ある日、相続が発生した。

2007年頃に起きたことをつらつらと書いてます。

言葉が通じない

2009年11月17日 | 日記
言葉が通じない人がいます。
えーと、これは日本語が通じないとか、そういうレベルの話ではありません。
言っても判らない、または、相手の言っていることが理解出来ないの意味です。
その意味だと言うことを前振りにして、思ったことをざらっと書いてみます。

私の周辺には言葉のまったく通じない人が何人かいます。
幼い頃にはさほど疑問に感じてはいなかったんですが、この年になってそれを痛感するような事がいくつかありました。
今でもそれは継続中で、たまにこちらがもの凄いダメージを受けるメールが着たりします。
正直、迷惑以外の何物でもないんですが、後々に何かに使えるかも知れないので、そのメールは保管していたりします。

人間は生まれてから環境に育てられ、言語を蓄積していきます。
感じることも全て、周囲の環境が影響し、物事の見方や受け取り方も百人いれば百通り、完全に一致するものはないと私は思います。
それを前提に考えると、本当は完全に言葉の通じる相手はいないのかも知れないとも思います。

私の周りに存在する、言葉の通じない人には共通点が一つあります。
それは自分の目で見える、若しくは想像できる形に相手を決めつけてから話す、ということです。
そうなのかも知れない、自分はそう思う、という意見なら止めませんし、そういう考え方もあると納得出来るんですけど、こちらの形を勝手に決めつけられると首を傾げざるを得ません。

おまえはこうである。おまえはこう思ってる。おまえはこう感じて、そしてこういう行動をとっている。
(凄いよね、見てないのにまるで見てきたかのように言うの(笑))

正直、貴様は超能力者かよ、と思います。
聞いていないもの、見ていないもののことが判るなんて凄いですよね(笑)

私はそういう方々に囲まれて育ちましたので、相手を一方的に決めつけることが当たり前なんだと思っていました。
反論する機会もなく、そして私は反論の機会を作ることも出来ず、ただ流されるままに時間を過ごしました。
他人にそうするのが当たり前という、恐ろしい環境です。
その視点は狭く、そして接する相手に失礼なことだと気付いたのは、J県に出てきてからです。
それまで私のことを心配し、声をかけてくれた周囲の人の声の意味が初めて理解出来たのも、こちらに来てからでした。

私はとてもラッキーなんだと思います。

それは視野狭窄だよ、と肩を叩いて教えてくれる人がいます。

もっと違う見方をしてみようよ。完全に理解は出来ないけど、相手が置かれた立場を考えてみようよ。

そう、声を掛けてくれる人々がいてくれるってことは、もの凄い幸運なのだと……どこに感謝していいのか判りませんが、私はそのことに感謝しています。

言葉が通じない人は、言葉が通じないんです。
これはもう、どうしようもないことなんだと思うことにしました。
それまで私が努力をしたことが無駄とは言いません。何かしらの形で自分が得るところはあったと思います。
でも、判らないことは判らないままでいいんだと思います。
だってほら。神さまじゃないんですから。
全てを判るなんて無理なんですよ。

そしてたかが血が繋がってるってだけで、判るはずだなんて思うのは、そりゃ多分、傲慢なんだと思います。

今日は自戒をこめて書き連ねてみました。
私も気をつけなきゃ、ね(汗)