Gドラゴン^^ジヨン中毒

BIGBANGのジヨンの音楽性・才能・キャラクター・歌声・ファッション・スタイルすべてを愛する中毒な私のブログにようこそ

☆☆☆Every day SHINE A LIGHT G-Dragon☆☆☆

BIGBANG IS BACK!!!!!TONIGHT M/V

ELT先行試写会に行ってまいりました^^

2010-04-27 18:18:18 | ジヨン2010年1~5月



ELTの興奮が蘇る明日4月28日発売のDVDの先行試写会に行って来ました

このような機会を与えてくださった

主催者の方に感謝しつつ去る4月26日のBB日和の晴天の都内某所に到着



某ビル三階のホールで行われた試写会の入り口にはELTのポスターの
キラキラビームのジヨン~BBがお出迎え



ホール入り口の前にはBBのパネルが



公式HPなどで観た写真もパネルにするととっても素敵でした
特に、チャッカンサラムのジヨンは良かった~


そして、大きなBBパネルの前では係りの方が希望者に一緒に
写真を撮ってくれました
手前にはフィギュアの本物が飾られ
買っていないので(考え中)ジヨンをメインに写真をパチリ


思ったよりいけてるかな~って感想(笑)購入するかどうかはまだ考え中



試写会では最初にBBの私たちへのコメントが流れ
絵を書いて説明しようと思ったら、MTVのメッセージがちょうど
公開されてその衣装が同じだったので
こんな感じでメッセージをくれましたよ~

ジヨンはニコニコ顔で最後に「それではご覧ください!どうぞ~!」
って上手な日本語で両手を広げて紹介してくれました
あまりに可愛いモリと表情にキュン死寸前の私でした
座席がジヨンの正面の前の方だったので大きな画面のジヨンを
一人占めしてました(妄想だから許してね

MTV JAPAN BIGBANGいきごみコメント
http://www.mtvjapan.com/video/event/30310






前後のコメント含み30分間のダイジェスト版でしたが
大画面と大音量で見るDVDは迫力があって

あ~こんな場所で本当にここにBBがいて歌ってくれたら
どんなにいいだろう~なんて妄想しながらあの日の興奮を想い出しながら
観ていました

BBメッセージ
1 INTRO
2 ガラガラ GO!!
3 Top Of The World
4 WITH U
5 ハルハル
6 コジンマル
7 マジマギンサ(全曲フルバージョンでした)
8 メイキング
BBメッセージ

とにかくやっぱり、TV版とアングルや音も違っていて
やはり、絶対DVDを買って観るべきだと思いました

そして、メイキングもちらっと流れましたが仲の良いBBの様子や
素のジヨンの明るい笑顔やメンバーとじゃれあう姿も見れて
楽しみな内容です

ELECTRIC LOVE TOUR 2010 [DVD]

UNIVERSAL J(P)(D)

このアイテムの詳細を見る




4月28日発売のDVDのリスト

ディスク 1
1 INTRO
2 ガラガラ GO!!
3 Top Of The World
4 WITH U
5 MC 1
6 HALLELUJAH
7 Strong Baby (V.I Solo)
8 WEDDING DRESS (SOL Solo)
9 Ah-Moo-Rut-Chi-Ah-Neun-Chuk (Pretended) (T.O.P Solo)
10 Follow Me
11 Number 1
12 Stylish
13 D-LITE INTRO
14 Som Sa Tang (Cotton Candy) (D-LITE Solo)
15 MC 2
16 V.I & D-LITE MEDLEY
17 Chak Hahn Sa Ram (A Good Man)
18 Stay
19 HaruHaru

ディスク 2
1 G-DRAGON Intro
2 Heartbreaker (G-Dragon Solo)
3 Korean Dream (G-Dragon Solo)
4 声をきかせて
- BONUS TRACK -
Making of ELECTRIC LOVE TOUR 2010

まだ購入を考え中の皆さん~オンラインで購入できるところのアドレスを
貼りました
ぜひ、行ってみてくださいね
HMVオンラインhttp://www.hmv.co.jp/product/detail/3769989

