そのときどきに
そのひとに
何が起こっているのかによって。
わかりやすく
私たちの目の前に現れるのが
興味、なのかなと思います。
それをどの程度料理して食し、血肉にしていくのかを
とりかかるまえに吟味するひとてまを
大切にしたいなあと最近思うのですよね。
興味が湧いてきたままに
赴くままに
ただそこに頭から突っ込んでいくようなことは
未熟なままに
自分を過信したり不信になったりする選択にもなり得るために
復活するのに時間もちからも要するんじゃないかなあと思うのです。
クリティカルリーディング
「批判的に読む」
って、多角的に理解するために
自分はどうしたいかを深く知るために
論文を読む練習を昔したものですが
今の子供たちも小学生とかからその学習をしていて驚きました。
興味対象について吟味する方法として
向こう側、反対側からから今一度眺めることは
とても有効だと思います。
そしてその結果、
正しい、正しくないに囚われてしまったり
視野を広く長い目で見られなくなってしまったときに
わたしは
自然のある広い場所に赴くようにしています。
すると
吟味の結果が立ち上がってくる感じがする。
行動に至る情熱につながるか、観察どまりで楽しめるか。
(今って、自分さえ良ければのエゴからの興味に飛びつく人は
よくない結果がすぐに出ている感じがしますよね。)
自然の中に入る
一見無駄なような、この一連の流れが
大切なプロセスになることもあるんじゃないかな。
直感に従って突っ走るエネルギーがある時と
そうでない時もあるんだよね、っていう
いったん立ち止まる余白を
自分に残してあげることも優しさかなと思います。
SARA