cottontailの時事

や、やあ!元気かい!

何かの世界観を表現

2012年01月11日 | 
あ・・あけまして・・・おめでとうございます。

(果たして、いつまで言えるのでしょうか?・・・と色んな場面で毎年葛藤する。)


テンプレートとブログパーツ変えました。

だって飲みたい気分だから・・・。


子どもの担任が酷い・・。

本来の担任は、途中から突然病気療養(鬱らしい)+主婦ネットワークにより、特定の女子を

依怙贔屓する指導をしていた事を知る。(不適切な関係っぽくて、かなり引く)


後任は、10数年担任を受け持っていなかった先生(いかにも訳あり)

テレビで聞いた事があるような不適切な例題を挙げたり、真似るなと形式的に前置きした

上で「首を圧迫するとふわ~っとして気持ちがいい」と授業中話す馬鹿。


学級崩壊ってこういうことを言うんだ~と実感。

前任交代の折、保護者説明会で諸々の事柄に紛糾した経緯があり、後任の先生には

とりあえず何事もなく卒業まで指導して頂きたいと思っていたが、年末、公園に

誰かが書いた先生(と同じ姓)に対する中傷落書きを、このクラスの誰かが書いたんだろう

と新年明けに子ども達に話し、心配していた矢先に、上記の首圧迫発言。


とりあえず、母達は静観しているが、これからも続くようだったら、学校へ乗り込みますよ。

ほんと・・・酷い。

雑感

2011年12月13日 | 
本当に色々な事が起こった今年もあとわずかですね。


自分をとりまく環境でも、社会問題でも、色々思うところがあったことなど

雑記として留めておこうと思います。

一、震災とその後

母の実家は仙台で、親戚も多く、私達家族は震災後何度も電話しても通じず・・・

数日経ってようやく連絡が取れ、幸いにもみんなの無事を確認できた。

私などは年賀状くらいしか音沙汰のない関係であったけれど、困った時は

いつでも頼ってほしいと伝えるだけでも、繋がっていることを伝えることが大事なんだと思う。


母の友人の息子さんが津波で亡くなった。

母の友人は、震災後間もない時の電話で、周囲はみんな被災者で悲しみも深く

こうやって遠方から電話をくれて、自分の話を聞いてくれるだけでありがたいと

話していたそうだ。

そして、テレビで繰り返し報道される津波の映像は見たくない。

壊滅状態の町にいち早く駆けつけ、あっという間に橋をかけ、復旧作業に尽力してくれた

自衛隊にも感謝している・・・とも話されたらしい。





地震が起きた時、私は仕事中だった。

気仙沼の支店にFAXを送った直後の大きな揺れ。エラーメッセージが届き、

再送信したけれど、再び地震が起き、エラーが届く。

センター長が、「震源、宮城県沖!」と叫び、千葉でこの揺れだから、

東北はさぞすごいことになっているだろうと、FAXの件はグループ長預かりとなった。

その後、自宅で気仙沼の映像を見て、支店に車が突っ込んでいる映像などを見て

胸が締め付けられる思いだった。


夏に幼稚園の同窓会があり、食事の前の礼拝で、子ども達は園長先生から震災の話を

聞く。

園バスで非難した際、津波に襲われ、園児と先生方は亡くなった。

子ども達が集まったところに、先生が覆いかぶさるようにして亡くなっていたそうだ。

その話を聞いた子ども達は、みんな涙を流し、みんなで弔いのお祈りをした。


人の命はなんて儚いんだろう。運命はなんて残酷なんだろう。そんな思いは今も続く。


私が通った高校は、戦時中、従軍病院として使われ、亡くなった方は一時

敷地内の「紫苑の森」と生徒が呼んでいる場所へ安置された。

そんな経緯からか、霊感の強い人は紫苑の森で感じるものが多く、立ち入らなかったり、

そこにある弓道部は不思議な体験を何回かしている。

また、職場で聞いた話でも、昔大勢人が亡くなった場所が現在薬局になっているけれど、

やはり霊感の強い人は色々感じるものが多いという。

魂というものがあるならば、ご供養と鎮魂を願う慰霊碑などを設けて、ご遺族の祈りの場

になれば・・と思う。


民間の救援活動が始まると、色々な話を聞くようになる。

避難所でみんな我慢を強いられながらの生活。そこに何かを送ろうと思うと、

全員(全家庭)に1個づつ配布できる個数がないと受け取れない、

