アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

こんな時こそ『わたしはマララ』を

2015-11-16 | 南アジア全般

フランスで痛ましいテロ事件が起き、IS(イスラム国)が犯行声明を出しました。自分とは考えの違う相手を暴力でねじ伏せようというのは、どんな場合でも非常に卑劣なやり方です。これはISだけでなく、シリア空爆を行っているアメリカやフランスに対しても言えることなのですが、それと比べても今回のテロは、「自分たちが敵とみなす国にいるだけで殲滅されるべき存在となる」という考えのもと、多くの一般市民を巻き込み犠牲にする形で実行されており、さらに卑劣なテロと言えます。

フランスでのテロ事件では、1月に起きたシャルリー・エブド襲撃事件が思い出されますが、同じくテロで言論を封じ込めようとしたのが、2012年にパキスタンで起きたマララ・ユスフザイさん襲撃事件。女子教育の必要性を主張していた15才の中学生マララ・ユスフザイさんが、下校途中パキスタン・ターリバーン運動(TTP)に襲撃され、瀕死の重傷を負ったのです。その後マララさんは一命を取りとめ、イギリスに移って治療を受けて、現在もイギリスで生活をしています。そのマララさんを取り上げたドキュメンタリー映画『わたしはマララ』が、12月に日本でも公開されることになりました。

昨年はノーベル平和賞も受賞して、さらに世界中から注目されるようになったマララさん。その素顔がよくわかる、ドキュメンタリー映画の秀作ですが、それと共にテロとの戦いについてもいろんな示唆に富む作品となっています。では、まずは基本データをどうぞ。(以下、敬称略)

© 2015 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.

『わたしはマララ』 公式サイト

2015年/アメリカ/英語(一部パシュトー語)/88分/ドキュメンタリー映画/原題:He Named Me Malala
 監督:デイヴィス・グッゲンハイム
 出演:マララ・ユスフザイとその家族
 配給:20世紀フォックス映画
 宣伝:樂舎
12月11日(金)より TOHOシネマズ みゆき座ほか全国ロードショー

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映画は、静かな声だけのインタビューから始まります。アメリカのゴア元副大統領の環境問題に関する講演を追ったドキュメンタリー映画『不都合な真実』(2006)の監督デイヴィス・グッゲンハイムが、マララにいろいろ尋ねているのです。

この映画は当初劇映画として企画されたのですが、製作側が事前調査のためマララとその家族に会ったところ、彼らにすっかり魅了されてしまい、マララ自身を登場させる作品として、グッゲンハイム監督によるドキュメンタリー映画という形になったのだとか。グッゲンハイム監督はまずカメラを入れないで、録音だけの長時間インタビューというか話し合いをし、マララとその家族の心を解きほぐしていったのです。このグッゲンハイム監督の控えめなアプローチが見事に効果を発揮し、マララとその家族が素顔を見せて語ってくれる優れた記録になっています。

マララは、パキスタン西北部に住むパシュトウーン族の出身です。パシュトウーン人はアフガニスタンからパキスタンにかけて居住している民族で、インドではパターン人とも呼ばれています。彼らは、イギリスがアフガニスタンを手中に収めようとして起こした第二次アフガン戦争(1878-1881)でも勇敢に戦ったのですが、その中で、「奴隷として100年生きるより、獅子として1日を生きたい」と叫んで彼らの士気を鼓舞した若き女性の話が半ば伝説のように伝えられてきました。その女性の名は、マイワンドのマラライ(またはマララ)。マララの名前は、この「マラライ(マララ)」から取って名付けられたものです。教育者であったマララの父ジアウディン・ユスフザイが名付けたもので、それが英語の原題にもなっています。

© 2015 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved

映画では、このマラライのエピソードがアニメで描かれるほか、特に前半は家庭や学校といった日常生活でのマララの姿が捉えられ、2人の弟による「姉ちゃんてばねー」といった楽しいバクロ話があったりします。また、父から見たマララ、そして少ししか登場しませんが、母の語りも収録されています。現在イギリスで暮らすマララ一家はほとんどが英語での会話ですが、時には母語のパシュトー語での会話も録音されていて、一家の暮らしぶりと彼らの考え方がよくわかります。

こういったごく当たり前のハイティーン少女マララなのですが、その後襲撃された時の話や映像、そばにいて負傷した友人の話などが登場し、いかに大きな苦難を通ってきた少女であるかがわかってきます。特に回復直後のリハビリの様子は、これまであまり知られていなかっただけにショックでした。

また、パキスタンのマララ一家が住む町にターリバーンがやってきて、人々を取り込み、恐怖支配を敷いていく様もリアルに語られます。ラジオというメディアを巧みに使ったTTPの戦略など背筋が寒くなりますが、そういったターリバーン支配地域の庶民の証言としても貴重なドキュメンタリーです。

© 2015 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved

そして、みんながよく知る国連での演説や、ノーベル平和賞の受賞、アフリカやシリアでの活動など、マララの活躍が描かれていきます。昨年のノーベル平和賞は、マララとインドの社会活動家カイラーシュ・サティヤールティーが受賞しましたが、これはインドとパキスタンの関係に配慮した人選と思われる決定でした。このように、現在でもマララのまわりでは様々な緊張が続いているのです。淡々と描かれていく作品ですが、マララに関する理解がぐっと深まり、彼女の言葉や行動を通して、今の世界がよく見えてくる作品ともなっています。

それにしても感心するのは、マララがしっかりと自分の考えを持ち、行動していること。私も常日頃、マララと同世代の大学生たちに接しているのですが、この映画を見て、日本の若者たちももっと考え深い人になってほしいと思わずにはいられませんでした。自分が同年代だった時は、「もの知らず」と呼ぶのがピッタリの状況だったので強いことは言えないのですが、スマホの奴隷と化している彼らを見ていると、もったいないなあ、と思ってしまいます。教育の機会を求めて闘っている人たちがいる一方で、贅沢な教育の機会が与えられているのに、それを生かそうとしない人たちがいる。そんな矛盾も考えさせられた、『わたしはマララ』でした。



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