カストロが死んだ。
これぞ革命家と実感していた最後の同時代人だった。
彼が政権を握ったのは1965年だから、僕の人生と同じ長さだけ、カストロのキューバは続いたことになる。
アメリカのすぐ隣りで、全く別なる価値観の小国が生き延びていること自体がすごいことだし、それはちょっとした希望や羨ましささえ感じることがあった。
豊かさや幸福の考え方が違う国。金持ちがいなく、皆が同じくらい貧しいが、不幸でない国。医療も教育も無料。ホームレスはいない。葬儀・お墓代も無料。
ベルリンの壁が崩壊して僕らの「現代」は走り始めた感があるが、世界には僕らの知らない「別の現代」がある、ということを、キューバはカストロの存在感とともに僕らに感じさせ続けたのかもしれない。
比肩できるような人物の政権を経験したこともなく、キューバに暮らしたこともないから、その為政について何かを言うことは出来ない。
しかし、彼が広島を訪れたときに語った
「日本国民は一言も恨みを発しなかった」
という一言には、非常に強く激しい力が潜んでいるように感じた。
政治家である前に、やはりカストロは革命家であったのだろう。
現代、という言葉があり、かつては第二次大戦後を現代と呼んでいたが、それは『ヒロシマ以後』、『アウシュヴィッツ以後』でもあった。
ダンスで『ベルリンの壁の崩壊』以後に発生したものをコンテンポラリーダンスと呼び、そこにあらかじめ表現の壁はないのは、あの日の共有から芽生えた現代意識ゆえかもしれない。
現代の起点をどこに置いているかで、その人の時代感覚や社会認識がわかる。
『9.11』以後、『フクシマ』以後、と、現代という時代は何度も始まり直す。じわじわとパラダイムが移り変わる。
11月25日、カストロが死んだ。
影響力のある人物の死は世界にとって喪失であるけれど、それは同時に新たな「生み」の始まりでもあると思う。
いま、『カストロ以後』という、さらに新しい現代が始まってゆくのかもしれない。まだ予感は余りにも微かだが。
「人間にとって重要な資本は金ではない。人間こそが、最大の資本なのである」
もちろんカストロの言葉だ。
これぞ革命家と実感していた最後の同時代人だった。
彼が政権を握ったのは1965年だから、僕の人生と同じ長さだけ、カストロのキューバは続いたことになる。
アメリカのすぐ隣りで、全く別なる価値観の小国が生き延びていること自体がすごいことだし、それはちょっとした希望や羨ましささえ感じることがあった。
豊かさや幸福の考え方が違う国。金持ちがいなく、皆が同じくらい貧しいが、不幸でない国。医療も教育も無料。ホームレスはいない。葬儀・お墓代も無料。
ベルリンの壁が崩壊して僕らの「現代」は走り始めた感があるが、世界には僕らの知らない「別の現代」がある、ということを、キューバはカストロの存在感とともに僕らに感じさせ続けたのかもしれない。
比肩できるような人物の政権を経験したこともなく、キューバに暮らしたこともないから、その為政について何かを言うことは出来ない。
しかし、彼が広島を訪れたときに語った
「日本国民は一言も恨みを発しなかった」
という一言には、非常に強く激しい力が潜んでいるように感じた。
政治家である前に、やはりカストロは革命家であったのだろう。
現代、という言葉があり、かつては第二次大戦後を現代と呼んでいたが、それは『ヒロシマ以後』、『アウシュヴィッツ以後』でもあった。
ダンスで『ベルリンの壁の崩壊』以後に発生したものをコンテンポラリーダンスと呼び、そこにあらかじめ表現の壁はないのは、あの日の共有から芽生えた現代意識ゆえかもしれない。
現代の起点をどこに置いているかで、その人の時代感覚や社会認識がわかる。
『9.11』以後、『フクシマ』以後、と、現代という時代は何度も始まり直す。じわじわとパラダイムが移り変わる。
11月25日、カストロが死んだ。
影響力のある人物の死は世界にとって喪失であるけれど、それは同時に新たな「生み」の始まりでもあると思う。
いま、『カストロ以後』という、さらに新しい現代が始まってゆくのかもしれない。まだ予感は余りにも微かだが。
「人間にとって重要な資本は金ではない。人間こそが、最大の資本なのである」
もちろんカストロの言葉だ。