今年は、よく夢を見る。
いままでだって特別に記憶に残っていた夢というのはあった。
いつかの夢は、不思議なほど現実とつながっていたり。
明け方の電話でたたき起こされた時に、電話の内容にこそ驚くべきだったのに、電話で聞かされた内容が、さっきまで見ていた夢とあまりにも自然につながっていて、その不思議の方がいつまでも気になった。
とは言っても、これはかなりのレアな類。普段見る夢にはちゃんと現実と夢の境界がある。さすがに、夢と現実の区別はついている(^o^;)
それにしても、不思議なほど脈絡がない。不連続なシーンがどうしたらひとまとまりのストーリー仕立てに構成されるのか?
夢はあれで、ある種の編集過程を通過した結果なのかもしれないなぁ。
目覚めた時にぐったりしていたというくらい、やたらとリアルな緊張を強いる夢をたくさん見ていた時期があった。
一大巨編というか、冒険活劇の中で、長らく暮らしていたような、そんな夢のシリーズもある。シリーズと言っても、ストーリーはバラバラ。
まったく知らない都市に暮らしていて、そこにどこかの国の特殊部隊がなぜか僕を狙いにきたので、返り討ちにしてやったこともある(≧∇≦)b
面識なんかあるわけもないのに、アンソニー・ホプキンス氏にシャンパンを注いでもらったこととか、安倍元総理と喫茶店でコーヒーを一緒に飲んだこととか、そういうことも夢の中でならあった。
この頃は飛ぶ夢というのはからっきし見なくなったが、やけに冒険的なドライブの夢をよく見るようになった。直近に見た夢では、垂直に切り立った壁のような「道」を、ものすごい出力で駆け上ったりもしている。
ただ、どれもこれも、夢としては独立していて、連続していない。
今年、よく見る夢は、さらにごちゃごちゃになっていて、イメージが断片化している。いままで見てきたような、まとまったスケールというのがない。
ただ、見たあとに、不思議な心地よさはあったりする(*‘ω‘ *)
そうしたいろんな夢の断片は、目覚めてすぐにさっちゃんに話すことが多い。
話せるほどにはっきりした夢に限定されるが、それも言うほど簡単にはいかない。やたらと断片的だし(^o^;)
さっちゃんは「わたしも夢は見てるんだろうけど、覚えている夢って全然ないんだよね〜」と言う。
そうなのΣ(゚∀゚ノ)ノ
その何気ないひとことの方が、僕には衝撃的だよ(^o^;)
夢の記憶が全然ない、ってことが僕にはまったくピンとこないないのだけど(^ω^ゞ
しかし、それは逆も然り。
さっちゃんにとって、全然ピンとこない夢の話を、僕から定期的に、しかも山ほど聞かされてたっていう。。。そういうことになりますな(^o^;)
なんか、すみません(^ω^ゞ
それじゃ、いままでたくさん話してきた夢のリアルさっていうのは、あんまりどころか、全然伝わってなかった(・o・)?
「そんなことはないよ。ちゃんとお話になってるから。」
ふむ(*‘ω‘ *)
まぁ、わかりやすく、ちょいちょい補正しちゃってるっていうことにはなるのかな(^o^;)?
ホントにリアルな夢ってのは、なかなかレアなので(*^ω^)b
「そんなにたくさん夢を見るなら、いっそ日記つけてみたら?夢日記。あるでしょ?そういうの。」
ふむ(*‘ω‘ *)
それ、若い時に何度かやってみたことがあるんだよね。
「やってみようとはした」というのが、より正確(*^ω^)b
日記帳をこれと決めて、枕元に置く。
たったそれだけのことなんだが、これをやると、なぜか途端に夢を見なくなってしまうというか、見ていても覚えられなくなるというか。
なので、やたらと夢を見るくせに、僕は「夢日記」を書けた試しがない(^ω^ゞ
ま、このブログにたまに書いたりすることはあるけど(^ω^ゞ
それが一番、「夢日記」っぽい。
しかし、こういうのも、なにかのきっかけではあるので、何年ぶりにか?1冊、ノートを用意してみた。
そしたら、どうしてそうなるのか?これが、ちっとも夢を見なくなったのである(*‘ω‘ *)
変なところがきっちりしているんだよなぁ(´ε`;)
というわけで、「夢日記」とタイトルだけを書きつけてしまったノートは、いまだに白紙のまんまなのである(´ε`;)
いままでだって特別に記憶に残っていた夢というのはあった。
いつかの夢は、不思議なほど現実とつながっていたり。
明け方の電話でたたき起こされた時に、電話の内容にこそ驚くべきだったのに、電話で聞かされた内容が、さっきまで見ていた夢とあまりにも自然につながっていて、その不思議の方がいつまでも気になった。
とは言っても、これはかなりのレアな類。普段見る夢にはちゃんと現実と夢の境界がある。さすがに、夢と現実の区別はついている(^o^;)
それにしても、不思議なほど脈絡がない。不連続なシーンがどうしたらひとまとまりのストーリー仕立てに構成されるのか?
