小学生になれる。どこかで安心できない状況だから、心の成長が止まってしまう、身体と心がアンバランスになってしまうんだと思う」

──それはつまり、親が安心できれば子どもも安心できるということでしょうか?

三好「そうだと思います。今の大人は不安だらけで安心して生きていない気がします。例えば少年法の厳罰化なんかを見ていても、大の大人が赤子の手をねじるようなことを言っている。大人があんなに子どもを恐れているというか。子どもは子どもだよ、と思う。なんでこんなに大人が自信をなくしてしまったのか……。
被害感を強く持つ大人が増えて、許さない社会になったというのも感じています。弱いところをギュウギュウ絞めている。弱い立場の人たちが生きづらいということは、強い立場の人たちも決して生きやすいわけではないと思うんです。にもかかわらず、大人はたまたま地位や名誉やお金で守っているから、辛さをそういうものでごまかせちゃう。でも弱い立場の人や子どもというのは、そういうものを持っていないからもろに波をかぶる。たまたま子どもは反乱という形で大人にそれを見せてくれている。そこに大人が気づかなかったらマズいというかね。だって大人のツケを全部子どもが背負ってることになる。なのに、背負わされた子どものことを加害者だ!と大人が責めて……。ほんとの加害者は大人でしょ、と思うんです」

──子どもの生きづらさは大人の生きづらさの何倍にも濃縮されたものなんですね。

三好「さっきの話と同じで子どもがこれだけ生きづらいということは、大人も絶対に生きづらいはずです。ただ、大人はそれを見なかったことに、感じなかったことにしている。その術を大人は知っているから。でも子どもはそれができないから辛いんです」

子どもは暮らしの中で再生していくのがいい

──自立援助ホームは今後ますます必要とされていく存在ではないかと思います。

三好「自立援助ホームがもっと増えてほしいとも思いますが、自立援助ホームに来る前の段階でもっと網を広げてもらえたらという思いもあります。ここに来るというのはひとつの結果であって、ここに来なくてもいい状況を作ってほしいというか。ここは子どもが最後にたどり着く場所なわけですから」

──自立援助ホームの今後をどう考えていらっしゃいますか?

三好「まず行政にお金をちゃんとつけていただきたい。やはり想いだけではどうにも動いていかないところがある。今多くの自立援助ホームは苦境に立たされています。一方、自立援助ホームの形態や在り様は、それぞれの施設がそれぞれのやりかたでいい気がします。『こうあるべき』という形を決めてしまうと隙間ができてしまう。グループホームが合う子もいれば、寮のようなところが合う子もいます。形態によって優劣はない。いろんな自立援助ホームがあればいいと思うんです。そして預ける方が、この子にはこっちが合うだろう、この子はあっちが合うだろうと判断してほしい。
キーワードとして言えるのは『暮らし』だと思う。子どもは暮らしの中で再生していくのがいいと思います。子どもっていつの間にか変わる。ある一瞬で劇的に変わることなんてない。17年18年かけてここにたどり着くのだから、再生していくには同じだけ時間が必要なんです」

──だから三好さんは食事や生活にこだわっていらっしゃるんですね。

三好「子どもとのやりとりは日常のこまごました事の積み重ねです。子どもだけでなく大人もまた生身。かっこよくはいきません。でも暮らしを共にしていれば、失敗してもやり直しができる。ケンカをしても仲直りができる。だからたくさん失敗した方がいいと思っています。失敗を通して『やりとり』ができるから。どういうやりとりをするかについては、大人のいろんなものが問われます。時には子どもの失敗を通して自分の悪いところがひっぱり出されることもある(笑)」

大人は子どもの話をよく聞いてほしい

──社会では「自立=大人」という認識がありますが、何をもって大人とするのか、いつからが大人なのか、今そこも問われている気がします。

三好「そうですね。最近電車でも街でも、行儀が良くてまるで大人のような子どもを見かけることが多くなったように思うんです。社会は『大人の模型みたいな子ども』を求めてきたけれど、精神的には大人にするということをしてこなかった気がします。それなのに20歳で大人って決めつけるのはよくないと思う。
ずっと子どもたちを見てきて、昔はひとつのメドが18歳でした。○○くん落ち着いてきたね、というのが。その後に20歳がメドかな、という時期があって。今は24、25歳かなという気がしてる。昔は18歳だったのにな、と」

──今の社会、トラブルを持つ子どもたちに対してどんな風に接したらいいのかわからない人が多いと思います。だから近づかないし知らないふりをする。私たちはどのように彼らを受け止めてあげればいいのでしょう?

三好「マスコミが騒ぎすぎてそういう印象を、子どもはまるでモンスターというような印象を与えているような気がします。実際触れてみると熱いんだ、冷たいんだ、とわかるように、先入観を持ち出す前にまずは触れてみてほしいと思います。
あと、大人は子どもの話をよく聞いてほしい。子どもたちと接していると、話を聞いてもらえてないなと思います」

──それは昔も今もですか?

