●介護体験での悔い
高齢者介護体験を伺った。悔いが残るとのことであった。96歳の母親の介護を60代の息子が担っていた。30代の知的障害の子を抱えながらの9年とのこと。お風呂も、トイレも、お食事も福祉サービスを利用しながらも一生懸命にされてきた由。しかし、その折々に、優しい言葉をかけられなかったと悔いるのでした。
この地域で、この住まいで、この間取りで。朝6時前から起きて、夜8時ころ寝付くまで、食事、排泄、入浴等の介護をやってこられた。優しさを持って、老いた母親を介護してきた。何とかハード面やソフト面が整っても、良い介護とは言い切れず、悔いが残る。やはりヒューマンウェアの領域が大事である。どんな思いで、どんなことを気にかけ、どんな雰囲気を作ろうと思って出会っているのか、この思いを大事にする関わりこそが問われるのだ、と改めて感じた。
●言語理解、状況理解の困難を包み込むもの
また、先日のグループ外出の折のこと。「それではジャンパーを着ましょう」と机の上にジャンパーが出され、袖通しを促されることでほとんどの方が自分で着ることができる。ところで、行動を起こす手がかりを何に求めているのだろうか。
Aさんは、言語指示が耳に入っているはず、みんなが着ている状況が目に入っているはず。座っている自分のイスの背にジャンパーがかかっているのだが、着ようとしない。みんながジャンパーを着ている。この状況が“自分も着るのだ”との情報として抽出できない。ジャンパーを背に感じているのだろうが、「僕も着る」ことに気づかなかった。
多くの方は名詞レベルの理解はあるが、「着ましょう」という動詞への理解が疎いと思われる。大雑把なレベルとして
1)「出かけましょう」でジャンパーの言葉を使わなくても寒暖等状況に合わせられるレベル
2)「ジャンパーを着てくださいね」と具体的な言語指示で着られるレベル
3)「はい、ジャンパー、どうぞ」と目の前に出される状況を手がかりに着られるレベル
4)「はい、ジャンパー、着ますよ」と動作付けられるレベル
等々があり、何れも言語だけではなく状況を手がかりにできるように働きかけている。
それでもAさんは気づかない。技能は身についているが、その技能をいつ発揮するか、言語理解では難しいから、人の支えを得て、促され応じることになる。この「人の支え」にヒューマンウェアが求められているのだ。また、だからこそいつもと同じ状況を作る構造化がヒューマンウェアを充実させる土壌となるのだ。
●本人主体の実現のために
成人期であるから技能が主課題ではない。上手に、手早く、一人でできることが大事なのではない。できなくても、遅くても、間違っても、その状況に応じてどう支えるかがヒューマンウェアの領域である。さらに、やろうとしなくてもその事態にどう関わるかを考えたい。技能や、理解力に着目するのではなく、どのように気持ちを揺さぶるか、好ましい主体を引き出すか、に焦点化する領域である。