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一週一信

サ・ 高 ・住のホームに暮らしています。折り折りのつぶやき。

いわさきちひろ 美術館 東京

2024-08-19 09:23:17 | 日記



サ・高・住の老人ホームから。



絵本画家 いわさきちひろ美術館へ行きました。今年はちひろさんが亡くなって50年の年だそうです。



美術館には沢山のお客様が見えておりました。まだまだ人気が高いですね、


今でこそ、絵本画家は認められていますが、以前はまだまだ社会的地位が低かったですね。そんな世の中彼女の描く子ども顔表情は明るく可愛いと評判を呼びました。



5ヶ月の赤ちゃんと8ヶ月の赤ちゃんと顔の表情を描き分けることが出来る~と言われています。


ちひろさんの描く子どもたちは本当に可愛いです。
そして子どもたちに平和を願う絵本を何冊か出版しておられます。主張をはっきり出しておられます。



撮影 2024 8 15

ちひろ美術館
東京都練馬区下石神井4 - 7- 2 月曜日休館

多死時代

2024-08-16 22:18:12 | 日記



サ・高・住の老人ホームから。



多死時代

地下鉄の中で広告を見ていましたらこんな言葉が目に入りました。


まるで私に該当するようでドキリとしました。高齢者が多くなれば自ずと死ぬ人も多くなるでしょうね。

私もあと五年又は十年内に死ぬでしょうね。


日本では今頃年間130万人の方が亡くなり~2040年頃は年間160万人が亡くなるそうです。



多死時代になると何が問題か?
まず火葬場が足りないことだそうです。新た建設場所を探すのも大変だそうです。現状では荼毘にふすのに1週待ち、もあるそう、です。


又死ぬ場所はどこになるか?多くの方が住み慣れた自宅でと考えるらしいのですが、それには多くの人手が必要です。介護の方にお世話なるにしてもヘルパーさんの絶対数が足りません。どうするか?




ひとり者の老人が亡くなって相続の問題が発生します。住んでいた家 土地 財産など、事務的な問題があります。晩年家族や親戚とも交流が途絶え勝ち~誰が最後の事務的手続きをするのでしょうか?



撮影 2024 5月

珍客 タマムシ

2024-08-10 16:10:06 | 日記


サ・高・住の老人ホームから。


或る日我がベランダに玉虫が転がっていて、仰向けで
自分では起き上がれない感じでした。すぐに拾い上げて逃がしてやりました。



それから三週間くらい過ぎた頃 再び同じようにベランダでお腹を上に玉虫が転がっていました。


今度は拾い上げ テーブルの上で、ちょっと写真を撮らして貰いました。


その後
木の葉の上にそっと置いやるとスーと森の方に飛んで行きました。



今頃はどこで、どうしているでしょうか?
あまりにも美しい羽根を持っ所以に余計に目立つ存在になり、心配です。



絶滅危惧種だそうです。

撮影2024 08 04

香港の味

2024-08-03 17:43:58 | 日記





サ・高・住の老人ホームから。


香港の人気料理店が東京にやって来たとか。
早速連れて行って貰いました。
ちょっと発音できない店名「 添好運」


初めて味わうお味も多く楽しいです。そしてお店の雰囲気も庶民的で、実質的な感じで良いですよ。


お客様も中国系の方も多くチャイニーズの言葉が飛び交っていました。


写真
丸いメロンパンのように見えるのは「ベイクド チャシュウ パオ」この店の人気商品。
春巻きは海老と卵白入り
大根餅
デザートは菱形に固めたゼリーです。名前を忘れました。


撮影場所東京都新宿区 サザンテラス店
新宿高島屋の近く

撮影2024 06 22

共働学舎 キリスト教の愛

2024-07-30 20:09:13 | 日記


サ・高・住の老人ホームから。


写真の四角のは
共働学舎で生産されたチーズです。フロマージユ,フレ新鮮なチーズという意味だそうです。



共働学舎~~ってご存知ですか?
宮島眞一郎先生が1974年に始められた愛の学校と言えばよいのか、キリスト教の教えに基づています。
「競争社会ではなく、協力の社会を」


障害があっても無くても、その人に合った力を出して生活をして行くことを目標に始められました。


1974年 長野県小谷村で、水も無い電気も無い村で、自給自足のスタートでした。


農業又酪農を目指して働いてゆかれました。冬は寒い土地 私のような都会人には想像出来無い苦労がお有りだったでしょう、

寒い土地を開墾し牛や山羊を飼い「自労自活」を目指して働いておられます。

志ある人々から共感 応援も増えました。


現在では
長野県には、立屋 、真木学舎
北海道には 寧楽 新得学舎
合計四ヵ所の活動の場があります。
宮島先生がグループが余り大きくなりすぎるとよくないと考えられたから。四ヵ所で、その土地にあった生産を始められた。



近年 北海道の新得学舎では立派なチーズが生産され 東京で、販売出来までになって、私も時々購入しております。


共働学舎で生産した 野菜 酪農製品 手作り工芸品など販売しております。



公的な福祉の支援も受けず、50年間発展しつつ、今日までやってこられたのは奇跡に近いことですね。


応援してます。