前回の記事で話題(?)にしていた、こうそんのケージにあった、13日に見つけたうんちを見てみた。
動物病院では小さくて色も緑色で薄かったけれど、ちゃんとうんちを5個くらい出していた。
それが、多分11日の夜に出したと思われるうんちは真っ黒で緩かった感じ(でも、遠赤外線の暖房マットにより乾燥して水分が抜けた状態で発見)のものがくっついた状態で、2~3個ありました。
バイトリルではないけれど、こうそんは以前抗生物質を飲んでから食欲がガクンと落ちて、うんちの状態がものすごく悪くなったことがあります。そのためにその抗生物質はすぐ中止しました。
ただでさえ弱っていた体に、やっぱりあの抗生物質の注射(2本)は、こうそんにとって負担だったのではないかなと…うんちを見ながら思いました。
でも、呼吸が荒すぎて、肺に水の音もしたということなので、あの時は抗生物質の注射を打つしかなかったと思いますし、あの状態で病院にも行かずに様子見などということは絶対にできませんでした。ずっと前、2015年に、同じような状態の時にこうそんが初めて動物病院に行った時も同じ処置だったことを記憶していました。だから注射すると言っている時も「あの時と同じだな」と思いました。当時には肺に鼻水が入っていない状態でしたが。
すこし前の自責と後悔をつづった記事で、確か「バイトリルの水薬が出たけれど、17時ころに注射を2本も打ったし、バイトリルは明日の朝からにしよう」と自己判断したのが間違いだったのか。飲ませるべきだったのか?と、後悔の1つとして書いた記憶がありますが、この記事を読み直したらやはり
「明日の朝から3日間、朝と夜にこれを飲ませてください」と抗生物質を頂いた。
と、ありました。判断は間違っていなかったんだ。よかった。
だけど、腸(お腹)の方は心配だったから、その夜に早速酵母菌の粉末をお水に入れたらたくさん飲んでくれていた。
医師を恨んでもいませんし、病院に連れて行ったことは、最初からそうですが後悔していません。
でも、もしかしたらこれ以上の負担をかけずに、家でマッサージしていたら治ったのかなあ(このマッサージについても、少しだけスピリチュアルな話がありますが、それはまた後日書きます)?そんなこともやっぱり考えてしまいます。
どちらにしても、天命だったと思うしかないのかもしれません…
病院に連れて行かずにこうなったら、あんなに息が荒かったのに、なぜ病院に行かずに放置したんだ、と自分を責めるに決まっています。
病院が大嫌いで、大嫌いなあまり病院に行くよ~と言うと「もう治った」とやっていたくらいのこうそんです。
それなのに、今回は病院に行かせてくれました。
最後に、「Aちゃんとママが後悔しないように、病院に行くよ」と頑張ってくれたとしか思えないです。実際に、こうそんとお別れしてすぐの時に「でも・・・病院に行っておいてよかった。これで病院さえ行っていなかったら、今頃ものすごい後悔になってたね」「Aちゃんのおかげだよ」という会話を二人でしました。
体温計をおしりにいれられて「やだ!」と怒ったり、注射も痛かったね。ごめんね。
でも、そのあとは本当に息は楽になっていたよね。注射のおかげか、なでなでのおかげかは分からないけど。
それでも疲れた体に、あのお薬はもうつらかったよね。たくさん頑張ったね。
もっと体力つけていたらよかったのかもしれないね。こうそんはマッタリしているのが好きだったから、忙しいついでにそのままにしちゃっていたママが悪いよ。本当に本当に、ごめんね。
でも、「注射が負担だったのかなあ」という題名で書き始めてから、こうそんがAちゃんとママのためにしてくれたことに、気づけたよ。
こうそん、ありがとう。大好きだよ。。。ずうっと一緒にいようね、ってたくさん言ったよね。その時は、ずうっとこのままの形で私たちと一緒にいてね、という意味だったよ。
でも、同じ形じゃないけれど今だってずうっと一緒だよ。ずうっと一緒にいようね。時々ガブっ!ってやっても、こうそんのことだいすきだよ。