知り合いの避難者に直接送ろうとおもっても、「今は結局みんなに分けなきゃいけなくなるから、

やめてほしい。しばらくして仮設住宅なり移転した先に送ってほしい。」と言われる・・・

善意が上手く形として流れない・仕方のないことだけどエゴとの葛藤というか、救済支援の

難しさを感じる。


原発に関して、地震には耐えたが津波に耐えられなかった。

たとえばあれが土中にあったならば、被害はなかったのかな・・・と疑問が残る。

プラント技術設計の夫曰く、掘削するのはお金がかかるからね・・・との事。

なぜ、あの場所に、あの形で存在することになったのか・・・そういうことを検証して

欲しいと思う。

震災人災の最大の被害者は福島の方々だ。

原発保有地に交付金が支給されていたのは知っていて、それだけ手厚い保護をしている

んだから、東電も国も地方も、それなりに有事の際の基金など準備しているんだろうと

思いこんでいたが、今回の事でそんな準備がされていなかった事に驚く。

原発事故が起きるまで、東電と通産省はズブズブの関係で、どちらかというと東電の方が権力を握って

通産省の人事から、日本のエネルギー政策にまで口を出していたらしい。

震災対応で、非難轟々の菅さんは、辞任前、原発事故に関して自民党や省庁批判をし、

責任逃れだとさらなる批判をされたようだが、戦後の政権を担ってきた状況を考えれば、あながち

間違ってないと思う。

また、たぶん誰がやっても震災の混乱と悲しみと怒りの受け皿として、首相が非難されただろうと

思うし、原発事故の対応として、東電や原子力安全保安院と激論を交わし、即時退去を申し出た

東電に対し、決死の覚悟で臨めと指示した事は、非常に評価できる事だと思う。


日本の良いところは、人命や個を大切にするところだと思うが、時としてそれを貫くことのできない

有事はあるわけで、そんな時にそういう判断を下した首相は、近代において菅さん以外にはいないのでは

ないか・・・と思う。


また、あれだけの地震がおきながら、新幹線を含み大きな鉄道事故が起きなかったことは

素晴らしいと思うし、鉄道技術に関しても、また建築技術に関しても世界に誇れる技術では

ないかと思う。

それを実証として世界へアピールするのは不謹慎なのかもしれないが、閉塞感に満ちた今だから

こそ、活力を!と願います。


長々となってしまったので、その他の雑記はまたの機会に・・・。

金曜の夜に・・・

2011年10月21日 | 
私ったら疲れているのかしら・・・


you tubeで「吉幾三」物(サンプリングってやつ?)に笑い転げた金曜の夜。

暇な人は探してみてください。

お薦め・・×ジャクソン5

     ×スキャットマン

     ×Perfume

     ×フィルハーモニー

     ×スチャダラパー


・・・っていうか、素材としての「俺、東京へ・・」は凄いです。(笑)

見れば見るほどつぼにはまっていきます。(深追い注意)


ちなみに×久保田さん「GA GA GA LOVE SONG」もありました。(苦笑)

かなりファンキーだから、久保田さんも笑って許すと思う・・・。


 

静岡行ってきました

2011年10月13日 | 
子供達の秋休みに合わせ、静岡へ帰省してきました。・・・そして、念願の

久保田さんのツアー静岡公演に参加してきました~。

(厳密に言うと始業式と平常授業1日の2日間学校さぼらせちゃったんですけど)

・・・だって、他の関東で開催される日程が、ことごとく子供の用事がある日だったり

夫は10月から1年間単身赴任で不在でお守とか頼めないし、過去2回のツアーも

なんだかんだあって参加できなくて、次いつ行けるかわからないし・・・みたいな

状況だったんで、思い切って夫に相談したら、「いいんじゃない?」と・・・

「それならば!」と・・・。(誰に言い訳?)


高校時代から夢にみた静岡公演に、ようやく行くことができました。

今回は地元なので、親友を誘って、久々に東海道線に乗って、いざ静岡へ。


静岡だからか、アットホームな雰囲気で、お客さんもよく踊り、よく笑い(?)

よくしゃべった(?)コンサートでした。

8列目という席で、久保田さんが近~い!

