金沢市は全国でも有名な観光地ですが、温泉なんかも結構あったりします。
兼六園から車を走らせる事約30分程で、金沢市湯涌温泉に到着。
ここは、竹久夢二と彼に最も愛された恋人“彦乃”が滞在した温泉場です。
笠井 彦乃 明治29(1896)年~大正9(1920)年 ホントべっぴんさんです。

明治36(1903)年、一家で上京し、大正3(1914)年に、「港屋絵草紙店」で夢二と出会います。
「港屋絵草紙店」は夢二がデザインした絵葉書やハンカチなどを売る雑貨屋さんです。
場所は日本橋にあり、夢二の前妻“たまき”さんが店主を務めていました。
このお店、今も日本橋で営業しており、屋号は「港屋」です。
二人は、父親の反対を押し切って大正6(1917)年から京都で同棲を始めました。
そして、この夏の北陸旅行で、湯涌温泉をいたく気に入り数週間滞在。

なんと!夢二の息子、不二彦も一緒に滞在していました。
ん~?って事は、この2ショット、不二彦が撮影した?
チョッと複雑な気分ですが、こんな風に思うのは私だけでしょうか?
しかし湯涌温泉滞在後、彦乃は結核を患い、わずか25歳でその生涯を閉じました。
大正13(1924)年、新聞の連載小説として夢二が発表した『秘薬紫雪』は
二人がモデルであり、愛を誓うラストシーンは湯涌温泉が舞台となっています。
夢二が死ぬまで外さなかったPtの指輪には「ゆめ35 しの25」と刻まれていました。
「しの」とは、夢二が彦乃を呼ぶ時の愛称です。
って事で、湯涌温泉、行って来ました。
金沢湯涌夢二館です。この夢二館の前に、二人が滞在した山下旅館があります。

夢二デザインのお土産。 左からブックカバー・ペン立て・ガーゼのハンカチ

美人画の栞

二人に縁のある土地の数か所が重なっていて、不思議と惹かれるものがあります。
夢二の夢は「彦乃と永遠に」だったのかも知れませんね。
兼六園から車を走らせる事約30分程で、金沢市湯涌温泉に到着。
ここは、竹久夢二と彼に最も愛された恋人“彦乃”が滞在した温泉場です。
笠井 彦乃 明治29(1896)年~大正9(1920)年 ホントべっぴんさんです。

明治36(1903)年、一家で上京し、大正3(1914)年に、「港屋絵草紙店」で夢二と出会います。
「港屋絵草紙店」は夢二がデザインした絵葉書やハンカチなどを売る雑貨屋さんです。
場所は日本橋にあり、夢二の前妻“たまき”さんが店主を務めていました。
このお店、今も日本橋で営業しており、屋号は「港屋」です。
二人は、父親の反対を押し切って大正6(1917)年から京都で同棲を始めました。
そして、この夏の北陸旅行で、湯涌温泉をいたく気に入り数週間滞在。

なんと!夢二の息子、不二彦も一緒に滞在していました。
ん~?って事は、この2ショット、不二彦が撮影した?
チョッと複雑な気分ですが、こんな風に思うのは私だけでしょうか?
しかし湯涌温泉滞在後、彦乃は結核を患い、わずか25歳でその生涯を閉じました。
大正13(1924)年、新聞の連載小説として夢二が発表した『秘薬紫雪』は
二人がモデルであり、愛を誓うラストシーンは湯涌温泉が舞台となっています。
夢二が死ぬまで外さなかったPtの指輪には「ゆめ35 しの25」と刻まれていました。
「しの」とは、夢二が彦乃を呼ぶ時の愛称です。
って事で、湯涌温泉、行って来ました。
金沢湯涌夢二館です。この夢二館の前に、二人が滞在した山下旅館があります。

夢二デザインのお土産。 左からブックカバー・ペン立て・ガーゼのハンカチ

美人画の栞

二人に縁のある土地の数か所が重なっていて、不思議と惹かれるものがあります。
夢二の夢は「彦乃と永遠に」だったのかも知れませんね。