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りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

田名向原遺跡/近所の遺跡

2022-05-19 03:35:18 |  日 記 
相模原の河岸段丘は大きく分けると3段構成になっている。
わが家が位置するのは最上段。
地質的には一番上が一番古いということになる。
2段目に原当麻駅などがあって、そのさらに下の3段目に無量光寺などがある。
この面から延びる道に橋などがかかっているので、普通、この3段目が川にもっとも近そうに見える。
だが、そこから少し上流の方へ向かうと、4段目が出現する。
実はこの4段目が相模川に一番近い。
そして、地質的にはここが一番新しい。
この面に旧石器時代の住居跡を含む田名向原遺跡はある。

縄文中期の当麻遺跡第3地点などはここからすぐのところに位置しているがそこは段丘の2段目の端っこに位置する。4段目から2段目を眺めれば、かなりの高さを感じる。
「間に1万5千年もあるんじゃ、全然関係ないのですかね〜。」
うーん。そいつはわからんね(^o^;)
直接の関係を示すことはできないけど、1万5千年という時間の長さが、逆にまったく関係ないって断じることをむずかしくさせるのでは?
それに、市内からは3万年前の各種石器が見つかってもいる。
旧石器時代の前期のものがあるっていうことを考えると、このあたりで生き続けてきた先輩がたの足跡は、3万年とか、そういうレベルで遡れるっていうことだけは確かなのだ。

田名向原遺跡には旧石器時代の住居跡だけがあるのではない。
縄文時代の住居跡の他に古墳も多数存在している。
当麻遺跡第3地点の近く、R129を跨いだ水道施設のあたりでも古墳が発見されていて、今でも一基は保存されていると聞く。
対岸の厚木にも依知古墳群が存在するし。
縄文から古墳時代へと続く長い時間でも、その連続性を否定する方がむずかしいだろうね。
相模川流域一帯で人は営みを続けてきた。
少なくとも、旧石器時代からの痕跡は残されていて、それが今にいたるまで、リアルにつながっているというわけだ。


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