しーさるの鉄日記

駅降り行動:樽見鉄道

鉄道とは関係ない用を済ませ、大阪621の快速で一路東へ。早朝とはいえ、席が7割埋まるくらいの利用率、新大阪で大半が降りるのかと思っていたら、思ったほど降りず利用率は大して変わらない。長岡京を出る頃には立ち席も出て、京都でさらに混んできた。目立って空いてきたのは野洲を出た頃から。それ以降は減っていく一方だった。

米原で豊橋行きに乗り換え、大垣へ。ホーム上の樽見鉄道事務室で、鮎3匹&1日フリーきっぷを買って、鮎の甘露煮をもらった。樽見鉄道のフリーきっぷは温泉入浴つきのものが通年売られているが、今日は温泉に行くヒマがない。そんな状況に於いて、鮎の甘露煮をおみやげとして持ち帰れるきっぷが設定されたのは、ついている。ただし、甘露煮が好きという前提でね。

大垣910の列車で駅降り開始、まず一つ飛ばして、左片面の横屋へ。島式の東大垣はホームから東海道線が見えるが、向こう側には駅がない。左片面の十九条から、左片面の美江寺までは、柿の木の間を20分ほど駅歩きした。

一駅飛ばして、右片面のモレラ岐阜へ。10時代で前の列車と40分開く樽見行だったが、40人いた客のうち3分の2に相当する26人が下車した。ホーム上に待合室がある他、ホームから微妙に離れたところにも待合室がある。

一駅戻って島式の北方真桑へ。駅から大垣方向へ歩いて数分のところに、名鉄揖斐線の廃線跡の築堤があった。北方真桑からは、モレラ需要に応えるために土日のみ設定された列車、列車はちゃんとニーズに見合っているようで、30人いた乗客は全員モレラ岐阜で降りて、貸し切り状態になってしまった。

左片面の糸貫から、車庫があり側線つき島式の本巣まで40分近く駅歩き。二駅飛ばして左片面の谷汲口へ。駅名の通り、谷汲山行きのワンコインバスがすぐに接続している。谷汲口から木知原(こちぼら)まで20分以上駅歩き、その途中今回の駅降りで唯一見つけたコンビニで昼食を調達し、待合室で食べた。本巣の隣、織部は右片面、道の駅に隣接している駅で、ホーム裏にはコスモスが綺麗に咲いていた。

織部からは、谷汲口の3つ先の鍋原(なべら)へワープ、木知原の原は『ぼら』だが鍋原の原は『ら』だけである。そんなこともあってか、ドア上路線図やポケット時刻表には平仮名表記もついている。右片面の鍋原から左片面の高科まで20分ほど駅歩き、島式の神海(こうみ)で折り返す。この神海から先が開業したのは平成に入ってからだった。

神海から左片面の水鳥(みどり)へワープ。駅前には明治時代のM8の地震で発生した断層があった。資料館もあったのだが、時間の兼ね合いで見ることができなかった。右片面の高尾から左片面の日当まで30分以上の駅歩き、新道は1キロ近いトンネルだったので車の通らない旧道を選んだら思った以上に不気味だった。

島式の樽見に17時34分に着いて、樽見鉄道の駅降りは8時間20分ほどで終了した。帰りもやはりモレラ岐阜から30人ぐらい乗車、途中駅で降りたのは5人ぐらいでほとんどが大垣下車だった。

大垣からは東海道線と新幹線の乗り継いで帰京した。

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