1/6(月) 8:33配信 HARBOR BUSINESSonline
引用
がんの治療は、現状でどこまで進んでいるのだろうか。なかには「がんはもうすぐ不治の病ではなくなる」といった声もある。実際のところはどうなのか? 画期的な最新医療は富裕層しか治療を受けられないのではないか?
「二人に一人がガンになる」と言われる今、最先端治療はどこまで現実になっていて、「がんは撲滅される」というのは本当なのだろうか? これをすれば、これを食べればがんが治る! というような情報もはびこっているが、それは効果があることなのか?
そんながんについてのさまざまな疑問について、『二人に一人がガンになる 知っておきたい正しい知識と最新治療』(マイナビ新書)を上梓した医療ジャーナリストの村上和巳氏に聞いた。
――そもそも本書を執筆したきっかけはどのようなものだったのでしょう?
村上:実は私の場合、取材領域が医療、国際紛争・安全保障、災害・防災にまたがっています。このうち医療は、約四半世紀前に新卒で医療専門紙の記者になった頃から、時期による取材量の多寡はあるものの、最も長期間取材している領域です。
そのなかでも、がんは主要な取材テーマの一つでしたが、四半世紀前は記者の取材テーマとしてがんは傍流でした。当時は、がん治療がある意味停滞状態だったからです。ところが過去15年ほどで数多くの新薬が登場し、劇的に進歩しました。
例えば、2018年に京都大学の本庶佑教授がノーベル医学生理学賞を受賞した「免疫チェックポイント分子の研究」は、そのまま画期的な免疫チェックポイント阻害薬・オプジーボの登場につながっています。
そうした動きを追いながら私は記事を書いていたのですが、それが編集者の目に留まり、執筆の提案がありました。ただ、正直言うと、当初は引き受けることに若干戸惑いがありました。
――その戸惑いとは何でしょうか。
村上:本来、出版社が医療に関する書籍を企画した場合、医師に執筆を依頼しますし、私もその方が望ましいと思っていました。だから、私が書いていいものかという不安があったのです。ただ、提案してくれた編集者は「ジャーナリストの立場から俯瞰した目で書いた本を出したい」という意向でした。
私自身、医師が執筆した一般向けのがんに関する書籍は数多く目を通しています。私の印象では、そうした書籍は、「主張が明快で分かりやすいが内容は医学的に不正確」「一般人にはやや難解なものの内容は正確」という2つに大別できます。
前者のような書籍を執筆する医師の意図は推測しかできませんが、ご自身が目立ちたいだけなのだろうと考えています。ところがこの不正確な内容の書籍ほど売れているのが現実です。私自身は後者の医師とほぼ同じ考えですので、こうした状況を長らく苦々しく思ってきました。
編集者からの提案を受けて、四半世紀にわたって執筆という仕事をしてきた経験から、正確な内容でより分かりやすい本を目指せないかと思いました。また、提案を受けた時期にちょっと珍妙な経験をしたことも執筆の動機になっています。
――珍妙な経験とは?
村上:実は提案を受けた時期は前述の本庶氏のノーベル賞受賞が決定した時期でした。その影響もあってか、日本国内では誰もが知っている有名企業の重役ばかりが集うクローズドな会で最新のがん治療についての講演を頼まれました。
講演は問題なく終了しましたが、終了後の会食の席でその重役の方々が「○○を食べるとがんが治るらしい」というような話を真面目にしているんです。
あらかじめ言っておくと、発症してしまったがんが、ある種の食品を食べることで消えることはありません。私は内心「それは違うんだけどな……」と思いつつも、錚々たる面々が相手ということもあり、何も言えずにほぼ黙ってしまいました。
本書のタイトルにもある「二人に一人ががんになる」時代なのに、一般人の間ではあまりにもがんに関する正確な情報が認知されていない現実を改めて思い知った瞬間でした。だからこそ、「蟷螂の斧」(とうろうのおの)かもしれないけど、私が書いてみようとも思ったわけです。
――何が正確ながん情報であるかをまず知っておけば、不正確な情報に左右されにくいということですね。
村上:おっしゃる通りです。一般では少なからぬ人が、医師ががんの治療を行う際は、過去の経験や勘に基づいて治療していると思っています。しかし、これが違うのです。
とりわけがんのように時に命にかかわる病気の場合は、がんの専門家が集まる医学系学会が最新の研究成果を踏まえて、現在もっとも科学的な根拠があって優れている治療を体系的にまとめた「診療(治療)ガイドライン」を作成し、多くのがん専門医はこれに沿って治療を行います。ガイドラインに沿った治療は「標準治療」と呼ばれます。
がん三大治療と呼ばれる手術・放射線・抗がん剤も、どのような病状の時にどれを選択するかなど、ガイドラインでは事細かに記載しています。本の中ではその具体例なども挙げながら解説し、各治療法についても平易な言葉でまとめました。つまりこの一冊でがんとその治療の概略が理解できることを目指しています。
――最近ではネット上にある医療情報の不正確さが問題になることもありますよね?
