アジア映画巡礼

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不思議なドキュメンタリー映画『森のムラブリ』を楽しむ

2022-03-15 | 東南アジア映画

本日の毎日新聞夕刊に大きく取り上げられたのが、金子遊監督のドキュメンタリー映画『森のムラブリ』です。サブタイトルが「インドシナ最後の狩猟民」と言い、タイ北部と隣国ラオスに住んでいるムラブリ族の人々を、彼らの言葉ムラブリ語を研究する若き言語学者伊藤雄馬さんの助けを借りて、映像人類学者の金子遊監督が映像に記録した作品です。今回金子監督が、互いにけなし合っているムラブリ族のグループ同士を会わせるドキュメンタリー映画を撮ることになったのは、伊藤雄馬さんと出会ったことが発端となっており、ムラブリ語を自在に話す伊藤さんがガイド役&通訳を引き受けてくれたことで実現したのでした。ではまずは、映画のデータからどうぞ。

『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』 公式サイト 
 2019年/日本/ムラブリ語、タイ語、北タイ語、ラオ語、日本語/85分/英題:Mlabri in the Woods(多言語が登場するため、字幕のフォントが変えてあって、ムラブリ語は明朝体、その他の言語はゴシック体になっています)
 監督・撮影・編集:金子遊
 主演:伊藤雄馬
   (タイのドーイプライワン村)ウォン、サック、キット
   (タイのフワイヤク村)パー、ロン、シー、カ、ペンシー、マット、クー、シュア、ポほか
   (ラオスのA村)ティン、ソム、ペンほか
   (ラオスのムラブリ)カムノイ、ルン、ナンノイ、リー、ブン、スワン、ミー、レック
 製作:幻視社
 配給:オムロ
3月19日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

お話は、タイ北部のラオスと国境を接する地域にあるドーイプライワン村から始まります。山また山に囲まれた粗末な家に暮らす3人の男性たち。50代、40代、そして20代という感じでしょうか。家の中にある囲炉裏のような場所で煮炊きをし、そのまま鍋を囲んで、みんなでご飯とスープをスプーンですくい取って食べます。「昔は父母や祖父母もいて、森の中に住んでいたんだ」と語る一番年かさのおじさん。当時の森の中での自給自足生活を語り、今も野生のイモなどを採る様子が映されます。村へ降りていき、商店で買い物をするおじさんたち。「ムラブリは優しいけど、1日中食べてばっかり」と言う商店のお姉さん。食糧を蓄える、料理を作り置きする、というような概念がないようです。

©幻視社

続いてカメラは、同じタイの中のやはり山深い村、フワイヤク村にやってきます。(上写真の左端が、言語学者の伊藤雄馬さんです)こちらには周辺部も合わせて400人ほどのムラブリ族が暮らしているそうで、粗末ながらしっかりした家を作り、モン族の畑で働いたりして現金収入を得ています。おじいさんはムラブリ族の昔の狩猟生活を、記憶を辿って話してくれますが、使う言葉はつい北タイ語になってしまい、家人から「ムラブリ語を使いなさいよ」と注意されたりします。タイへの同化が進みつつあることがうかがえますね。実はムラブリ族は隣国ラオスにもいるようなのですが、行き来はなく、それどころかこの村の人たちには、「あっちのムラブリたちは人食いだ」という情報が定着しているようです。一体ラオス側のムラブリ族は、どんな人たちなのか? それを知るために、伊藤さんと金子監督は、ラオスのファイハーン村を目指して国境を越えます...。

©幻視社

まず、こういった絶滅危惧言語、しかも外国の言語を研究しようという言語学者が存在することに驚かされますが、冒険好きの言語学者なら、一度はそういう言語に出会ってみたい、と思うのかも知れません。誰も研究していない言語の体系を解き明かし、音韻構造や文法構造などを特定して、どの言語の系統なのか、それともどこにも属さないのか、等々を究明していくのは、こう言っては何ですが、推理小説の犯人捜しみたいな高揚感がありそうです。とはいえ無文字社会であるムラブリ族の言語ですから、書き残されたものは一切ないでしょうし、耳だけを頼りに知らない言語を習得していくのは、よほど聴覚と言語理解力に優れていないと無理です。それをクリアして軽々とムラブリ語を話している伊藤さんを見ていると、この人の物語の方もドキュメンタリーとして見てみたい、と思わせられました。

©幻視社

ムラブリの人たちは、この映画を見る限りでは「生きたいように生きている」という感じです。特にラオス側のムラブリの人たちは、身近にある竹を上手に利用して、水の貯蔵容器から魚焼き串まで作ってしまい、これなら移動する時にも捨てるだけで身軽に動けるなあ、と感心させられます。定住ということが価値を持たない社会は面白く、富の蓄積、資産の所有という概念も生まれないこんな社会が今の世界に存続していてもいいのでは、と思わせられました。きっと、見る人それぞれに違う感慨を抱かせるのでは、と思います。

©幻視社

それにしても、ムラブリ族のルーツはどこにあるのでしょう? いつ頃から「森の」ムラブリ族になったのでしょうか? ひょっとして、インドシナ半島に人が住み始めた頃から、コロボックルのように森の葉陰に隠れて暮らし、いろんな王国の栄枯盛衰もすいすいとくぐり抜けて、今日まで生き延びたのでしょうか。そう言えば、手元に「世界民族事典」(弘文堂、2000年)があった、とチェックしてみたら、「ムラブリ」は次のように説明されていました。

©幻視社

「タイ北部に居住するモン-クメール語派系の狩猟採集民で、長年にわたり山中で漂白的な生活を営んできた。彼らは一般に『黄色い葉の精霊』を意味する『ピー・トン・ルアン(Phi Tong Luang)』という名称で呼び習わされているが、これは、バナナの葉などを立てかけた仮小屋を作り、その葉の色が緑から黄色に変わる頃にはすでに次の場所へと移動しているような、その漂白性と神秘性の部分を捉えたタイ人による他称である。彼ら自身は『森の住民』を意味するムラブリを自称している。(中略)前世紀中にラオスのサイヤブリ県からタイ側への移住を開始したとされ、今世紀初頭にはタイ北部の諸県でしばしば目撃されている。タイ側の記録に登場するのは1919年のチャイヤブーム県における記録以降で、1930年代に行われたベルナツィークの調査(※)によって一般にも広く知られることとなったが、本格的な調査が進んだのは1970年代からである。(以下略)(綾部真雄)」

※ベルナツィーク著/大林太良訳「黄色い葉の精霊:インドシナ山岳民族誌」東洋文庫:108、平凡社、1968.(ベルナツィーク(1897 - 1953)は オーストリアの民族学者)

©幻視社

ムラブリ族はタイの人々からは、「ピー(精霊。お化け、幽霊という意味もある)」だと思われてたんですね。最初は何かに追われて山に入り、快適に暮らせることがわかって、身を隠しながら山中を順繰りに移動して行ったのかも知れません。そのうち伊藤雄馬さんが、そういうムラブリ族のフォークロアを聞き出してくれるかも、と期待していましょう。いろんな空想が膨らむこのドキュメンタリー映画、今の時代にこんな人たちがいるんだ、と知るだけでも楽しいです。金子遊監督は多摩美大の先生でもあるのですが、タイ映画を中心にアジア映画にも詳しく、また本作で監督作は5作目というドキュメンタリー作家でもあります。初日である3月19日(土)には、金子監督と出演者の伊藤雄馬さんによるトークショーもありますので、上映館シアター・イメージフォーラムのHPをご参照のうえ、ぜひお出かけ下さい。最後に予告編を付けておきます。

映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』予告編

 


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