中学生になった時、いろいろなことが変わり大人になったと感じたのは皆さん同じだとおもいます。
上級生と一緒に部活をやることもあり、それまで知らなかった多くの情報に触れたのが新鮮でした。
例えばラジオの深夜放送が面白いとか、フォークソングや洋楽といった音楽の話題、映画の話題などです。
今のようにインターネットなどの通信手段はなく、当時の情報源は先輩や同級生からの口コミ、書店にならんでいた雑誌(中学生向けのものや、音楽、映画など)、テレビやラジオでした。
音楽に関してはお年玉で買ったラジカセで音質の良いFMラジオをよく聞いていました。
当時の田舎(新潟)ではFM放送はNHK1局のみでした。
そのNHKのFMラジオで毎週、土曜日の午後3時から地域のローカル番組「QKリクエストアワー」 を放送していました。
「QK」はNHK新潟FM放送局のコールサイン「JOQK」の後ろのQKです。
「QKリクエストアワー」を担当していたのは千田正穂アナウンサーで、当時お堅いはずのNHKにしてはくだけた感じの民放に近い放送で人気がありました。
視聴者からのリクエストで音楽を流すのがメインでゲストを招いて演奏してもらう場合や公開放送もありました。
この番組が若者の間で流行している新しい歌を知る情報源になっていました。
ラジカセに録音可能なテープをセットしておいて気に入った歌が流れるときに録音していました。
そんな中、ゲストとして登場したのが地元のシンガーソングライター富所正一さんでした。
歌った歌が「おめぇまだ春らかや」です。
おめぇまだ春らかや 人はへぇ秋らてがんに
(あなたはまだ春ですか 人はもう秋だというのに)
歌がうまいとは言えないのですが方言丸出しの歌に多くの人が親しみを感じていました。
新潟で1970年代中頃に中高生だった人は知っている人が多いはずです。
YouTubeにアップロードされているこちらの歌は生放送を聴いていました。
最後の歌詞が痛烈で複雑な気持ちになったのがとても印象に残っています。
千田正穂アナウンサーが富所正一さんを何度も番組に呼んでいたそうです。
これがきっかけで名が知られるようになりレコードデビューの話も出ていた中、1977年3月、25歳の若さで信濃川に架かる橋から飛び降りて自殺されました。
地元の新聞「新潟日報」に大きく取り上げられていたのを覚えています。
発見されるまでの間に「QKリクエストアワー」の放送があり千田正穂アナウンサーが「どうか元気な姿で現れて欲しい」と呼びかけていましたがその願いはかないませんでした。
レコードデビューが関係しているのではないかと言われていますが、自殺の本当の理由は未だにわかっていません。
おそらくとても真面目な方だったのでしょう。
「おめぇまだ春らかや」の最後の部分が暗示していたのではないかと言う人もいました。
おめぇまだ生きていたかや 人はへぇ死んだてがんに
おめぇまだ生きていたかや やっと秋になったもんな
(あなたはまだ生きていましたか 人はもう死んだというのに
(あなたはまだ生きていましたか 人はもう死んだというのに
あなたはまだ生きていましたか やっと秋になったものね)
亡くなられた後、友人や関係された方々が残っていたいろいろな音源を使いレコードを自費制作されました。
お金が足りなかったことから1枚2,000円で予約を募り目標数を超えることができ無事に制作できたという事です。
YouTubeにアップロードされている歌の多くはこのレコードのものと思われます。
私はこれまで死にたいと思ったことがないのでどのような心境になるのかはわかりません。
でも、世の中には生きていたいと思っていても病気や事故で亡くなられる方がたくさんいます。
そういう方たちのためにも自ら死を選ぶという事は何があっても避けなければならないと思います。
東日本大震災による福島原発事故で横浜に避難した中学生がいじめにあった話を思い出しました。
いじめを受けた中学生は「震災で沢山の人が亡くなっているので自分は絶対に死なないで生きる」とノートに書いていたそうです。
自殺する人が居なくなる世の中になることを願うばかりです。