三好「昔はそんなに思わなかったですね。昔は施設で育つ子と家庭の子の違いが歴然とあったけれど、最近は家庭の子の話を聞いて、憩いの家の子と同じだなと思うことが多いです。施設では職員が手一杯でなかなか話を聞けないというのがあるけれど、今は家庭の子でも話を聞いてもらってないなという感じがある」

──今誰もが生きづらさを感じているような気がします。

三好「空気として蔓延していると思います。みんな内側ではアップアップしているのに、暗黙の了解のようにみなそれが普通の空気ということにしてしまっている。わたしね、いつの頃からかな。社会は身近な人を信頼する自信を無くしてしまったなと思うんです。まずは身近な人。身近な人を信頼する自信を取り戻すことが大切だと思います」


自立援助ホーム インタビュー1

2009年11月23日 | 自立支援・子ども
~子どもサポートネットより~

──三好さんの言葉でご説明いただくと「自立援助ホーム」とは?

三好「私の言葉で言うと『暮らしの場、子どもたちが再生して社会に出て行く場所』という気がしています。憩いの家に来る子どもと初めて面接する時、『この子どこからおさらいしようか』と思うんです。17~8歳で大きな体をしていても、『ああ、この子は幼児さんからだ』とか『赤ちゃんからだ』とか。中にはお腹の中からという子もいる。そうすると、例えば20歳だとしたらその子は20年分の時間を取り戻して生きていかなければならないんです。

自立援助ホームは、こちらからは関わりを切らないことを旨としています。出会ったら一生関わりは続く。10年前に出会った子とは10年の、20年前に出会った子とは20年のつきあいが続きます。少年院の教官だと出院後はこちらからは声をかけられないし、家裁の調査官だって担当が切れたら関われないわけだけど、私たちはその辺を自由に関われるわけだから。そういう意味で時間を味方にすることができる。それでも、その子の苦しみはその子自身のものでしかないという点で、「してあげられることは何も無いんだなぁ」と思うことがしばしばです。

有名無名に関わらず時間の重みってあると思うんです。立派な人だけが時間の重みを持っているわけではなく、自立援助ホームに来なければならなかった子どもたちが必死に生きてきた時間の重みというのがあって、敬意を表するものがある。私ではああはいかんかったなぁとか、私だったら生きてられたかなぁとか。そうしながら一緒におさらいをしていくうちに、子どもたちが少しずつ自分を取り戻していく気がする。

歳は18でも心が赤ちゃんのまま止まっていたら、まだその子ではないというか、その子自身になれてない気がするんです。年齢と精神的な積み重ねのギャップをいかに埋めていくかというかね。とはいえ、私たちが一緒に暮らしている半年や1年のうちにおさらいしきれるわけがない。だから出て行った後も圧倒的多数が紆余曲折中なんだけども、でも確実に、微々たるものであっても、子どもたちが自身でそのギャップを埋めていっている、というのは感じます」

──寮母をされておよそ30年。この仕事をずっとやっていこうと思ったきっかけはありますか?

三好「やっていこうと思った記憶はあんまりなくて、『やるしかない、前に進むしかない』と思って日々をこなしているうちに30年経ったという感じです」

──逆に辞めたいと思ったことは?

三好「100万回辞めたいと思ったけれど、100万回憩いの家が好きだと思いました」

──それは、そこに子どもの存在があったからですか?

三好「うーん。自分自身の弱さともろさに興味があったからかな。わたし、勉強はできなかったけれど、社会人の優等生にはなれると思っていたんです。でも子どもたちと暮らしていると、そんな私の内にあった問題、私自身が気づいていない問題を子どもたちが鏡のように映し出すんです。そういう意味でわたしと憩いの家との出会いは、子どもとしてだったのか、寮母としてだったのかは、たまたまに過ぎないと思っています。
憩いの家にいると腹の立つことがいっぱいあるからよく怒るんだけど、怒りには二種類あって、ひとつは『信じらんない!』という怒り。これはブリブリ怒れば済む。やっかいなのは『許せない!』という怒り。これはその子と同じ質の問題が自分の中にもあるから、だから許せないと感じるんですよね」

──まさに鏡を見ている状態?

三好「そうそう。だから『許せない』と思ったときは自分の中を探します。時間もかかるし辛さもありますが、でもそれもよかったなと思えるのが、見つけた問題の数は出会えた自分の数でもあったというか。『やっと出会えたわたし』というか。私は一生かけて自分と出会っていくんだと思う。そういう意味で『人は一生変われる生き物だ』と思っています。15歳を過ぎると人は変われないっていう専門家もいたけれど、憩いの家にいる子どもたちは確実に変わっていくし、私自身も変わっていく。人は一生変わっていける。ここに来なければ、こんなに自分と出会えなかったと思います」

立ち戻る場所、産み落とされた場所

──今でも関わりのある子どもはどれくらいいらっしゃるんですか?

