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ヘンゼルとグレーテル

2012-07-09 08:52:09 | Weblog

GWに栃木でもらった蕎麦の種
こないだ蒔いたのが 発芽していた。
双葉のうちにひっこぬいて食べようか。

しょせん人はヘンゼルとグレーテルをお菓子の家で
太らせてる魔女なのさ。

植物だって動物だって同じ命
かたちはちがっているけど
みんな同じなんだから
それをいただくことになんの差があるのか
わからないよ。

人だって
みんなちがうDNAを持ってうまれてきてるから
食べ物のし好が違うのも当然で
そこに地域が加わり習慣が加わり家庭が乗っかって
そりゃ~もう複雑怪奇な思考になっている

牛も豚も鶏も家畜だっていうけど
トマトだってはくさいだって自生しているわけじゃない
人が畑に種蒔いて育ててるから 変わらない

原始人じゃないから
猟りして食をまかなうわけにはいかんもんね。
野山に草や実を集めにゆくのも無理

だから
いつか人たちは 作物を作り管理して
家畜を育て管理して その体をいただくようになったわけでしょ?

バラが咲いたよ
っていっても
そこにくっつくアブラムシは害虫なわけで
駆除する。

野菜にくっつく虫を駆除する
動物の病気にさせないためにお薬をつかう
。。。
まわりまわって~~

家畜化している人たちも
そこのくくりにくみこまれて
お金でその食材を求めるしかないのです。
家畜化ですな。

虫も食わない野菜を食べて
薬漬けの肉を食べる。。。

矛盾だらけ

自分のルーツというか
育った環境は大家族だったこともあり
食事はとてもおおらかだった。
あちこちの食材がいつもめぐってきたり
そうかとおもえば 質素な昭和の食卓が基本だったり。
新しいもの好きだから
カップラーメンが発売されたら食べてみたり
おいしい老舗のスィーツをいただいたりと
ある意味クレィジ~な環境だった。

だけど
なにが好物かなんて
自分の口が決めることで
どんな高級食材を食べても
キライなものはうけつけないし。。。

結局
たべるということは
ものすごく 個人レベルなのだと思う。

おいしいとおもうものを
ちゃんと丁寧にありがたく食べるのが基本だよね。

ただそこで
なにも考えないのではなくて
なにがどーなのか
知ることが 問題解決に近づくということで

安全とかを選べる知識を得るにつなげる方向に。。
そこで
はじめて
消去法で肉とかは食べない人を選択する?訳でしょ???

主義者にはならない

食もしかり
健康法も療法も
すべては
みんなひとりひとりがズバピタを探せばいいのさ~~~

火星と海王星が150度
情熱と高い理想がどのように結びつくかが問題だとリュウジさんが
書いていた。

なにもかもが表と裏がある

どっちがほんとなんてわからないのよね。

金曜日のデモ
野田は『いろいろな意見が届いています~』だって。。。
いろいろな意見
大井原発の海に越前クラゲが大量発生とか
デモする人も越前クラゲと同じくのレベルなのでしょうかね
特に問題はありません~的な。

きのう
『0円でもしあわせか。』
建築家の人と作家石田さんの対談していた番組みてた

アンケートで年収一千万越えがしあわせって人が多かったとか言っていた。

建築家の人はお金のかわりに
それぞれのスキルを交換して世界をまわすことが出来るんじゃないかと
話ていた。
石田さんは 私たちと同世代だ
お金がまわらない社会は衰退して
世界からもただの島国におちぶれるよと言った。

価値観も変わって来ている
世の中は
日々変化しているなぁ

年収一千万の人は
なににお金を使いたいんだろうか。
マイカーマイホーム。。。
*マイ*
なんていっているけど
ほんとうに自分が欲しいものを知ってる人はいるのだろうか?
なにが
おいしいかも分からない体で。

今日もヘンゼルとグレーテルは
お菓子を食べてパクパクとしあわせにまるまると肥えてゆくのでした
明日魔女に食べられるのを知らずに。。。
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