りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

ご先祖様は神様Σ(゚∀゚ノ)ノ

2023-10-14 18:03:20 | 更級日記
「更級日記」の作者、菅原孝標女が天神様、菅原道真公の子孫であることは有名な話。
「ひいひいおじいちゃん」で、たぶん合ってると思うのだけど、彼女にとっては身内と呼ぶにはいささか遠いが、神様と言うには、現世を生きる自分にあまりにも近いご先祖様、それが道真公ということになる。

道真公が生きた時代と彼女が「更級日記」を書いた頃との間には百年を超える時間が横たわっている。ん?百五十年くらいかな?
教科書的年表では大したことない開きだが、百年なり、百五十年という時間には実際に生きた人々、何世代分もの人生が詰まっている。決して短くはない。
個人的な感覚の話になるけど、僕自身は父方の祖母だけしか知らない。短い期間ではあったが、一緒に暮らしていたのはこの祖母だけ。母方の祖母は僕が生まれてすぐに他界してしまった。祖父とか、おじいちゃんという存在については、父方、母方の両方をまったく知らない。
であるからして、「ひいおじいちゃん」がどんな人だったか?なんてことは見当もつかない。ましてや「ひいひいおじいちゃん」なんて、想像すること自体が思いもよらない。
しかし、彼女の場合はまったく事情が異なる。
「ひいひいおじいちゃん」が「天神様」であり、しかも崇徳院や平将門公よりも前に、ひと足早く「大怨霊」の称号を頂いている。「日本三大怨霊」と畏れられる祟り神の筆頭であるという事実。
そういう家に生まれた彼女にとって、「ひいひいおじいちゃん」が「大怨霊」であり、「神様」であることは、人生の最初から「あたりまえ」の、つまり所与の条件なのだが、客観的に見ると、これはなかなかぶっ飛んだ事実だったに違いないと思うのだ( ・ิω・ิ)b
「大怨霊」に成り果てるというのは、これはオオゴトで、極めて特殊で、特別な事態。世の中に恨みつらみは数知れず。だからといって「大怨霊」なんて、なろうと思ってなれるものでもない。

「菅原道真」の子孫にとって、この百年がどういった意味を持っていたのか?
「源氏物語」に憧れる少女の頃の自分を懐かしく語る菅原孝標女の生きた時代とは、藤原氏の権勢が絶頂を極めた時代でもある。かつて菅原氏と藤原氏との間にあった軋轢を、彼女、菅原孝標女のまったく知るところではない。。。とするのは、どこか不思議というか、すっとぼけるにしてもたいがいにしてください!っていう気分にはなる(^o^;)
「更級日記」は「回想録」的側面が強調されてもいる。本当に「幼い頃には思いもよりませんでしたわ」くらいには「すっとぼけ」た態度を取ったのかもしれん。
むしろその方が、こちらとしても腑に落ちるというもの(^o^;)

貴族間において、軋轢がなくなることはない。おそらくは永遠に。だが、軋轢以上に、ご縁の方がさらに濃くなっていく。これもまた、然り。
「蜻蛉日記」の作者として知られる藤原道綱母は、菅原孝標女の母方の叔母にあたる。藤原氏とは(この場合は藤原北家)、遠くご親戚の間柄なのだ。
しかも、その子、藤原道綱は大納言にまでなられているので、彼女に近いご親戚の中では、これはもう非常に高い地位にまで上り詰めた出世頭と言ってよい。
そんな関係性にありつつも、菅原の家は「受領」という国司の地位にあった。
「更級日記」の冒頭に描かれた地は上総の国。菅原孝標が任ぜられたのは上総の国の国司だったわけだが、上総介という立場はちょっと特殊。どうして上総守ではなく、上総介という立場になるのか?というと、親王直轄という土地であるため、赴任する役人は副長官的な地位になる。
県知事は親王で、実際に任地に赴く副知事が実質上の県知事みたいな。
いずれにしても、「受領」という地位は決して低いものではないのだけれど、権勢の中心からはだいぶ離れている。

藤原氏と菅原氏。
両氏とも、実は神話の時代にまで遡るお家柄。
藤原氏のもともとは、言わずと知れた中臣氏ではあるが、神話では天岩戸開きにも重要な役どころで登場する天児屋根命にまで遡る、つまりは「天津神」をその祖とする。
菅原氏は道真公から見てさらに「ひいひいおじいちゃん」の時代に菅原の名を賜った。それ以前は土師氏を名乗っている。神話では、天照大御神と須佐男命との誓約(うけひ)のシーンで生み出された神々の内の一柱、天穂日命を祖神とする。つまりは「天津神」を祖にする。
土師の姓は野見宿禰が垂仁天皇から賜ったとされているので、それはもう古くからひたすらに天皇にお仕えしてきた氏族なのである。

土師氏については、語るにしても複雑すぎて、僕などではうまく整理できない。
だけど、「日本」のことを少し語ろうとすると、そうとは知らずに、かの氏族のやってきた仕事に触れてしまうことになるだろう。
それよりもなによりも、「更級日記」において、「天照大神」というキーワードが唐突に彼女の夢で語られることの必然性をここでは指摘しておきたい。
詳しく語られることはないにも関わらず、そこに「天照大神」のお名前を書き込む必然性が確かにあって、ただ、「そんなことは若い頃には思いもよらなかった」という素直な、というよりは控え目な、どこか言い訳めいた、あるいは少々すっとぼけた告白には、本当は譲れぬプライドが隠れている。僕には「更級日記」がそんな風に読めてしまうのである。

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