三好「よく聞かれますが、私はお互いがお互いのことを忘れなければつながっていることにしています(笑)全く音信不通だった子から7~8年ぶりに連絡がきたりする。この間は16年ぶりに連絡してきた子がいます。その子がね『憩いの家のことをよく思い出していた』って言うから、なんで?と聞いたら、『憩いの家での生活がなかったら今の自分はない』っていうから、またなんで?と聞いたんです。そしたら『あの半年間、初めて安心して食べて安心して寝れて仕事に行く生活を送った。その後ダメになりそうになる度にあの半年間を思い出した。自分には立ち戻る場所があるって思った』って。『あの半年がなければ、グチャグチャな人生の中で立ち戻る場所がなくて迷うしかなかった』って。ああそうなんだぁと思ってね」

──自立援助ホームに来ざるを得なかった子どもたちは、それまでの傷を乗り越えられるものなのでしょうか。

三好「自立援助ホームに来なければならなかった子どもたちと、私を含めて必要としないで過ごせた人たち。何が違うかというと産み落とされた場所だと思うんです。私たちは産み落とされた場所が地面だった。ここに来なければならなかった子どもたちは泥沼だった気がする。地面だったら雨が降っても前に進むことができる。でも泥沼ではじっとしていたらズブズブ沈んでしまうわけだから、常にもがいていなければならない。ものすごいエネルギーでもがくことでやっと命を確保できている。その上でようやく5センチ前に進めたとしても、ザッと雨が降れば5メートル引き戻されてしまったりする。
そんな中で自立援助ホームに来れたということは、一本釣り糸がかかったような状態。子どもとこっちとで釣り糸を掴んでいる。いろんなやりとりをしながら、釣り糸がたこ糸になり、たこ糸がロープがなり、ロープになると『よっしゃ』と引き上げることができる。ロープに掴まって自分で上がってくることもできる。自立援助ホームのやりとりってそんなもののような気がします。釣り糸だから、時にはプチンッと切れてしまうこともあって、『ああ!』と思ってもう一度投げられるチャンスがある場合もあれば、ない場合もある。そんな風にして少しずつ地面に引き上げていく。そんな気がするんですよね」

──釣り糸が切れてしまう瞬間とはどんなときですか?

三好「変に力を入れすぎてしまったとき。互いに力を入れて引っ張り合うと糸は切れますよね。ゴムのように緩い糸だと刃物が当たっても切れないけれど、ピンと張りつめた糸は刃物でなくても、尖った物が当たっただけでもパチンッと切れてしまう」

──「子どもサポートネット」の書き込み板に、親元にいるけれど苦しいという子どもの声が多く寄せられています。まさに互いに力を入れた糸のような親子関係なのかもしれない。これをゴムのように緩い糸にするにはどうしたらいいでしょうか。

三好「これは私の主観ですが、親は生んだだけでは親にはならないような気がします。子どもを育てながら子どもに親として育ててもらっているんだと思う。それは私たちにも言えることで、子どもとだけではないけれど、相互に成長していける関係でありたいと思っています。
自立援助ホームの子どもたちを見ていて『親子でも出会えていない親子もいるんだ』と知りました。親子は黙っていても親子だと思っていたけれど、出会えていない親子もいるんだなと。どんな人間関係でも快適な距離っていうのがあるけれど、それを掴むのはすごく難しいこと。うーん。出会いのような気がするなぁ。親子であっても出会えるかどうか……。
でも、人は変わっていけるし、環境も変わっていく。そういう意味では死の瞬間までがプロセスなんだと思う。だから、今はまだ出会えていない親子でも、いつか『出会うとき』がくるだろうなと思います」


性格を変えるより、行動を変える

2009年11月23日 | こども/家庭・こころ
「行動を変えれば、心はかわっていく」
非行少年や反社会的人格障害に対して、心理治療はお金も時間がかかる割には効果が?
割れ窓理論でも、取り締まりを強化したら凶悪事件も現象した(ニューヨーク)
道徳心がない人には、外からの抑止力で行動を変えることが効果的。
「セロ・トレランス(寛容ゼロ)運動」が教育界でも応用さえはじめた。
遅刻3回、けんかなら有無を言わさず1回で矯正施設に送る・・・など
カウンセラーと話しあって生徒の気持ちを変えていくシステムでは校内暴力が減らずに逆に増えた。「型から入る」ほうが効果的だった。行動がまじめになると、性格もまじめになる。

心が変われば行動が変わる

2009年11月23日 | ことば・詩
ヤンキースの松井が座右の銘の星陵高校野球部に書いてある

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
運命が変われば人生が変わる
出典:『心が変われば 山下智茂・松井秀喜を創った男』、

自立とは? ロ卒啄同時(そったくどうじ)

2009年11月23日 | 自立支援・子ども
卵の中からヒナが殻を破って生まれ出ようとする瞬間、
内側からヒナが殻をつつくのを「そつ」、
外から親鳥がつつくのを「たく」といって、
このタイミングがうまく合わないとヒナは死んでしまうのです。
絶妙のタイミング! 自然界はすごい。

人間界は? 自立したい子、させたくない親(逆もあるが)・・・