ある日、相続が発生した。

2007年頃に起きたことをつらつらと書いてます。

ある日、相続が発生した。05

2009年11月24日 | ある日、相続が発生した。
メールがきました。
この時間差がアヤシサ大爆発です。
だってその前は二分後に着たのに。

そんな訳で住所を提示され、ここに送るというメールが着たので、それで送ってくださいと返信しました。
相手が焦ってるのはよく判ります。
ただ、やる気がない態度だったので、荷田興産にとって、この案件はどっちでもいいというスタンスなのだと判断してます。
まあ、めちゃくちゃ舐められてたんでしょうねえ。

どこに話が落ち着くのかは判りませんが、ちくちくと記録していきたいと思います。

ある日、相続が発生した。04

2009年11月23日 | ある日、相続が発生した。
※この日記にはwがたくさん発生しています※


さあ、泡を食ったらしいメールが着ましたよwwwwwwwwwwwww
正直、この展開は予想してなかったwww


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荷田興産、下井さんからメールが着ました。
何でも別の事務所にいるからメールアドレスが違うそうです。
内容は以下に。

「メールアドレスが違って申し訳ない。
返事が遅れて申し訳ない。誤解を与えてしまった。
自分たちのスケジュールでは、12月21日から27日、1月4日から7日までJ県にスタッフが滞在している。
その間に会いたい。
契約書のひな形と、遺産分割確定書はその時に渡してスケジュールを決めたい。
報告が遅くなり誤解を招いて申し訳ない。
今でも父親への守秘義務は守っている。
今後はこのメールアドレスに連絡して欲しい」(意訳)

えーとですね。
私が誤解してると言いたいらしいんですよね。その部分が繰り返されてますし。
私、誤解してないと思うんです。
仕事人として、下井さんのやり方はダメだと思うんですね。
言葉尻が変わっただけで、内容が一方的なのは変わっていないんです。

なので私はこう返しました。

「荷田興産 下井様

お世話になっております。
大変お手数だと思いますが、まずは関係書類を書留でお送り下さい。

○契約書ドラフト
○遺産分割確定書(謄本)のコピー

書類がこちらに届き、内容を確認した上で、今後お会いするかどうかを
検討したいと思います。」


そうしたらですね。
素晴らしいスピードで返事が着たんです。
そりゃもう、メールが苦手だっていうのが嘘って感じで。


「早速郵送させてもらうので、住所を教えろ」(意訳)


はい、アウト~wwwwww


私は取引最初のメールで住所を報せているのです。
直接のクライアントでないにしろ、取引相手関係の連絡先を控えないなんてあり得ません。
仮に本気で控えていないのなら、あなたは仕事をする気がないと言われても仕方ないのです。
それが営業ってものでしょ?wwwww


とりあえず無難に、最初に送ったメールに住所は書いてあると送り返しました。
返事が着ませんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

自己紹介の代わりに

2009年11月22日 | 日記
さて、と。
この辺りでひとつ、新たな記事を追加しないと意味が判らなくなりそうですね。

私は虐待を受けて育ちました。
暴力には3種類あるといいます。殴る蹴るなどの身体的暴力、言葉の暴力、そして性的暴力、です。
私の父は3種コンプリートしています。つまり全クリです。
母は前の記事にあるような人です。言葉の暴力ですね。
妹は2人に同調していたので、苛めたつもりはないでしょうが、母親の操り人形と化してメールなどによって私に攻撃を加えたため、言葉の暴力を揮ったことになります。

しかもこの状態は現在もなお、続いています。
その状況に耐えきれずに離れて暮らしているのに、彼らはなお、私の悪口を言って過ごしているそうです。
ただまあ、遠くで悪口を言われるだけなら私は別に構わないんですがね。

