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鼓曲萬来

ハルヲフォンクルーとホーミーちゃん

ファンキーダッコをリリースした頃
ハルヲフォンに楽器車がやってきた
バンドをやり始めた頃の憧れと言えば
それは紛れも無く自前の楽器車だったのだ

今と違って
仕事に手持ちだけという状況ではなく
アンプからドラム、ヴォーカルアンプ、キーヴォード、ギター、ベース
エコーチェンバーに至るまで
全てを自分たちで積み込み、仕事場迄運搬していた時代
だから楽器車を持っているバンドは
それは即完全にプロのバンドでもあり
憧れでもあったし
いつか自分たちもという気持ちにもなったのである

で、やって来た、ハルヲフォンモーヴィル!
タマの親父が
当時の日産ホーミーを改造して作ってくれたのだ

色はブラック、屋根がオレンジ
窓は潰されてあって
ボディに白字でハルヲフォンと書いてある
正にその車で日本全国を駆け巡った

しかし残念ながらファンキーダッコハルヲフォン号の写真は
一枚も手元に残っておりません
もしどなたかが当時奇特にも写真に写していたり
耳無し芳一のように車体に無数の落書きやサインがあったから
もしかして記念に残している方もおられる可能性もあるので
その場合は連絡を頂けると有難いのです

で、まあ何故そんな古い車の事等
つらつらと書いているのかと申しますと

当時常に一緒に行動しておりました
マネージャーの巻と
ボーやのヒロの事をふと思い出したからなのです

そういった意味では楽器車、坊や、マネージャーは
言わばバンドの三種の神器

巻は私の2年後輩
そういった経験はなかったんですが
鬼瓦権造のような風貌と
「無神経巻」と異名をとる程の押しの強さを買われて
仲間に引き入れた訳であります

どの位押しが強いかと申しますと
かの裕也さんから
他のバンドにギャランティ出来ない時でも
喚き、あげくは泣き落としまで駆使して
ギャラを確保してくるという

そして生意気にも当時フェアレディZ等に乗っておりまして
我々が演奏中によく馬券を調達しに行方をくらましておりました

近田のステージ上でのMC
「巻!巻!いる?いない...あの野郎又馬券買いに行きやがった!」
というのを聞いたファンの方も多かったのではw

そういった男でありましたが
会いたいですな、巻に
まあ、風の噂ではなにかやらかして
フィリッピン方面で見かけたという情報もございます

ヒロは新宿2丁目サブマリンというゲイバーのウエイターでした
それを巻が口説いてローディに誘った訳で
まさに「調子良くて当たり前」の男でありました

車、ローディ、マネージャー合わせての
ハルヲフォンなのであります

小林克己も巻もヒロもいない状態で
その名前を使うのは道義上どうなのかという
話もございました

しかし長い時間も経ちまして
世の中に時効という事もありますし
彼らもそこら辺は気持ち良く許可してくれるのではないかとも
そう、思う次第です。
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