タワレコオンラインhttp://tower.jp/item/2676967/ELECTRIC-LOVE-TOUR-2010


新星堂オンラインhttp://www.shinseido.co.jp/world/world/bigbang.html

YAHOOショッピングhttp://store.shopping.yahoo.co.jp/guruguru/upbh-1258.html

楽天市場http://item.rakuten.co.jp/forestplus/4988005606853/


とにかく私の一番のお気に入りはハレルヤのジヨンです
試写会では観れませんでしたが
TBSチャンネルのHALLELUJAH ジヨンキャプです

走って上体を低くして歌うジヨン~かっこよすぎてたまりません

マイクを持って左手を大きく動かし会場を呑み込むジヨンの素晴らしいパフォーマンス
この後ろ姿~きゃあ~かっこよすぎ~特におしりが好きです(笑)







歌声とRAPとダンスと動きと目配りと全てがキラキラキラキラ~
たまりません~~~


そしてハレルヤの中で、いえいえライブの中で一番かっこよくて
倒れそうになったジヨンの手を前に組んで
ヨンベのボーカルの時に立っている姿です
TBSチャンネルでは全身のポーズがはっきり映っていませんが
DVDに期待しちゃいます
とにかくこの表情と立ち方スタイルがかっこよすぎです


アイリスの挿入歌で流れますが本当にドラマの内容もハラハラドキドキして面白いし
この曲ハレルヤはヤバ過ぎます


試写会の最後のお知らせで6月9日発売の
Tell Me Goodbye の28日にレコチョク先行配信のお知らせと
28日にレコチョクに行くとスペシャルな企画のお知らせがあるようです
明日はたくさんの楽しみがありますね


レコチョクhttp://recochoku.jp/




もう一度PUSHします

ELT DVDを観ると



こんな風になること間違いなしですよ~~~




BIGBANG最高~~~LIVE最高~~~


ジヨン~~~大好きだよ~~~~~~~~

インタビュー15☆

2010-04-10 22:01:12 | ジヨン2010年1~5月
[新スター告白]Gドラゴン⑮"東方神起先輩らと篤実に負けますね"

アジア経済パク・ソヨン記者]"最近ではソロ コンサート終わってたくさん休みました。 その間クラブ禁止、酒禁止、ガールフレンド禁止だったがたくさん解いたでしょう。 ずっと友人ら会ってクラブにも行って夜明けに東大門(トンデムン)ショッピングモールにも行きましたね。 私の写真がついているので(に)'この服は何ですか?'と尋ねるから'Gドラゴンスタイル'と。 私がGドラゴンとご存知なくて。"(笑い)

去る2009年はGドラゴン(23・実名クォン・ジヨン)には意味深い一年であった。 自身のソロ アルバムと単独コンサートまで開いた内容が充実している年であった。 デビュー5年目の彼は一抹の余裕もできた。

"授賞式に参加する時も以前には話も素晴らしくしようと努力したがこの前にはパーティーに参加する感じに行きました。 ジーンズを着て子犬を連れて行って自由に楽しみました。 人々と挨拶もしてカメラはよく見なかったです。 楽しくなれば声も張り上げて観客の立場で楽しみましたよ。"

他の所属会社歌手らともたくさん親しくなった。 特にビッグバンが日本活動をしながら先輩のSMエンターテイメントの'東方神起'メンバーらともたくさん厚くなった。

"'東方神起'先輩らとこの頃たくさん親しくなりました。 過去には企画会社だけの'気力の戦い'同じようなものも事実あったがグループ活動をするからそれでも互いに通じる部分が多いでしょう。 ヨンウン・ジェジュン兄が先に近づいて下さいましたよ。 自然にユチョン兄遵守型とも親しくなることになったし'私が弟の立場になることができるんだね'も感じましたよ。"

日本に留まりながら'東方神起'先輩らに"ご飯買ってくれ"と締めたり、色々な助言も聞いた。 "他の国、他の文化の中で大変に数年の間生きてこられた方々だと尊敬します。 SM方々でもJYP方々でももうみな情が沸きます。 'あの人は何の苦痛があるだろう'. '私がしてあげることができる話もあるだろう'というそのような気がします。 私たちは心がもう少しずつ開かれるようです。 後輩方々も気楽に近づかれたらいいですね。"

だが、今のところは前仕事が恐ろしい'青春'だ。
"ずっと前に出て行かなければならないですね。 今年は大成と塔二人のソロ アルバムが計画されていてよ。 年末にはビッグバンのアルバムが出てくるんです。 もちろん計画のとおりできることはないが。 計画は立たせておいて作業速度により時期調節はなるでしょう。"

