Sophieの窓

日本とアメリカの二つの国籍を持つ娘、ソフィーの成長を見守りる母親のつぶやきをお届けします。

パパがいない間におこったこと

2007-01-10 | Weblog
ソフィーは最近寝言が多くなった。昨夜も、かなりはっきりした夢を見たようで、寝ながら、くすくす楽しそうに笑っていた。

さて、今朝のソフィーはいつになく好奇心旺盛で、あれこれ指差しては私の顔をうかがうように覗き込む。私は、「それはカップよ。」「あれは人形よ。」といった感じで応える。
いつもは、理解したのかしてないのか分からない様子で、それとも答えを聞くだけで満足するのか、私の言葉聞き流すのだけれど、今朝は違った。

風鈴を指差したソフィーに「それは風鈴よ。」といってやると、「ふーっ」と息を吹きかけながら「ふ」の音を探っているようだった。さらに「り」の音がうまくでないのを何とか聞いた音に近づけようとしながら、「ふーいん」と発音した。
私が喜んで激励すると、ソフィーは何度もその言葉を繰り返してみせた。
この様子を見ていて、子供のとき読んだ、ヘレンケラーの伝記にあったあるエピソードを思い出した。

確か、ヘレンは幼いときにしょう紅熱か何かの熱病にかかる。なんとか命はとりとめるが、回復したときには、ヘレンはその視覚と聴覚を失っていた。親も、家庭教師も、盲聾唖の三重苦のヘレンに施す教育の術を見出せず、ヘレンはしだいに野生児のように育ちかける。親も半ばあきらめかけたころ、ヘレンは何人目かの家庭教師サリバン先生と出会う。サリバン先生は、それまでの家庭教師とは全く違っていた。
指文字をはじめとする、触覚を利用したさまざまな教育法を駆使して、サリバン先生は、強暴だったヘレンを、学習の面白さに目覚めさせていく。

サリバン先生と知り合って、しばらくしたヘレンは、ポンプから流れる水に手を触れたとき、衝撃的なまでに心動かされる。「Water」という言葉を思い出し、まだ聴覚や視覚があったときの記憶が蘇るのだ。それまで指文字を真似るのをゲームのように楽しむだけだったヘレンが、そのとき初めて、ものにはそれぞれ名前があるという概念を理解するのだ。それからというもの、ヘレンは貪欲なまでにつぎつぎと新しいことを学んでいくのだった。

ソフィーも、今までも、教えた言葉のいくつかを繰り返してみることもあったが、それが何を意味するか、あまりよく分かっていなかったと思う。
今回の試みには、強い意思のようなものが感じられ、言葉という概念を理解し始めた兆しなのかと思われる。

今日、仕事で6日間不在だったソフィーのパパが帰ってきた。ソフィーと一緒にパパを空港まで迎えに行った。しばらくぶりにソフィーを見たパパは、「なんだか少し、前と表情が変わったね。」と言った。
「パパのいない間にいろんなことがあったんだよ。」とでもいうように、ソフィーは、いたずらっぽくパパの顔を見て微笑んだ。

だいじょうぶ

2007-01-07 | Weblog
今夜、ソフィーを寝かしつけながら人魚姫の話を読んでいた。
他の女性と結婚してしまう王子様を、姉さんたちがくれたナイフで刺せば、泡にならずに人魚に戻ることができる。
けれど、人魚姫は愛する王子様を刺すことができず泡になってしまう。
昔から良く知っている、何度も読んだ話なのに、そのさびの箇所を読んでいて、涙が出てきた。

最近、年をとったせいか涙腺が弱くなって、ちょっとしたことで涙が出るのもあるのだけれど、ここのところ、ちょっと情緒不安定だった。(更年期!?)
夫も4日から9日までサンフランシスコに行っていて不在。いつも喧嘩ばかりしているのに、いないと寂しい。涙が出たのに乗じて、いろいろ悲しいことを思い出してしまい、余計に涙が止まらなくなった。

「だいじょうぶ」
となりで横になっていたソフィーが、起き上がって私の顔を見て言った。
言葉が遅く、ふだん意味のある言葉をそんなにしゃべらないのに…偶然かな?とも思うけれど、今まで言ったこともない言葉を、あまりにも絶妙なタイミングで発したので驚いた。
私が涙をぬぐっていると、ソフィーはにっこりしながら、おどけたようすで、じっと私の顔を見ていた。

いつも、ベッドに入るときや、私が寝室を去ろうとするとき、ソフィーは嫌がってぐずるが、今日は良い子になって、兎のぬいぐるみと一緒に、おとなしく寝てくれた。