多喜二?一瞬、この名前を聞いたとき「なぜ、今ごろ」と叫んでしまった。「そうですね。この頃の若い方たちは、小林多喜二の名前を知らない方が多いです。」という答えが返ってきた。
2週間前に知人から自主映画を企画・製作されている方のご紹介を受けて、お話している時の会話の一部です。
「小林多喜二」という名の響きから35年前に購入した全集を思い出した。「えー、あの全集は本棚にあるのかなぁ、それともダンボールに入れて物置にあるのかなぁ」というぐらい読み返されることもなく、忘れ去られていた存在だったのだ!
感傷的に過去を思い出していてもはじまらない。すぐに生誕100年、没後70年記念記録映画「時代(とき)を撃て・多喜二」のチラシを頂戴する。
「秋田に生まれ、小樽で銀行に勤めながら
小説『蟹工船』『一九二八年三月一五日』などを
書いて世界に知られる作家・小林多喜二(1903-33)は、
1933年2月20日、特高警察に捕らえられ、その日のうちに
殺され、彼の作品は“国禁の書”として抹殺されてきた」
映画のあらすじについては、下記のホームページを参照していただくことにします。
「なぜ、今ごろ」という冒頭の疑問にチラシは次のように答えています。
「災害が地球を襲い、重税・経済難、戦争が生活を暗くしています。
しかし、小林多喜二の文学と生涯は、
この困難な時代に生きる私たちに、運命と立ち向かう
勇気を与えてくれます」
そのとおりですね。2日ほど前に普天間移設先の新しい基地を造るために「海の特措法」の概要が明らかになったと沖縄タイムスが公表しました。
この特措法は、公有水面の使用権限、環境問題、文化遺産などの手続きを国が自治体から取り上げてしまうというものです。
地域住民の声が無視され、地方自治が認められないという事態を招くとしたら、戦前の姿を見るように思われてならないのです。
戦後60年という節目は、「いかなる戦争への加担をしない、戦争のない平和な社会を築く」という説目でなければならないのです。
「時代を撃て・多喜二」の東京での上映は、12月20日、東京文京区・全労連会館(03-5803-9511)が予定されているそうです。確認の上、観に行きましょう。
時代を撃て・多喜二公式HP
2週間前に知人から自主映画を企画・製作されている方のご紹介を受けて、お話している時の会話の一部です。
「小林多喜二」という名の響きから35年前に購入した全集を思い出した。「えー、あの全集は本棚にあるのかなぁ、それともダンボールに入れて物置にあるのかなぁ」というぐらい読み返されることもなく、忘れ去られていた存在だったのだ!
感傷的に過去を思い出していてもはじまらない。すぐに生誕100年、没後70年記念記録映画「時代(とき)を撃て・多喜二」のチラシを頂戴する。
「秋田に生まれ、小樽で銀行に勤めながら
小説『蟹工船』『一九二八年三月一五日』などを
書いて世界に知られる作家・小林多喜二(1903-33)は、
1933年2月20日、特高警察に捕らえられ、その日のうちに
殺され、彼の作品は“国禁の書”として抹殺されてきた」
映画のあらすじについては、下記のホームページを参照していただくことにします。
「なぜ、今ごろ」という冒頭の疑問にチラシは次のように答えています。
「災害が地球を襲い、重税・経済難、戦争が生活を暗くしています。
しかし、小林多喜二の文学と生涯は、
この困難な時代に生きる私たちに、運命と立ち向かう
勇気を与えてくれます」
そのとおりですね。2日ほど前に普天間移設先の新しい基地を造るために「海の特措法」の概要が明らかになったと沖縄タイムスが公表しました。
この特措法は、公有水面の使用権限、環境問題、文化遺産などの手続きを国が自治体から取り上げてしまうというものです。
地域住民の声が無視され、地方自治が認められないという事態を招くとしたら、戦前の姿を見るように思われてならないのです。
戦後60年という節目は、「いかなる戦争への加担をしない、戦争のない平和な社会を築く」という説目でなければならないのです。
「時代を撃て・多喜二」の東京での上映は、12月20日、東京文京区・全労連会館(03-5803-9511)が予定されているそうです。確認の上、観に行きましょう。
時代を撃て・多喜二公式HP