goo blog サービス終了のお知らせ 

COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

アブジャでのAU(UA)臨時首脳会議

2004年11月15日 | 騒動と戦争
西アフリカ5カ国の首脳による、アフリカ連合(AU/UA)の臨時首脳会議が14日 (日)、ナイジェリアの首都アブジャで開催されました。
ここでは各首脳が一致して、コートジボワールの停戦協定下の武器使用に対して制裁を求める方向で、国連安保理への反コートジボワール案を決議したもようですが、これに対してコートジボワール代表であるママドゥ・クリバリ(現国会議長)氏は異議を唱え、当日の最終コミュニケの席から退席しようとさえしたと報じられています。(14nov./AFP)
彼は聡明な論理家だと私は見ており、少ないコートジボワール次世代指導者の重要な一人と思っているのですが、したたかさも必要と、、、考えさせられます。
ここでも彼の論理を説明し、フランス軍が今回160名を死亡させ、大統領邸に発砲したとも訴え、同時に、フランス軍が国連軍の指揮下に入るか撤退すべきだと求めたとのことですが、聞き入れられなかったようです。
これでコートジボワール政府は国際的にも厳しい立場に追い込まれますが、近隣諸国にも与える影響は少なからず、平常化に戻るのは一層遠くなったような感がもたれます。
これが、実質的植民地化から完全に自立するための試練なのか、アフリカの弱点の繰り返しなのかまだ分らないと贔屓目には見ているのですが、一般市民には耐えられないことでしょうね、、。

出国者は

2004年11月15日 | 騒動と戦争
コートジボワールから出国を希望する人は、昨日の日曜までに完了したようで、もし昨日(日曜日)の便が満席にならない場合、月曜日の便をフランスは運行しないと発表しているようです。
日曜日には3便で1050名が出国したとのこと、これまでのフランスによる出国者4248名と合わせて約5300名とのことです。このほかにも隣国のガーナや近隣国へ避難した人、近隣国経由で出国した人も多く、日本人の場合はガーナへ避難した人が多いようです。
もちろんいわゆる白人だけでなく、黒人も多く出国しているのでしょうが、これに関する数字は明らかではありません。
意外と思われる国としては、フィリピンが挙げられ、フィリピン人約100名の出国支援を外交ルートで申し入れたと聞きました。
外交官の家族はもちろん、多くの民間会社の派遣員も引き揚げたらしく、しかも出国者の中では「行くよ!もう戻らない」などという言葉も交わされたようです。
一方、コートジボワールに残っている人たちもいます。日本人でコートジボワールの人と結婚した人たちの多くはアビジャンで生活しているようですし、留学中の日本人青年からは大使館の問い合わせに対して「出国しない」と答えたとのメールが届きました。