先日のブログでは、「なんで会津に行ったの、で・どうしたの」という部分がすっかり
抜け落ちていたので(笑) 仕切りなおしといきましょう
私の急遽下界を捨てる為に選んだ仕事というのは、半導体検査の仕事でした
※半導体というのは、パソコンや携帯電話にはなくてはならないパーツ
綺麗な水のある場所でないと作れないのだそうです
会津でも外れの方、喜多方の町までの間にある「塩川町」というところに巨大な
半導体のアメリカの会社があるんです
私はそこで働く為、地元の派遣会社に部屋を手配してもらい、着の身着のままで埼玉を出ました
秋でしたから、気候的にはとてもいい…再出発には適した時期でした
カルチャーショックと言うんですかね…観光地としての会津とはまた違った町の人の印象…
私が関東の人間という理由だけでよそ者扱いは驚きましたねぇ…
もともと閉鎖的な土地柄なのかもしれませんが…完全村八分とはあのような事を言うのでしょう
私達派遣社員は常に固まっていましたね(苦笑)
「どうせ帰る人間」そういう思いもあったのかもしれません
なかなか打ち解けないんですよ…で、私も若かったからじゃぁ構わないでくれと肩で風をきった
まったくの知らない土地でのたった一人の戦い…それは会津の厳しい冬のように私の心に影を落とした
真冬になると朝決まって車は雪に埋もれ、誰の助けも借りず雪かきをし…
会社では地元の人間とは一言もしゃべらず、たかが布団干しでもアドバイスがないから大騒ぎ(苦笑)
布団はねぇ…冬晴れたからってあっちでは外に干さないんですよ
解けた屋根の上の雪が、バチャバチャ水をはね散らかして絶対濡れてしまう
でも暮らしも2年目に入るとですね…地元の人のいらぬおせっかいが始まるんです
あっちの方って女が25過ぎて一人でいると、放っておかないわけですよ…
今思い出しても「ほっとけ 更にほっとけ」って思うんですけどね(笑)
つまんな~~い地元の工場のヤモメ男との見合いが数多くセッティングされるわけです
あぁぁぁ~~~虫唾が走るよ~~~すごくliveに復帰したかったこの時期
このあたりかなぁ…土地に合わない、オイラは帰るぞって気持ちになってきたのは
今思い出しても腹が立つ、つまらない磐梯山・五色沼&桧原湖デート…
話つまらない、帰してくれっつーの
こういう時奴らは私の本性を知るわけで、まぁそれはちょこっと面白かったかな(爆)
普段しゃべらないから、物静かなイメージを勝手に作ってたみたいでね…
奈落の底にたたき落とすのが、ちょっと趣味になってきてました
だって奴らより、ぜんぜん男っぽかったから(爆)
「ナヨッてんじゃね~~~」
誓って言いますが、元女暴走族とかそういう事はありませんので…
ダメか…説得力ないか(笑)
3年間の会津・世捨て人生活は、母の病気という突然の展開にピリオドを打つ事になります
私が家族を救います そのバイタリティーは会津の雪が育ててくれたのかもしれません
一時期はそれで町おこしみたいな所でしたね
私も今までずっと地方とはいえ街中に住んでいて、結婚して転勤族のだんなの勤務地に来たんですが
初めての田舎暮らし、慣れない事ばかりでした…
まぁ住んでみればいい所もあるんですが
違うところから来た身には正直戸惑うことばかりで
ホントストレスだらけの毎日でした。あまり長くストレス引きずることはそれまでなかったんですけど…
でも旦那の仕事が地域に関わらないとならない内容だし、積極的に地元の人と交流持っていたので
私も地域の人と関わる事ができて少しずつ馴染んで今はまずまず楽しく暮らしています
すみません、長くなってしまったので
別にメールしてみました
ご迷惑でなければ読んでくださいね
あけるさんの話とか聞いててフムフムと頷く事あります
姉が嫁に行った田舎(母の故郷なんだけど)でも村八分みたいにされてたし
その土地土地によっていろいろと常識ってあるもんね。
規模は違えど会社もそうですね
私の会社も昔は「夕方のトイレは皆で行く」って決まりがあって
「はぁ??」って感じでしたよ(笑)
でもお見合いは嫌だな...
そうなの、閉鎖的⇒お世話焼きになるのね。。。
人付き合いも ほどほどの距離が ありがたいですよね。
たまに、急に訪ねてきた人に 「今日は 散らかっているから。。。」と断っても 「気にしないから」って上がって来られたりすると あせりますね。私が気にするんです~!
空気が読めない人が 苦手かな?
父ちゃん一家が今現在のこの土地を借りて家を建て引っ越して来たのは40年程前。
引っ越して間もなく区画整理があり地元の人が調査に来た時に
「借地人」と言われたことが今も忘れられず、事あるごとに
「どうせうちは借地人だから老人会にだって絶対に入るもんか」って怒ってます。
相当悔しかったみたいですね。
そして私は近所の医院に勤めていることもあって
ここいらの土地持ちの地主さんたちとは顔見知りでありますので
そういう方々と親しげに話す私のことも気に入らない様子であります
困った方です
思ってました。
けれど(しつこい)私も実家から遠くても1時間のところまでしか住んだ
ことないのでやっぱり憧れはありますね
実行する勇気はないのだけれど。
心身共に疲れ果てた時、私も世捨て人になりたいと何度思ったかしれません。
昨年は、沖縄でのんびり暮らしたいとわめいていました(苦笑)。
しかし、喘息持ちの私には、台風が悪化の原因となるので沖縄は無理なのです~。
頭を冷やし、東京で頑張っています(苦笑)。
だけど、ちょっと地方の見知らぬ土地で暮らすのは大変なんですね~。
このお話…ここ最近の中で一番心に染みました。
長文失礼しました…では。
会津に撮影合宿に行ったとき
同じようなこと味わったな 。。
わたしらは会津の人の家にホームステイを 2 週間くらいだったと思うんだけどして、
交流を深めつつ、それを通して会津を撮ってくるというもの。
わかかったわたしにはかなりしんどかったです 。。
方言が強くて言ってることもわかならかったし、
あんまり歓迎されてないようなとこもあり 。。。。
今だったらもうちょっといろんなものを見つけてくることが出来そうな気がする。
だっていくら好きな人と一緒と言っても、自分で好んで行くわけではないですから
後ほどメールでお返事しますが
私の方も、どこかで地元の人たちと最初から距離をおきたがっていたところもあるから
私の言い分だけが正しいとも言い切れないんですが
でも心を開かないで数年間過ごすというのは、精神的によくない
それだけは痛感した3年間でした
だけはしないでくださいね
ミーシャちゃんじゃないけど、バリバリッて引っかきたくなっちゃうと思うよ(爆)
生まれた町を離れるというのは、こんなにも大変なんだと実感した3年間でした
田舎⇒都会ならいいのかもしれませんが、逆はきついです
ストレスの度合いはさまざまだけれど、ある程度は覚悟しないと
『北の国から』というより『Dr.コトー診療所』の感覚に近かったなぁ~~
密な感じはしましたね
いや…それが好きであえて行く人であれば、それも楽しいのかもしれない
でもあの生活でよかった事、学んだ事もありましたから、嫌な思いばかりでもないんですよ
例えば、ものすごく深く「自分」というものを考える時間があった
後は趣味のマンガがいっぱい描けた
我慢強くなった…
いい体験だったかもしれません