映画祭を振り返る その4

2012-01-03 01:28:27 | 代表日記
<12月11日 9日目>
この日最初の上映は劉健監督によるアニメ作品『ピアシングⅠ』。
中国初のインディペンデント長編アニメとして注目されている作品です。
中国絵画からアニメーションに転身し、3年かけてこの作品を作り上げた話などをしてくれました。
よく聞かれることですが、このタイトルは『ピアシング・ワン』です。
『ピアシングⅡ』にあたる大学城という作品を彼は現在製作中で、今年の末にごろを目処に完成させる予定だそうです。


続いての上映は張賛波監督のドキュメンタリー映画『天から落ちてきた!』。
この作品を撮るまでは劇映画を目指していたこと、ニュースでこの村のことを知って何かあると思って出かけたこと、一度は作品のことがメディアに取り上げられ、村の役人に文句を言われたこと、でも上映するなと言われなかったのでその後も上映していることなどを語ってくれました。
この映画の海外での上映に監督が参加するのはこれが初めてだそうです。
中国からなんとロケットの残骸を持参してきてくれて、しかも装置芸術として加工してあるのですが、それを披露してくれました。
本当は日本で購入してくれる人がいたら売りたいと言っていたのですが、残念ながら買い手は現れず、監督は本国へ持ち帰りました。


そして、『ゴーストタウン』上映後はトークショーがありました。
本当は徐童監督と張賛波監督がドキュメンタリーの今について語る予定だったのですが、徐童監督が体調を崩してしまったので急遽内容を変更し、劉健監督と張賛波監督にインディペンデント映画に取り組んでからのこの3年間について語って頂きました。
インディペンデントの作家は程度の差こそあれみな経済的にも苦労しているのですが、比較的成功している劉健監督に対し、人にご飯をたかって暮らしているという張賛波監督はだんだん話すうちに悲壮になってしまいました。
それでも何とかなっているというのが今の中国の現状でもあり、先のことはわかりませんが、皆それなりに頑張っているというのが確認できたトークでした。



12日には、徐童監督と唐小雁さんは大阪のイベントに参加するため移動し、張賛波監督は帰国の途へつきました。
劉健監督は用事があって一日滞在を伸ばして帰国しました。
顧桃監督は13日に東京へ戻ってきて、お土産をたくさん買って、16日に帰って行きました。
ゲストを全員送り出し、16日に映画祭は終了しました。

今回の来場者数は過去最高となり、10本全部見たというお客さんも何人もいたし、多くがたくさんの作品を見て下さいました。
そのうち多くの方が高く評価して下さり、今後も開催してほしいというお言葉もたくさんいただきました。
今回は開催にあたり、多くの方からご支援を賜りましたことに、改めて御礼申し上げます。

さて、関連イベントはまだ続きます。


<12月17日 関連イベント 轟轟烈烈!! 中国インディーズ・ムービー>
全部で4パートにわかれているこのイベントで、この日はパート3とパート4が行われました。
パート3では沙青監督が制作し、2003年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で小川紳介賞を獲った『一緒の時』の上映が行われ、おまけで応亮監督が2010年にロッテルダム国際映画祭でタイガーアワードを受賞した『慰問』も上映されました。
上映後にはトークが行われ、『一緒の時』の撮影当時監督を指導したアジアプレスの野中章弘氏と中国インディペンデント映画祭の代表中山がゲストとして登壇、各作品や中国の制作および上映の状況について語りました。

パート4では、中国初のインディペンデント制作によるドキュメンタリー映画である呉文光の『流浪北京』が上映され、中国ドキュメンタリー映画の字幕翻訳者であり研究者である秋山珠子さんのトークが行われました。
映画は日本語字幕がないため、3人が日本語でセリフを読み上げるというライブ感のある上映でした。
有名ながら上映される機会がほとんどない、伝説的な作品なだけに、貴重な機会です。
また、呉文光とも長く親しい関係にあり、作家たちと直接交流を続けてきた秋山さんのお話は、とても分かりやすく興味深いものでした。
秋山さんは中国インディペンデント映画祭でもいつも素晴らしい通訳をしてくださっています。