安倍新内閣が誕生してスタートをきった。
仕事に追われ、飛び回っていると、安倍首相の初演説をはじめ国会中継を見る暇がない。さらに、夜のニュースさえ見ることもなく、只管に会社人間と化している。
このような時、このブログにトラックバックしてくれる方々の記事は大いに参考になっています。ありがとうございます。
TBの中で、憲法「押しつけ」論の幻(小西豊治著 講談社現代新書)という本を紹介しているブログを見て、早速、購入した。
その本の内容を上手に
「ポラリスーある日本共産党支部のブログ」さんが要約されています。転用させていただきます。
<<<「主権在民」も「象徴天皇」も占領軍の最初の構想では明確ではなく、特に天皇の扱いには占領軍も苦慮していた。
そこに、在野の「憲法研究会」(鈴木安蔵他7名)が早くも1945年12月に「憲法草案要綱」を首相官邸に提出し記者団に発表した。
その中では、「主権在民」や「象徴天皇」が明確に位置づけられており、この内容は占領軍も度肝を抜く内容であった。政治顧問アチソンは、本国に緊急の書簡を送り、その衝撃を伝えているという。
これが、その後マッカーサーが、「国体護持」で煮え切らぬ政府に、「推しつけた」とされる、憲法の骨子となっている。
鈴木安蔵は明治・自由民権運動の論客・植木枝盛(土佐)を、家永三郎よりも早く研究していた第一人者であり、「主権在民」も「象徴天皇」も植木枝盛が著した「東洋大日本国憲按」や植木枝盛が原案を書いたと言われる土佐立志社の「国憲按」で打ち出されていたものである。
著者・小西豊治氏は、「主権在民」 「象徴天皇」のルーツが植木枝盛の国憲按にあり、占領軍で憲法制定に深く関わった弁護士出身のラウエルやノーマンも、鈴木安蔵の論に影響されてか、あるいは独自の視点からか植木枝盛を研究していたことを解き明かしてゆく。
そして、「主権在民」も「象徴天皇」も、日本人民の叡智であることを論証して行くのである。>>>
「憲法九条を世界遺産に」という本も素晴らしく、「憲法九条を世界資産に」を合言葉にしようと前回のブログに書かさせていただいた。
「憲法『押しつけ』論の幻」は、日本国憲法の成立を知る上で貴重な一冊と思っています。主権在民を宣言している平和憲法を、より密接に生活に生かすことが先決だ!と叫びたい。
平和憲法を守ることは大変だとの実感を強くしている。このブログに掲載した永井隆博士の「いとし子よ」の一節がグルグルと頭の中を駆け巡っている。重複しますが掲載します。
<<<永井隆博士は、原爆で奥さんを亡くし、自らも原爆に被爆していながら余生を被爆者の治療に捧げた方です。
いとし子よ。
あの日、イクリの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一よ、カヤノよ。
お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世に留めて、ついにこの世から姿を消してしまった。
そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものは何であるか?
――原子爆弾。・・・いいえ。それは原子の塊である。
そなたの母を殺すために原子が浦上へやって来たわけではない。
そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。
戦争が長びくうちには、はじめ戦争をやり出したときの名分なんかどこかに消えてしまい、戦争がすんだころには、勝ったほうも負けたほうも、なんの目的でこんな大騒ぎをしたのかわからぬことさえある。
そうして、生き残った人びとはむごたらしい戦場の跡を眺め、口をそろえて、――戦争はもうこりごりだ。これっきり戦争を永久にやめることにしよう!
そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、なんとなくもやもやと戦争がしたくなってくるのである。
どうして人間は、こうも愚かなものであろうか?
私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。…
わが子よ!
憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。
憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。
どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。
しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。
日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。
そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。
もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一(まこと)よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと〝戦争絶対反対〟を叫び続け、叫び通しておくれ!
たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても〝戦争絶対反対〟の叫びを守っておくれ!
敵が攻め寄せたとき、武器がなかったら、みすみす皆殺しにされてしまうではないか?――という人が多いだろう。
しかし、武器を持っている方が果たして生き残るであろうか?
武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?・・・
狼は鋭い牙を持っている。それだから人間に滅ぼされてしまった。
ところがハトは、何ひとつ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。・・・
愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。
いとし子よ。
敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。
愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。
愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。>>>
読み返すほど、このメッセージの重みを感じています。
安倍首相のスローガンは「開かれた保守主義」であるといわれ、タカの爪隠す改憲への「地ならし政権」とも言われている中で、「いとし子よ」の言葉が現実味を帯び、一段と重みを増していると思うのは、独り善がりな理解なのであろうか。
今日は、皆さんの転用を持って掲載させていただきました。ご了承ください。
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