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一言二言三言

日常思うこと、演劇や音楽の感想を一言二言三言。
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さざなみの家

2005-10-23 | 読書
連城 三紀彦 著 ・ ハルキ文庫

便宜上、一番近く読んだ本をタイトルに。
昨年辺りからまた少しずつ連城作品を集めている。
10代の後半に『夢ごころ』と出会った。美しい言葉の流れに1行目から息を呑んだ。以来、尊敬する作家は連城三紀彦と公言して憚らなかったが、大人買いできる身分ではなかったので、実際は10冊読んだか定かでない。
一昨年の秋だっただろうか。『恋文』が渡部篤郎、水野美紀でドラマ化され、TV釘づけの3ヶ月を過ごした。これが連城熱再燃のきっかけだったわけだ。
ドラマも少々の不思議演出はあったものの(病院を走って抜け出すほど元気な余命半年の病人が、なぜ検査の時だけ車椅子で運ばれる?)作り手のこだわりと原作への愛情が感じられ、先に萩原健一、倍賞美津子の映画版があったので、結論をどうするのか、などの楽しみも多く、とても好きなドラマになった。美しい鎌倉の海も憧れを誘う。ビデオが出ているはずなので、レンタルできるようであればご覧あれ。
基本的に作風は明るくなかったと思う。しかし78年デビューとあるので(あれ、この人も幻影城出身だったんだ…)30年近いわけで、その間にいろいろな変遷があったようだ。『さざなみの家』は比較的新しい作品といえるが、作者の人に投げかける優しい視線が、登場人物の抱える内面を厭味なく見せ“日常のちょっといい話”に仕上げた。一つの家族の日々が24話。短い通勤の行き帰りに1話ずつ、ちょうどいい長さだ。どれも嫌な気分で終わらないのが、なおいい。

小説真夜中の弥次さん喜多さん

2005-07-05 | 読書
しりあがり寿 著 ・ 河出文庫

宮藤官九郎が好きだ。
映画観にいったよ。2回。サービスデーだけどね。
それまでさほどピンこなかった長瀬くんと七之助にやられたよ。『タイガー&ドラゴン』でも長瀬くんの小虎にメロメロよ。バカだねぇ。
んで、2回目を見る前にあわてて原作その他に目を通した。
映画は『真夜中の弥次さん喜多さん合本』『小説真夜中の弥次さん喜多さん』がベース。けっこう原作に沿っている。分かりにくい原作をよくあれほど分かりやすくしたもんだと思う。大きな違いは扱いの酷かった女性に対する視線が優しいことだろうか。
まんがはけっこう恐い。絵が。 けれど何気に面白かったので全部読めてしまった。
"あやふやさ"を描いた作品なので表現もあやふやだ。考えても答えは出ない。たぶんこう、と思うしかない。すっきりしないが。そこら辺、著者も理路整然と筋を考えているわけではないようだ。それも狙い。
面白いとは言ったが、続編の『~in DEEP』の廉価版2巻後半で、私は弥次さんの行動に嫌悪感を覚えた。また、事が終わるまで体育座りで大人しく待っている喜多さんにはもっと悩まされた。どちらもありえない。伏線もあり、話の都合上、一応の理解はできるが、やはり腑に落ちない。だが、ここがターニングポイントだった。ストーリーにつながりがあるわけではないが、描く方向性を決定づけた気がする。
この本、最終的には凄いところに飛んでいってしまうので、一気に読むと唖然とする。著者やクド監のインタビューでも言っていたが、まじめに考えると深みから登ってこれなくなるかもしれない。さらっと読んだ方がいいだろう。しかし読む価値はある。凄いから、本当に。びっくりしたよ。
一方、小説である。漫画の小説化ではない。漫画で描かれなかった背景やエピソード(重なっている話もあるが)をシリアスに書いている。私は3作の中でこれが一番好きだ。漫画家なのに、そこらの小説家より上手いと思った。上手すぎて胃が痛くなった。ラストシーンは感心すると同時に、落ち込んでしばらく頭から離れなかった。
こんなこと考えていたら生きて行きづらいだろうと思う。だから考えない。その罪を問うている。
厳しい内容だ。それなのになぜこれが一番かといえば、読んで納得ができるからかもしれない。漫画と同様あやふやさを描きながら。後ろめたいところのある人、気づいてしまった人は、否定も肯定もするわけにはいかないし、無視することもできない。ああ、後ろめたい。後ろめたい。
内容は重いが文章がこなれていて読みやすい。相当推敲したのだろう。色気もあっていい。まんがを読まなければかなり美々しい2人を想像できる。カラオケだけは読者に何を求めているのか(いやいないのか)分からなかったが。ただ混沌を描きたかったと理解していいのだろうか?
リアル(映画ではリヤル)と夢の違いは何か。夢なのか現実なのか。生きていることすら不安定になる。逃げ続けるのか立ち向かうのか。その上で選んで歩き出す。すべて自分次第。

小説エマ1

2005-07-01 | 読書
久美沙織 著 ・ ファミ通文庫

久美沙織を読むのは初めてだ。
姉の本棚に揃っていた『丘の上のミッキー』を何度となく手に取っては、なぜかいつも2、3行で閉じていた。
最近、その話を友人にしたところ「5巻くらいで面白いかもしれないと思った」と言われた。
そうか! そこまで読めば良かったのか! てゆーか5巻まで面白さの分からないのに続いたというのも凄い話だ。
さて枕が長くなったが、つまりずっと気になっていた作家だった。
原作は言わずもがな、19世紀ロンドンを舞台に身分違いの恋を描いた森薫の人気コミックだ。
本屋でふとページをめくり「読めるぞ! 久美沙織!」と密かな感動が胸に飛来した。そして、実際面白い。
うまく味付けしていると思う。小説とあって人物は深く掘り下げられ、文化的背景の説明と共に原作では想像するしかなかった心情の描き方に、当時の雰囲気をより一層楽しめる。オリジナルの挿話もいい。特に好きなのはエマの毎朝の仕事である釜の掃除だ。儀式的な表現は、達成感という満足をエマと私に与えてくれる。
キャラクターに関しては、エマは原作の方がおっとりしている。ウィリアムはぼんぼん育ちの甘えた雰囲気が強いだろうか。これは意識的だと思う。ほとんどの人物でイメージが狂うことはなかった。ウィリアムパパぐらいだ。原作では快活で威圧感のある背筋の伸びた印象が、小説版は親父である。口調がイケてない。きっと久美沙織はパパが嫌いなのだ。
原作を読んでいてもいなくても楽しめる一冊。
機会があればミッキーにも再挑戦してみよう。

今年の春にロンドンで宿泊したB&Bが4階だったため、窓の形が違う以外、エマの部屋にそっくりだった。最上階でエレベーターがないところまでそっくりだ。螺旋階段に目が回る。毎朝毎晩昇り降りするエマは偉いね。