親友に、「鼻血出したり、倒れないようにね(笑)」と言われました。


久保田さん、あいかわらず素敵でうっとり!そして、歌もやっぱり素晴らしかったです。

久保田さんが投げたお花は、私の2列前の方がゲットしてましたけど、私の心には

ちゃんと、お花届きました!・・・なんちゃって。

新旧織り交ぜ、25年の年月を振り返ることができて、色々感慨深い気持ちに

なりました。

ラストも、良い意味でも悪い意味でも、特別な「今年」だからこそのお話と歌。

久保田さんらしいな~と思いながら、聞き入りました。


またこのツアーに参加したいけれど、日程的に無理なので断念。

また行ける日を楽しみにしています。

親友は久保田ファンではないんですが、「すごく楽しかった~」と喜んでくれて

また静岡で公演がある時はご一緒していただけるようです。(*^_^*)



電話やメールではちょくちょく連絡取り合っているけれど、やっぱり話は尽きないもので、

コンサート以外ずーっとしゃべりっぱなし。

お互いの実家近くのファミレスで、11時半まで話し込んでしまいました。


やっぱり故郷はいいな~と軽くホームシックにかかりながら、これからまた頑張ろうと

思います。

一言だけ・・・

2011年10月06日 | 
小沢氏「権力の乱用で、法治国家では許されない」

・・・おまえが言うな!(・・・とつっこんだ人は沢山いると思う)


群れるな

2011年08月25日 | 
団体やグループ・○○ファミリーだったり、何かに属すると、人は個人としての思考や

思想の自由を奪われると常々思う。


典型的な群れ社会の政治もあいかわらず、誰がトップになっても、自分の党の、しかも

自分のグループの長でない限り従わないんだから、きっと駄目なんだと思う今日この頃。


そして先日からメディアで大騒ぎの引退もその典型的な感じ。

もともと私はあの人大嫌いで、絶対あの人が出ている番組は見ないように

していたので、清々するというか、非常に喜ばしいこと然り。


育ててもらった・引き立ててもらった等息のかかった恩義のあるタレントや弁護士までも、

引退までしなくても・・・とかこぞって擁護しているけれど、身内贔屓も甚だしい。

まあ日本テレビは、任侠イメージアップのドラマが大好きだし、そこからして

怪しいテレビ局なんですけど。

行列系の弁護士達も、およそ法治国家の法律家と思えないほどに認識が甘い。

嘆かわしいのは、田原総一郎さんまでも、芸能界に戻ってくるべきだと発言したこと。

年をとって鈍くなっちゃったのか、親交のある人間には甘いんだな~とがっかりした。


「英断による引退」っぽいイメージを打ち出してますけど、きっと各方面に

大迷惑をかけてさっさと「一般人」という隠れ蓑に隠れただけの事に思える。








半年回想

2011年07月28日 | 
気付けばやはり先の更新から半年以上経過。

その間に何をしていたかというと・・・。


2月から7月中旬まで期間限定のパート勤務してました。

実に、12年ぶりくらいの就労。

とある企業の経理部門業務で、覚えることも多く、自分に

「能トレだ」と暗示をかけ、週5勤務しましたよ。


そして3月11日。

職場は、千葉県の湾岸。

地盤がゆるいらしく、最初の大きな地震が起きてから、30分間くらい

絶えず震度1~2の揺れが起きていたように感じました。

そして、再び大きな揺れ。1度目も長い地震でしたが2度目の揺れは

さらに長く、そして大きさが増していく絶望的な揺れでした。

デスクの下にもぐりながら、「ああ、このまま死ぬかもしれない」

と思いながら、「子供たちが無事でいますように」と神様に祈りました。

幸い、子供達もそれぞれに無事で、その日の夜に3人で抱きしめ合いました。

(パパは九州方面へ出張中でした。)


備えるという事・生きているという事・割り切る事・覚悟する事

選択する事・・・そういう事をこの半年間今までよりも強く意識する

ようになりました。


職場は、店舗から送られてくる金券を取り扱うのですが、5月頃

被災地東北の店舗から一度濡れてパリパリになった泥まみれの金券が

送られてきて、「被災地の方はもう前を向いて歩み始めているんだ・・・」と

その存在に圧倒されました。・・・みんな、頑張ってる!