問題はそこに私の子供3人がいること、です。
結婚生活を10年程度で続けられなくなったのは、借金が多かったからでした。その理由は生活費が足りなかったため、です。
そして私は自己破産するために離婚して家を出ました。子供を置いて出た理由は簡単。
私1人でも食い扶持に困る可能性があるのに、これから栄養豊富な環境で成長が必要な子供を連れて行けなかったから、です。
そして結果的には元主人は子供の面倒をみることが出来ず、3人は私の父母が保護することとなりました。
私はものっすごい嫌だったのですが、他にあてもないし、私が攻撃対象のままであれば、3人にはそれほどの被害は出ないだろう。孫は可愛いだろうし、ということでやむを得ずその手段をとることにしました。
そして親権は元主人から私に移すことになりました。
父親曰く「そうしないとお前は逃げるから」だそうです。
そして私は義務的に盆暮れには父母のいる家に行っていました。子供に会えるのはとても嬉しいのですが、あの家に対する拒絶反応はもの凄く、行く予定になっている日の前後一ヶ月くらいは、私は本当に使い物にならなくなります。
それでも入学式などの行事のたびに、拒絶反応を我慢して行っていました。

ところが。
元主人が亡くなった時に掛かってきた電話から雲行きが怪しくなりはじめました。
その前の年の4月、父親が私に「身売りしろ」と言った時点で、もう2度とあの家に行くことはないだろうと思っていたのですが……。
とにかく帰れコールが来るんです。しつこく。理由も言わず。留守電攻撃から妹によるメール攻撃まで、散々に食らった挙げ句、私は携帯電話を解約しました。
3人の子供達とはメールで連絡が取れますから構いません。彼らとの直接的な会話を断絶したのです。

そして、相続が発生した話になります。
これで話が大体繋がったと思います。
そして出来れば相続関係で困っていらっしゃる方、これから相続が発生する可能性のある方、とにかく色んな方々に見て欲しい。

私達は戦えるんです。

たかが1人の人間、ですが、戦い方はあります。あるんです。
肩書きのある相手の言うことを鵜呑みにしてはいけません。信用出来るかどうかは自分の目で確かめるべきです。人任せにしてしまったら、取り返しのつかないことになる可能性だってあるんです。
面倒かも知れません。時間も掛かります。
戦いの間に嫌な物を見るかも知れません。想像もつかないような歪みにも遭遇する可能性があります。
でも、それって意外なところにあったりして、冷静に観察するとなかなか面白いです。

ではではそういうわけで、戦いの記録、続行してみましょうか。

どの口が言うか

2009年11月22日 | 日記
そういえばソレ系の話で一つ、新たに気が付いたことが。
実は私の妹は、ごく普通に娘として親に接してもらっていたんですね。
それを聞いた親友がいつも言うんです。
「そこが判らん! 何で○○(私の名前)だけなん!? 妹は娘に見えとるんじゃろ!?」
うーん、そうなんですよね~。親友の指摘はその通りなんですけどね~。

何だろう、と考えてたら。
ルームメイトがさくっとひと言。

「そりゃ、苛めのターゲットが○○で足りてたからじゃない?」

……。
え!?!?!?!?
私、苛められてたの!?
うわ、気付かなかった……。そういうこととは無関係だと思ってたんだけど。

ちなみに私はソレ系のこといっぱい書いてますけど。
残念ながらというか、個別に恨んだりとかないんですよ。全然。
親とか妹って、私にとっては環境の一部ですからねえ。
環境から学んだことがたくさんあるので、恨むとかはちょっと……。
正当に切り返すってんならまた話は別ですけど。

でもこれ。私のケースは穏やかだからいいですけど、酷い事態になると切った切られたになると思うんですよ。
実際に犯罪が起こったりもしてるじゃないですか~……。
でもこれって溜まったモノが噴き出してきた結果のような気もします。家庭内暴力とか虐待とか、今はニュースでたくさん取り上げられますけど、一昔前だとそれを罰する制度の方が整っていなかったような気がしますしね。


そうそう。笑える話を一発。

いつだったか私が、実家に行ってた時の話。
テレビで児童虐待のニュースが流れていました。
それを見た私の父親のセリフ。


「いけんのう……。こういうのは駄目じゃ。近頃の若い奴らはろくな事をせん」


さあ、みなさんご一緒に!


