日本はドンドン亜熱帯の気候になっていることも関係しているように思う。
6月30日、京都山科での同窓会でもある「風」の練習を終えて、駅に向かう支度をしていると突然雷が鳴りだして瞬く間に屋根に叩きつける雨音。トタン屋根に雹(ヒョウ)も降ってけたたましく叩きつける音で、この異常な状態に恐怖をも感じた。
幼稚園の教室の窓から見える運動場も、すぐ横にある幼児用のプールもみるみる水が溜まっていった。
水はけが悪いとこうも見事に水溜りになって行くのかを確かに見た。
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指揮者は杖をついてゆっくりしか歩けない。私たちが5、6分ほどで到着する山科駅にも倍以上はかかるので、この雨ではとても無理。
後輩の潤ちゃんがタクシーに電話するが、タクシーに人が集中しているので、配車がないと悉く断られしまい思案していると、運動場には庭師さんのトラックが、園に置き忘れていた道具類を取りに来ている。
潤ちゃんは土砂降りの中を、トラックに乗せてもらえないかおじさんに交渉しにいった。
初めから無理な話で、トラックは座席が高いし、先ずそこに先生が乗り込むのは誰かの介助がいる。
万が一乗れて駅に着いてもまたサポートが要る。トラックは二人乗り。運転手さんが乗れないことになる(笑)
とてもダメや〜とみんなで諦め半分の数十分が過ぎた頃、幼稚園の牧師さんが用事を済ませて帰ってこられて、先生を送って下さることとなり一件落着。
雨は少し小降りになったかと思えばまた激しくなり、を繰り返している。散々様子を見ていたみんなは、異常な雨足の中誰も「もう少し待とう」と言うこともなく無言で園を出た。
雷が鳴っている中を外出するなんて怖いからしたことないなと思いながら、近隣の車も一層忙しく通るスレスレの道を警戒しながら、途中の狭いガード下の道を足早に抜けると、線路下の横のコンクリートの壁伝いを走りに走って、雨のかからない駐輪場に入った時はみんなの靴はグジュグジュ、ズボンも上衣も濡れている。
しかし、あと数メートルの駅玄関にこの駐輪場は繋がっていないので、また雨の降りしきる中を猛ダッシュ。
狭いスペースの改札口あたりは、私たちとさほど変わらない様子の人たちで溢れかえっていた。
先日の地震の時にJRがとまって乗客がいっぱいになった映像を人ごとのように見たが、その体験をする羽目になった。
とりあえずホームに上がった。しばらく運転を見合せていて普通電車も快速も遅れているという表示で、その内掲示板は「調整中」となりいつ動き出すかもわからなくなった。
大阪方面の空は明るくなって来ていて、雨のピークが過ぎたようだった。
ホームから山科の街中の方を見ると虹🌈が出ていたので撮った。電線が邪魔だが。
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潤ちゃんたち数人は、地下鉄で四条河原町に出て阪急電車で帰るとlineして来た。20分ぐらいホームにいた私たちも急遽このルートに変更する。お陰で何とか帰路につくことができたが、一番早く帰宅できるはずの大津に住む賢子さんは、湖西線が夜8時ごろまで止まって動かず、結局一番遅くなったと後で知った。
これまでの「女声合唱団風」の歴史では、コンサート当日本番演奏中の録音に、落雷の「ドン!」という音が入っていた雨も、風の旅行も、新しいのは今年1月に開かれた指揮者の「米寿のお祝い会」も雨。
私たちに『雨女』が多いと自負していたが、実はボスが『雨男』だったのでは?
散々な山科訪問だったが、忘れられない思い出になったことは間違いない。
そんなこんなの体験記だけではつまらないので、先のブログにアップした萩京子さんの「暗い柳の木立のかげ」と同じく、2005年の『宮澤賢治詞華集』というステージで歌った、萩さんの作品を数曲、you tubeにアップした。林光さんとはまた違った魅力を感じて頂けるのではないかと思う。
「風がおもてでよんでいる」詩集『疾中』所収。賢治にとって風は、対話であり心の交流である。胸の病で病床にある賢治の健康回復への切実な希い。
「馬」詩集『春と修羅』所収。働き手として家族の一員である馬が突然死んでしまった悲しみの詩。
「電車」昔の花巻電鉄の車窓から見た風景。馬に乗った人たちを見てメキシコの風景に似せたユーモラスな詩。カランザはメキシコ革命を収拾した人のこと。
「電線工夫」電線を修理している工夫の姿を悪魔に結びつけて「アラビアンナイト型」だと表現。ユーモアいっぱいの詩。