動物病院では小さくて色も緑色で薄かったけれど、ちゃんとうんちを5個くらい出していた。
それが、多分11日の夜に出したと思われるうんちは真っ黒で緩かった感じ(でも、遠赤外線の暖房マットにより乾燥して水分が抜けた状態で発見)のものがくっついた状態で、2~3個ありました。
バイトリルではないけれど、こうそんは以前抗生物質を飲んでから食欲がガクンと落ちて、うんちの状態がものすごく悪くなったことがあります。そのためにその抗生物質はすぐ中止しました。
ただでさえ弱っていた体に、やっぱりあの抗生物質の注射(2本)は、こうそんにとって負担だったのではないかなと…うんちを見ながら思いました。
でも、呼吸が荒すぎて、肺に水の音もしたということなので、あの時は抗生物質の注射を打つしかなかったと思いますし、あの状態で病院にも行かずに様子見などということは絶対にできませんでした。ずっと前、2015年に、同じような状態の時にこうそんが初めて動物病院に行った時も同じ処置だったことを記憶していました。だから注射すると言っている時も「あの時と同じだな」と思いました。当時には肺に鼻水が入っていない状態でしたが。
すこし前の自責と後悔をつづった記事で、確か「バイトリルの水薬が出たけれど、17時ころに注射を2本も打ったし、バイトリルは明日の朝からにしよう」と自己判断したのが間違いだったのか。飲ませるべきだったのか?と、後悔の1つとして書いた記憶がありますが、この記事を読み直したらやはり
「明日の朝から3日間、朝と夜にこれを飲ませてください」と抗生物質を頂いた。
と、ありました。判断は間違っていなかったんだ。よかった。
だけど、腸(お腹)の方は心配だったから、その夜に早速酵母菌の粉末をお水に入れたらたくさん飲んでくれていた。
医師を恨んでもいませんし、病院に連れて行ったことは、最初からそうですが後悔していません。
でも、もしかしたらこれ以上の負担をかけずに、家でマッサージしていたら治ったのかなあ(このマッサージについても、少しだけスピリチュアルな話がありますが、それはまた後日書きます)?そんなこともやっぱり考えてしまいます。
どちらにしても、天命だったと思うしかないのかもしれません…
病院に連れて行かずにこうなったら、あんなに息が荒かったのに、なぜ病院に行かずに放置したんだ、と自分を責めるに決まっています。
病院が大嫌いで、大嫌いなあまり病院に行くよ~と言うと「もう治った」とやっていたくらいのこうそんです。
それなのに、今回は病院に行かせてくれました。
最後に、「Aちゃんとママが後悔しないように、病院に行くよ」と頑張ってくれたとしか思えないです。実際に、こうそんとお別れしてすぐの時に「でも・・・病院に行っておいてよかった。これで病院さえ行っていなかったら、今頃ものすごい後悔になってたね」「Aちゃんのおかげだよ」という会話を二人でしました。
体温計をおしりにいれられて「やだ!」と怒ったり、注射も痛かったね。ごめんね。
でも、そのあとは本当に息は楽になっていたよね。注射のおかげか、なでなでのおかげかは分からないけど。
それでも疲れた体に、あのお薬はもうつらかったよね。たくさん頑張ったね。
もっと体力つけていたらよかったのかもしれないね。こうそんはマッタリしているのが好きだったから、忙しいついでにそのままにしちゃっていたママが悪いよ。本当に本当に、ごめんね。
でも、「注射が負担だったのかなあ」という題名で書き始めてから、こうそんがAちゃんとママのためにしてくれたことに、気づけたよ。
こうそん、ありがとう。大好きだよ。。。ずうっと一緒にいようね、ってたくさん言ったよね。その時は、ずうっとこのままの形で私たちと一緒にいてね、という意味だったよ。
でも、同じ形じゃないけれど今だってずうっと一緒だよ。ずうっと一緒にいようね。時々ガブっ!ってやっても、こうそんのことだいすきだよ。