夢はあれで、ある種の編集過程を通過した結果なのかもしれないなぁ。
目覚めた時にぐったりしていたというくらい、やたらとリアルな緊張を強いる夢をたくさん見ていた時期があった。
一大巨編というか、冒険活劇の中で、長らく暮らしていたような、そんな夢のシリーズもある。シリーズと言っても、ストーリーはバラバラ。
まったく知らない都市に暮らしていて、そこにどこかの国の特殊部隊がなぜか僕を狙いにきたので、返り討ちにしてやったこともある(≧∇≦)b
面識なんかあるわけもないのに、アンソニー・ホプキンス氏にシャンパンを注いでもらったこととか、安倍元総理と喫茶店でコーヒーを一緒に飲んだこととか、そういうことも夢の中でならあった。
この頃は飛ぶ夢というのはからっきし見なくなったが、やけに冒険的なドライブの夢をよく見るようになった。直近に見た夢では、垂直に切り立った壁のような「道」を、ものすごい出力で駆け上ったりもしている。
ただ、どれもこれも、夢としては独立していて、連続していない。
今年、よく見る夢は、さらにごちゃごちゃになっていて、イメージが断片化している。いままで見てきたような、まとまったスケールというのがない。
ただ、見たあとに、不思議な心地よさはあったりする(*‘ω‘ *)
そうしたいろんな夢の断片は、目覚めてすぐにさっちゃんに話すことが多い。
話せるほどにはっきりした夢に限定されるが、それも言うほど簡単にはいかない。やたらと断片的だし(^o^;)
さっちゃんは「わたしも夢は見てるんだろうけど、覚えている夢って全然ないんだよね〜」と言う。
そうなのΣ(゚∀゚ノ)ノ
その何気ないひとことの方が、僕には衝撃的だよ(^o^;)
夢の記憶が全然ない、ってことが僕にはまったくピンとこないないのだけど(^ω^ゞ
しかし、それは逆も然り。
さっちゃんにとって、全然ピンとこない夢の話を、僕から定期的に、しかも山ほど聞かされてたっていう。。。そういうことになりますな(^o^;)
なんか、すみません(^ω^ゞ
それじゃ、いままでたくさん話してきた夢のリアルさっていうのは、あんまりどころか、全然伝わってなかった(・o・)?
「そんなことはないよ。ちゃんとお話になってるから。」
ふむ(*‘ω‘ *)
まぁ、わかりやすく、ちょいちょい補正しちゃってるっていうことにはなるのかな(^o^;)?
ホントにリアルな夢ってのは、なかなかレアなので(*^ω^)b
「そんなにたくさん夢を見るなら、いっそ日記つけてみたら?夢日記。あるでしょ?そういうの。」
ふむ(*‘ω‘ *)
それ、若い時に何度かやってみたことがあるんだよね。
「やってみようとはした」というのが、より正確(*^ω^)b
日記帳をこれと決めて、枕元に置く。
たったそれだけのことなんだが、これをやると、なぜか途端に夢を見なくなってしまうというか、見ていても覚えられなくなるというか。
なので、やたらと夢を見るくせに、僕は「夢日記」を書けた試しがない(^ω^ゞ
ま、このブログにたまに書いたりすることはあるけど(^ω^ゞ
それが一番、「夢日記」っぽい。
しかし、こういうのも、なにかのきっかけではあるので、何年ぶりにか?1冊、ノートを用意してみた。
そしたら、どうしてそうなるのか?これが、ちっとも夢を見なくなったのである(*‘ω‘ *)
変なところがきっちりしているんだよなぁ(´ε`;)
というわけで、「夢日記」とタイトルだけを書きつけてしまったノートは、いまだに白紙のまんまなのである(´ε`;)