村上:ネット上の医療情報、とりわけがん情報の質は玉石混交です。がんの場合、全容が完全には解明されていないことに加え、病状次第で命にかかわることから、患者さんやご家族はまさに「藁にもすがる」思いです。
こうした人たちを対象にビジネスを想定している側、もっと口を酸っぱくして言えば、患者さんやご家族を食い物にしようとしている側にとって、ステマも可能なネットでの情報発信は手っ取り早いのです。非常に由々しき事態なのですが、それが現実です。
がんになったご家族を抱えた経験のある方が「患者や家族が藁にもすがる思いになる気持ちは良く理解できるが、本来、藁などにすがらせてはいけない」とおっしゃっていたのが印象的だったのですが、まさに今回の執筆の際、常に念頭に置いていたのは同じ思いです。
ちなみにこの方のご家族の場合、当初は手術が不可能な状態でしたが、標準治療だった抗がん剤が有効性を発揮して手術にこぎつけたそうです。ただ、この「標準治療」という文字が時に誤解を招くこともあります。
――誤解とはどういうことでしょうか?
村上:「標準治療」という言葉を聞くと、一部の人はなんとなく平均値的な治療というイメージを抱いてしまい、それより上の治療があるかのように思ってしまうのです。例えていうなら、「牛丼並」のような感じですね。さらにお金を出せばごはん大盛り、アタマ大盛りが食べられるイメージと言ったら良いでしょうか。
ですが、医療での「標準治療」は現在の「最高・最適治療」です。お金を積んでさらに上の治療を得ることはできません。
自分にスペシャルなものを追求する心理は、お金のある人ほど顕著ですよね。時折、有名人ががんで亡くなった訃報とともに、その方が怪しげながん治療に手を出していたという記事が出ることもありますが、まさにこの心理なのだと思います。
ただ、厳しい言い方をすると、ことがん治療ではスペシャルなものを求めることはお金、時間の無駄だったりします。むしろ標準治療を受けている方が、がんが進行した時でも新たな治療チャンスが得られる可能性が高いのです。
――新たな治療チャンスという点について教えてください。
村上:まず、ある臓器に発生したがん細胞を放置すると、どんどん数が増えていき、最後にはその一部が血液の中に入り込んで別の臓器に到達し、またそこで新たにがん細胞が増えていき、最終的に人は全身的にがん細胞に蝕まれて衰弱し、死に至ります。
この状況の中でどのように治療が行われるかを極めてざっくり説明すると、早期に見つかった場合はがんを手術で取り除きます。また、この際に放射線治療を行うこともあります。ただし、早期発見できなかった場合、今お話ししたがん細胞があちこちの臓器に到達してそこで増えてしまいます。
これは一般的には転移と呼ばれる状態です。転移があるがんは、多くの場合、抗がん剤など薬のみで治療を行います。ちなみに本の中ではやや厳し目に、転移がある状態のがんが治療で消えることはほぼないと書きました。つまり転移があるがんの治療目的は治すことではなく、延命です。
この延命治療は、通常、診療ガイドラインで推奨されている抗がん剤で行います。ただ、この抗がん剤も一定期間使い続けると、効果がなくなります。現在では抗がん剤の種類も増えてきたので、ある抗がん剤が効かなくなると、別の抗がん剤に切り替えます。
ただ、最終的には切り替えの選択肢も尽き、あとはがんに伴う症状での苦痛をとる緩和ケアが行われ、最終的には亡くなってしまいます。
この延命治療がいま大きく変化しています。製薬企業各社による抗がん剤の開発が活発化しているからです。現在、厚生労働省による承認を目指した抗がん剤の新薬の臨床試験は軽く100件以上行われています。このような状況は過去にはなかったことです。
そうすると、延命治療での抗がん剤の選択肢が尽きるかもしれない段階で、新薬が承認されたり、承認前の臨床試験に参加することで選択肢が増えたりするケースも珍しくなくなりました。実際、それで命の残りがわずかになりつつあると思っていた人が、副作用には一定の注意を払う必要はあるものの、新薬を使うことで生活を続けられることもあるのです。
