見出し画像

しーさるの鉄日記

水戸線改修駅巡り

友部からは水戸線、10時21分の小山行に乗って西へ向かう。降りたのは5駅目の羽黒、珍しく島式構造なので8分以内にこ線橋を2回昇り降りすることになる。常磐線の橋上駅舎よりマシたけど。羽黒駅の駅舎は2014年2月に、「歴史を継承・発展させ、地域の方から愛される駅 ~『駅で待とう』をもっと増やしたい~」をコンセプトに改築された。最高級銘石である羽黒青糠目石を駅舎の床、カウンター、駅名表に使用、ガラス張りで採光性はよく、屋根や外壁がこげ茶のシックな感じの駅となった。

羽黒からは友部方向へ戻りながら、列車を1本ずつ落として、通過した駅を巡ることにした。小山行は毎時1本の時間帯に入ったが、友部方面は11時代まで毎時2本となっている。羽黒には8分だけ滞在して、10時50分の列車で折り返した。福原着10時55分、福原駅は、2013年3月に近くの常陸国出雲大社をイメージした三角屋根の駅舎に建て替えらた。駅の中は周辺より40㎝ほど高くなっているので、駅左側には緩いスロープが設置されている。駅舎から少し離れて新しめのトイレ、そして昔からのレンガ倉庫があった。駅構内は2面3線だが、交換待ちがなくなったため、今は駅舎側ホームしか使われない棒線構造になっている。

福原発11時23分の列車に乗って、次の稲田で下車する。稲田は隣の福原と同じく、2013年3月に建て替えられた。新しい駅舎は、地元の稲田石を外壁、床、ホームと駅舎の間、窓口カウンターなどに使ったものになった。駅周辺に稲田石という花崗岩の採掘所があり、現在の水戸線が開通したあとは笠間駅から、その後稲田駅を新設して、石材の積み下ろしを行っていた。稲田から運ばれた稲田石は東京駅の赤レンガ駅舎の基礎や、関東大震災で被害を受けた上野駅の再建、国会議事堂にも使われるようになった。その後、トロッコ軌道を敷設したが、トラック輸送に置き換えられて、昭和40年までに軌道は撤去された。稲田駅の貨物扱いはしばらく続いたが、昭和59年に廃止となっている。新駅舎が完成した翌年、2014年には石の百年館を開設、稲田石だけでなく世界中の花崗岩を展示していた。

稲田発12時01分の友部行に乗って、隣の笠間に着いたのは12時05分だった。笠間駅は2017年3月に、出入口が笠間稲荷神社拝殿の笠間朱色を基調としたものになった。待合室もリニューアルして、ショーウィンドウには笠間焼を展示、ホーム向きのカウンター席も設置された。待合室入り口の上にには観光案内を行うモニターも設置された。笠間焼の工房があるのは駅の裏側、駅前は古くからの店があるが、日曜日なので閉まっていた。駅名は笠間だが、先述したように市役所の最寄り駅は友部駅となった。付近を少し散策して12時31分の列車で再び西へ向かった。

笠間市内の改修駅舎巡りを終えたので、午後からは筑西市内の2駅を巡ることにした。40分近く乗って、9駅目の川島には13時09分に着いた。川島駅の駅舎は2015年1月に改築、緩やかで広い屋根は、筑波山や日光の山並みをイメージ、細いステンレス柱とガラス張りの待合室は透き通った鬼怒川をイメージしたものだ。事務室部分は建て替えられた駅舎にしては珍しく広く確保されている。駅舎の改築に合わせ、友部方面ホームに待合室が設置された。下館、友部方面への流動が少ないためだろうか、利用時間は制限されている。駅北側には貨物ヤード跡が広がる。1997年までは秩父鉄道からセメントが運ばれていた。駅前の案内によると、近くの川島河岸は水運の要点として江戸時代から栄えており、明治時代には支線もあった。駅舎の改築に合わせて、駅舎と逆側の北側に筑西市の川島支所が移転してきた。

12分で折り返して、13時21分の友部行に乗車、玉戸、下館をスルーして、13時35分に新治に到着した。駅舎は2021年3月に改築、茨城県産の木材を使った木造駅舎で、屋根は筑波山イメージで緩い三角屋根の隣に斜めの屋根、外壁は群青色となった。待合室は、入り口が紫陽花イメージの和紙を挟んだガラス戸、中には筑波山イメージの変わった形のベンチや一人だけのカウンター席が設置された。ただし、トイレは設置されなかったので、列車が来るまでは、広場の仮設トイレか歩いて5分のところのスーパーを使うしかない。駅前広場は駅舎左方向へ拡大工事中、完成後は車は左側のロータリーを経由することになる。ついでにトイレを設置すればいいのだけど。

新治からは帰るだけになる。13時56分発の小山行に1駅だけ乗車、下館に14時01分に到着した。水戸線では一番大きい駅で、筑西市の玄関口だ。乗り換え列車まで35分あるので、飲食店で昼食をとった。近くでは祭りもやっていたが、見る時間はなかった。午前中には、真岡鐵道のSLの30周年イベントをやっていてJR、関東鉄道、真岡鐵道3社の駅長が揃って、出発式を行なっていた。水戸線の駅巡りを先にやっていたら、見ることができただろう。

下館発14時36分の水海道行(取手行接続)は、上部がクリーム、下部がオレンジの復刻塗色のキハ2400形が充当、下館を出発る数分前には、2019年製造のキハ5020形が入線して、ホームを挟んで並んだ。列車は1両、先行とは50分近く開き、座席は半分以上埋まっていた。下妻で3分停車、ここで少し乗客が増える。その10分後、石下では7分も停車、下りも40分くらいの間隔でそんなにすぐに交換するものなのかと調べたら、下妻で交換した列車は6分も停車していた。3+7+6+10×2で36分だから、こんなものかと。

下館から1時間近くかかって、水海道着15時35分、合計10分の交換待ちもあったため、同区間を36分で走行する快速とは20分以上の所要時間差がある。対面2番線に停車中のキハ2100形に乗り換える。水海道発15時37分、10分で守谷に到着した。

守谷からは、15時55分発のつくばエクスプレスの快速秋葉原行、充当車両は3000系だった。追い抜かれる普通が入線している最中に快速の接近放送が流れたのは、待避線が長いからだろうか。利用率は座席がほとんど埋まるくらいで、流山おおたかの森からは立ち客が発生した。先日のダイヤ改正から八潮に停車して、普通と緩急結合するようになった快速だが、乗って来た客は思ったより少なかった。柏たなか、柏の葉キャンパス、流山セントラルパーク、三郷中央からの客は、つくばからの客に比べて、大幅に少ないということなのだろうか。つくば系統の普通を区間快速に格上げしても良さそうな気がするのだけど。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「その他日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事