無情にも今なお続く余震・原発事故・遅々として進まない政治・・・

不安な事も多々ありますが、今を大切に、人を想って生きようと思います。


個人的には、二人のこども達がそれぞれに反抗期を迎え、何気に私への

風当たりが強く、従順な愛情を注いでくれそうな犬を飼って癒されたいと

夢見る疲れた母でございます。

もう12月・・・

2010年12月01日 | 
チリの大地震で地軸がずれて、ほんのわずかだけ1日が短くなったらしいよ・・・

夫が「超怖ぇ~」と怖がったそんな出来事が起因しているのかしてないのか、あっという間に12月。

今年は良いことも悪いことも色々ありました。

1月、ハンドメイド品をお気に入りの雑貨店の委託コーナーに置いて頂けることになり、

ちょっと華のある内職生活がスタートしました。

(委託システムで売上金から材料代を引くと純粋な利益はわずかばかりですが、

一応ブランド名とか考えて、デザイン・素材など限られた予算の中で考えるのは楽しく、

また、毎月お買い上げくださる方々がいらっしゃることが何より励みになりました。もうすぐ1周年、頑張るぞ!)



4月、以前社宅が一緒だった夫の職場の先輩が急逝したり、立て続けに私の父が吐血、入院(一時危険な状態となったり)

したり、悲しみや不安な時期が続きました。

父はその後回復し1ヶ月後に無事退院、テニスしたり、新たな趣味を見つけたりして元気に過ごしています。


気持ちが上がらず、今年の久保田さんのツアー等には行けずじまいでしたが、来年のデビュー25周年の

ツアーには行きたいなぁ~。(ファンの集いとかもあるのかな?)

今年は例年になくメディア露出度も高かったので嬉しかったです。


11月に入り、息子→夫→私+娘の順に風邪をひき、私だけこじれて軽い肺炎にかかり、久々に40℃超えました。(涙)

また去年1年間役員を頑張った子供会を通して、ハンドメイド友達や地域活動へのビジョンに共感できる

友達など色々な出会いが深まりました。


悲喜こもごもな一年間でした。来年はどんな年になるのでしょうか。

これから子ども達の教育費やら何やら先々不安なので、週3~4日のパート勤務したいな~と考えてます。

就職できるかな・・・。






きな臭いぞ

2010年09月30日 | 
中国の急な軟化姿勢。

内閣とは線を引き首相の知らぬ間に、細野さん(小沢派)が極秘訪中し、要人と面談。

そして、フジタ社員3人釈放。


「あ~菅内閣はだめね。やっぱり小沢さんの力がないとね。」

そんな予定調和のシナリオ事件だったのでしょうか?


政権与党の議員でも、こんなデリケートな問題に内閣への報告もなく行動したこと。

(どんな密談なんだか、もし勝手に何か約束してきたら、その履行責任って

どうなるんでしょうか?)


今回一連の事件は、まさか国の命運まで政局に利用するとは考えたくないが、

結果的には小沢派が勢いづく結果をもたらしそうで、とてもきな臭い事件には

間違いない。



泥沼

2010年09月28日 | 
船長をあっさりと釈放した白旗外交には正直腰砕けしてしまったが、連日内閣批判ばかりもどうかと思う。

与野党内外からここぞとばかりの猛攻ですが、相変わらず内向きパフォーマンスに終始して

本当に現実が見えてないんだなぁ~とつくづく政治家の質を嘆く。

こんな時ほど、超党派で外交・防衛・経済あらゆる知識を持ち寄って今後を検討するべきで

誰かのせいにばかりにするのは簡単な事。


今回このタイミングで起きたのはなぜか?・・・と最近思う。

先日中露で日本との領土問題をアピールしていたけれど、そのパフォーマンスの一環だったのか?

民主党代表・首相として菅さん再選直後だっただけに、親中派といわれる小沢さんが選ばれなかったことへの
中国の拒否反応なのか?

うちの母は、前年の鳩山内閣発足時、巨額の外交機密費が拠出されたのは、小沢さんが大訪中団を率いて
中国詣出した際に上納したんじゃないか・・・と当時疑っていたけれど、このタイミングなだけに、
それもありうるかも・・・と思う。

事情はどうあれ、岐路に立たされている状況で、直近で日本は今後色々な二者択一を迫られるだろう。

その時その時、批判ばかりでなくどういう選択をするのか、それぞれが考えなくてはいけない。

究極的には、防衛のための軍事強化も含めて・・・。