「左翼」運動の課題

良い労働組合の組合員だった私が、低質な個人加入組合(合同労組)に
入ってしまったことで、色々と考えさせられました。

劣情の正当化

2018年08月24日 | 悪い労働組合

Badユニオンの特権意識

Bad組合では、とにかく極端な解釈にすぐ飛ぶので、議論ができませんでした。その場で同調しないと、セコイ形での腹いせの反撃でしか返ってきませんでした。

労働の美化によるやりがい搾取や、サービス残業、過労などの問題があり、私は労働者の権利を守る立場にいることは言うまでもありません。生活保護などの、憲法で保障された権利を使うことを攻撃する立場にもいません。私もそうなったらその権利を使うつもりです。

でも、ただぐうたら怠けて日夜過ごしてみたいな生活って、ただのごく潰し、いわゆる人間のクズというので間違ってないと思います。と言うと、彼らは「片山さつきや世耕と同じ考え方だ!」「反知性」と極端な二元論(誤っている)で言ってくるのが目に浮かびます。民の生存権を守る生活保護などの社会保障は、恥じることなく受けるべきだし攻撃する現象は醜いと思います。でも、なんの生産的活動もせずに、TVとかを見てただぐうたら怠けて過ごすことを、人間のクズと呼ぶことに異論はないです。

社会に出てズタボロに傷ついて症状を呈していて、もう社会に出て行けなくて今そんな状態になっていることを悪くは思いませんし、誰にもそれを非難などできないでしょう。でも、そのままでずっといたいとは通常は誰も思わなくて、いつかは社会に出たいとか、なんらかの形で生産的活動をしたいとか誰かに貢献したいと思うでしょう。でも今は傷つき過ぎて、出て行けないという状態。

私はBad組合の人達を見て「なんか違う」という違和感がありました。

そして彼らの特有のサブカルチャーに埋没していったら、私は人間のクズになるように思い、彼らの態度とは距離を置いてきました。劣情の正当化に、左翼思想を使っているように思える人達が中心的だったからです。この話題は、思慮深く話す必要があります。私は片山さつきや世耕と同じ考えではないです。でも、ただの怠け生活のごく潰しでいいのかと言うと、それはダメでしょう。人は、誰しも社会の中で、関わって貢献などして生産的活動をして、生きていきたいのではないでしょうか?ただのぐうたらのごく潰しをカウンターカルチャーにして(中二病)、それに対する非難は「反知性」「田舎者の昔ながらの考え」として否定して、クズな生き方に安住することを正当化してはいけないと思います。

Good組合では、同じような思想を掲げていましたが、彼らとは全然違っていました。

まず彼らは、Bad組合の人達のような劣等感や劣情がなかったです。彼らの中には管理職もたくさんいたし、職場で利益を出しながら回していました。そして生活者としての弱い立場を当たり前に理解していて、そんな者同士で手を繋いで仲間として連帯しよう、という対等で明るい関係でした。生活者をバカにせずに、同じ仲間として連帯していました。Bad組合は生活者への上から目線の特権意識がみられました。劣等感をこじらせて変形したものです。Badユニオンの特権意識  中二病の特権意識  もちろん彼らはそれに持ち前の口達者で反論するでしょう、でもそのふるまいがそうでした。

私はBad組合にいて、同じ「左翼」思想を掲げていても、その目的がなにであるかによって、質が全く異なることを感じました。「左翼」思想を自分の劣等感や劣情を誤魔化して正当化するために使っている人達がいました。

 



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