おまえが言うなーーーーー!!!!!


いやあ。人間ってその気があれば学び続けることが出来ますが。
学ぶことを拒絶し続けることも出来る動物なのです(笑)

納得

2009年11月20日 | 日記
以前、私は小児喘息を患っていました。
幼い頃には夜中に病院に運ばれたりとか、息が止まりかけたりとかあったそうです。

そんな私。
小学生の頃に引っ越しし、かかりつけの病院から離れたところに住むことになりました。
ところが引っ越し先で喘息の発作が起きて、私は母に連れられて引っ越し前のかかりつけの医師のところに行きました。


今でも覚えています。
黄色い薬剤の入った太い血管注射。
淡い黄色が、当時の私の目にはジュースのように見えました。


主治医が母に。

「お母さん……この薬は、本当はそんなに簡単に処方しないものなんですよ」
「本当にいいんですね?」

母は。
「構いませんから」

意味判りますか? これ。
この主治医は私にとても優しく、いつも私に色んなことを教えてくれていました。
鼻のかみ方を教えてくれたのは、この主治医です。

そうです。
その薬はあまりにも強いため、通常は処方しない。
下手をすると。
子供に負担が掛かりすぎて。
死んでしまうからです。

それを母は「構いません」と……。


なーんだ、最初っから私のこと殺そうとしてたんじゃーん!(笑)
そっか、邪魔だったかー! うざかったかー!(笑)
いやもう、納得したわ。
何でこのシーンを強烈に覚えてるのかと思ってたんだよねー!(笑)
あーはっはっはっは!!!!!!!!!!!!!



そして私はたびたび喘息を起こしつつ、中学生になります。
その次に引っ越しをした時にはもう、私は近所の内科に行くようになりました。
新たにかかりつけとなったその内科では、喘息の発作を止める薬として、吸入器を処方しました。

薬の説明はありませんでした。
親は私に、喘息の発作が起きたらとにかくこれを使えと。


その薬。
心臓に負担が掛かるから、使用には十分に気をつける必要のあるものでした。
ですが私は親に言われた通り、発作が起きるたびにすぐにそれを用いていたのです。

ちょっと待ちなさい。
その薬は、心臓に負担が掛かるから、そんなに頻繁に使っては駄目よ。危ないから。
そう、私に教えてくれたのは学校の保健室の先生でした。

保健室の先生に教えてもらってから、私はその薬を出来るだけ使わないようになりました。

高校の頃。
私は別の病院に行くようになり、アレルギーの検査なるものを受け、ある薬を処方されました。
まだ喘息が治っていなかったのです。
そして病院で処方された薬を飲むと、ある決まった時間に必ず脈拍が上がり、動悸が激しくなるのです。

さすがにおかしいと感じた私は親に言いました。
ですが、親は「ふーん」と。

幾らなんでも変だ、と感じた私は、学校の保健室の先生に相談しました。
ちょっと待ちなさい。それはおかしい。
一度、処方した病院の先生に、薬の作用をききなさい。


私は保健室の先生に教えてもらった通り、病院で薬のことを聞きました。
医者は嫌そうな顔をしつつ、「あー、そういう薬なんですよー」って。

この瞬間、私は二度と医者は信用しない、と思いました。
(今は違いますよ(笑) 私の医者の引きが悪かっただけですから、これ)


そして私は。
あの家を出ることになった途端。
喘息が治まったのです。


いやもう、納得! 判った!
そうね! 最初からあんた方は私のことを要らないと!

そうだよね、小学生の頃からしきりに「おまえは橋の下じゃけえのう」と楽しそうに言ってたもんね!


もう、ホントによーく判りました。