――でも抗がん剤は副作用がきつく、それで数か月寿命を延ばすだけのようなイメージしかありません。
村上:その認識はある意味は正しいですが、ある意味では誤解です。確かに抗がん剤は他の病気の薬と比べると、副作用は強いです。ですが、現在ではその副作用を和らげるための薬や治療法も登場しています。
また、そもそも数か月の延命に意味があるかについては、患者さん個々人の価値観や置かれた立場によっても違います。例えば40代でまだ子供が学齢期の人ならば、小学校の入学式や卒業式までは何とか生きたいという人もいます。その人にとって周囲が考える「たった数か月」も貴重な時間です。しかも、現在ではその間により有効な薬が使えるようになる可能性は高まっています。
例えばこんな事例があります。30代で肺がんが見つかり手術をしたものの、後に脳などに転移が見つかり、いろいろな治療を行っても行き詰ってしまった患者さんがいます。この患者さんは、最終的に承認されたばかりの前述のオプジーボにたどり着き、これを使った結果、診断から7年経ったいまも健在です。
これはあくまで標準治療を続けていたからこその結果です。標準治療を離れる人の中には、医療機関そのものから物理的に距離を置く人もいるので、その場合はこうした新薬の恩恵は巡ってこないということです。
――なるほど、そういうことですか。その意味でがんについての正しい情報を知るということの意味は大きいわけですね。
村上:特に近年はがん治療そのものが進歩しています。もちろん個々の新薬や新たな治療法のどれか一つに着目するならば、それぞれは限界があります。というのもがん細胞は現在分かっている事実のみでもヒトの正常な細胞を上回る巧妙な仕組みを数多く持っていて、これを今の技術で完全に消滅させるのはかなり困難です。
ただ、治療の選択肢が増えていくことでこれらを併用したり、効かくなくなっても切り替えたりしながら生き延びていける可能性は以前よりも高まっています。野球の3割打者は基本的には2割打者の切磋琢磨で生まれてくるものですが、まさに今のがん治療はその2割打者が増えている状況ともいえます。
それと私は、ことと次第によっては必ずしもがんが治らなくとも良いと思っています。例えば、糖尿病、高血圧、はたまたHIVは、現時点で決して治ることはありません。ただ、薬を正確に服用し、生活で一定の注意を払えば、治らなくとも以前とほぼ同じ生活を続けていくことができます。これと似た状況は既に一部のがんでは起きていることです。
いずれにせよ日進月歩の進化を遂げているいまのがん治療では、正確な情報を知り、怪しげな治療法に惑わされないことが何より重要なのです。
――そんなに治療は進歩しているのですね。
村上:例えば20年前くらいだと、あるタイプの乳がんでは、他臓器に転移が起きてしまうと治療をしても診断から1年程度しか生きられませんでした。しかし、このタイプの乳がんは今では診断から5年以上生存している人が半数にのぼります。
このように話すと、「お前は製薬企業の回し者か」的な陰謀論をぶつけられることもありますが、製薬企業とかかわって儲けられるのなら、文筆業のような儲からない仕事はとっくに辞めていますよ(笑)。
【村上和巳(むらかみ・かずみ)】1969 年宮城県生まれ。中央大学理工学部卒業後、薬業時報社(現・じほう)に入社し、学術、医薬産業担当記者に。2001 年からフリージャーナリストとして医療、災害・防災、国際紛争の3 領域を柱とし、週刊エコノミスト、講談社web 現代ビジネス、毎日新聞「医療プレミア」、Forbes JAPAN、旬刊医薬経済、QLife、m3.com など一般誌・専門誌の双方で執筆活動を行う。
07 ~ 08 年、オーマイニュース日本版デスク。一般社団法人メディカルジャーナリズム勉強会運営委員(ボランティア)。著書に『化学兵器の全貌』(三修社)、『ポツダム看護婦(電子書籍)』(アドレナライズ)など、共著は『がんは薬で治る』(毎日新聞出版)、『震災以降』(三一書房)など。
<取材・文/HBO編集部>
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