エリスマン邸
今回の山手訪問で最後に訪ねたのは、
横浜の絹糸貿易商シーベルヘグナーの支配人だった
エリスマンの私邸。
横浜の絹糸貿易と云えば、
明治5年、群馬に富岡製糸が出来て以降県内に絹産業が興り、
横浜へ製品を輸送するため高崎線が敷かれ横浜に到着。
この家の主人。エリスマン氏の商いを経て世界に渡っていたのだと
想いを馳せることが出来ました。
貴方の一票が私を支えています。
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エリスマン邸
今回の山手訪問で最後に訪ねたのは、
横浜の絹糸貿易商シーベルヘグナーの支配人だった
エリスマンの私邸。
横浜の絹糸貿易と云えば、
明治5年、群馬に富岡製糸が出来て以降県内に絹産業が興り、
横浜へ製品を輸送するため高崎線が敷かれ横浜に到着。
この家の主人。エリスマン氏の商いを経て世界に渡っていたのだと
想いを馳せることが出来ました。
貴方の一票が私を支えています。
この近くにF女学院があり、当時そこに・・・(秘)、というエピソードを思い出してニヤついておりました。
どうでもいいことですいません。
御身とF女学院のあんなことや、こんなことの数々とつながましたか。
想像の翼が拡がりましたね。(むふふ)