ある日、相続が発生した。

2007年頃に起きたことをつらつらと書いてます。

自己紹介の代わりに

2009年11月22日 | 日記
さて、と。
この辺りでひとつ、新たな記事を追加しないと意味が判らなくなりそうですね。

私は虐待を受けて育ちました。
暴力には3種類あるといいます。殴る蹴るなどの身体的暴力、言葉の暴力、そして性的暴力、です。
私の父は3種コンプリートしています。つまり全クリです。
母は前の記事にあるような人です。言葉の暴力ですね。
妹は2人に同調していたので、苛めたつもりはないでしょうが、母親の操り人形と化してメールなどによって私に攻撃を加えたため、言葉の暴力を揮ったことになります。

しかもこの状態は現在もなお、続いています。
その状況に耐えきれずに離れて暮らしているのに、彼らはなお、私の悪口を言って過ごしているそうです。
ただまあ、遠くで悪口を言われるだけなら私は別に構わないんですがね。

問題はそこに私の子供3人がいること、です。
結婚生活を10年程度で続けられなくなったのは、借金が多かったからでした。その理由は生活費が足りなかったため、です。
そして私は自己破産するために離婚して家を出ました。子供を置いて出た理由は簡単。
私1人でも食い扶持に困る可能性があるのに、これから栄養豊富な環境で成長が必要な子供を連れて行けなかったから、です。
そして結果的には元主人は子供の面倒をみることが出来ず、3人は私の父母が保護することとなりました。
私はものっすごい嫌だったのですが、他にあてもないし、私が攻撃対象のままであれば、3人にはそれほどの被害は出ないだろう。孫は可愛いだろうし、ということでやむを得ずその手段をとることにしました。
そして親権は元主人から私に移すことになりました。
父親曰く「そうしないとお前は逃げるから」だそうです。
そして私は義務的に盆暮れには父母のいる家に行っていました。子供に会えるのはとても嬉しいのですが、あの家に対する拒絶反応はもの凄く、行く予定になっている日の前後一ヶ月くらいは、私は本当に使い物にならなくなります。
それでも入学式などの行事のたびに、拒絶反応を我慢して行っていました。

ところが。
元主人が亡くなった時に掛かってきた電話から雲行きが怪しくなりはじめました。
その前の年の4月、父親が私に「身売りしろ」と言った時点で、もう2度とあの家に行くことはないだろうと思っていたのですが……。
とにかく帰れコールが来るんです。しつこく。理由も言わず。留守電攻撃から妹によるメール攻撃まで、散々に食らった挙げ句、私は携帯電話を解約しました。
3人の子供達とはメールで連絡が取れますから構いません。彼らとの直接的な会話を断絶したのです。

そして、相続が発生した話になります。
これで話が大体繋がったと思います。
そして出来れば相続関係で困っていらっしゃる方、これから相続が発生する可能性のある方、とにかく色んな方々に見て欲しい。

私達は戦えるんです。

たかが1人の人間、ですが、戦い方はあります。あるんです。
肩書きのある相手の言うことを鵜呑みにしてはいけません。信用出来るかどうかは自分の目で確かめるべきです。人任せにしてしまったら、取り返しのつかないことになる可能性だってあるんです。
面倒かも知れません。時間も掛かります。
戦いの間に嫌な物を見るかも知れません。想像もつかないような歪みにも遭遇する可能性があります。
でも、それって意外なところにあったりして、冷静に観察するとなかなか面白いです。

ではではそういうわけで、戦いの記録、続行してみましょうか。