チームのリーダーの彼は他のメンバーらの活動とビッグバンの活動を全部念頭に置いていた。
"テソン君がソロアルバムを一人で準備すれば手にあまることだから助言をたくさんしてくれなければならないようです。 テソンはR&Bバラードをしそうだよ。 ビッグバン音楽とは色がちょっと違うんです。 塔はヒップホップ曲になるんです。 私が作業を一緒に何曲しなければならないと思います。"

ビッグバンは2010年間にアルバム、違う姿に戻る予定だ。 いつも聞く話だが今回もやはり次が重要だ。 "もうビッグバンがもう一度進まなければなりません。 私が考えるので去る二つのアルバムは本来の席でした。 気に入らないことではないが私が考えただけ跳躍をできなかったんですよ。 今回も気に入らなければ私が嫌いになりそうです。 反発でも前に出て行かなければなりません。 もう勝利まで皆未成年者から抜け出したから多分次のアルバムでは少年の姿よりは男らしい姿を見せそうですが?"(笑い)

いつのまにか男らしい風貌が宿っているのかGドラゴン. 彼の挑戦は我が国音楽市場に途方もない大きい影響を与えて、また他の神話を作り出す。 彼が作っていく新しい神話は果たしてどんな姿であろうか? もうゆったりと彼の神話を見守る時であるようだ。

▲その間Gドラゴンスター告白を愛された読者皆さんとファンたちに感謝申し上げます。

インタビュー14☆

2010-04-09 21:57:21 | ジヨン2010年1~5月
[新スター告白]Gドラゴン⑭ " 『猫』のような女性が好きです"

[アジア経済パク・ソヨン記者]"私が使った歌のすべての歌詞とメロディは私の経験です。 誰と話を交わしたり映画等を通して間接的に経験したことでしょう。 愛するときは幸せな歌詞らだけ出てきて別れるときは悲しいメロディだけ出てきます。 'シュィズゴン'のような歌は映画を見た時の感情を入れた歌でしょう。"

Gドラゴン(23・実名クォン・ジヨン)が使ったすべての歌の歌詞は本人の経験だ。 表情はやい人ならば彼の音楽だけ聞いても彼の胸の内が分かるだろう。

"私が率直に使ってこそ聞く人も感じると考えます。 '愛して痛いんだな'感じることができて届くんです。 無理にない話を作り出して使えば聞く人が切切であるように感じることができないようです。"

彼も愛を感じたことがある。 だが、周辺の人々はまだ'プッサラン'と話す。
"私は愛だと感じたが、親しい友人らは'君はまだ正しくなされた愛をしてみられなかった'で話します。 私がちょっと性格がさっと熱くなって突然冷めるほうですよ。 異性交際を短くする方ではないんだけど。.."

彼は異性との出会いにおいては持ったものをみな与えるスタイルだ。 時々は仕事に支障があるほどだ。 芸能人でない人間クォン・ジヨンで見ることを願う心に飾らない姿を見せて、人々が多い所にもためらいなく出る。

"幼稚だが私も車トランクで風船を取り出して飛ばしてカフェをまるごと借りて公演もしてそうしましたよ。(笑い)ガールフレンドが私を芸能人で見ることが嫌いで顔分けて遊園地も行って、したいのは全部します。 スキャンダルが出ようがしまいが神経を使わないから人々がバカだといいます。 社長も'君は本当に女によく会わなければならない'でして下さい。"

実際に彼が引かれる女性スタイルは'猫'のような女だ。

"顔付きもそうで性格も猫のような女が良いです。 捉えようとすれば逃げてじっとしていれば近づいて抱かれるそのような女に引かれます。 期待できる人が良いです。 私上から見下ろしながら私を操縦できる人? 気が強い人が良いです。 愛する時だけはもたれかかって休みたいです。"

何度かの離別を体験しながら彼の愛観が変わった。 "先に別れようと言えません。 まったく言えなかったんですよ。 前に新しい愛を始めれば初めから全てのものを皆上げないです。 今はゆっくり愛したいです。


インタビュー13☆

2010-04-08 22:07:24 | ジヨン2010年1~5月
[新スター告白]Gドラゴン⑬"'盗作論議'耐えられるのが難しかった"

[アジア経済パク・ソヨン記者]ソロアルバム発売を控えてときめく時間を送ったGドラゴン(23・実名クォン・ジヨン)は絶望した。 発売一日を控えてタイトル曲'ハートブレーカー(Heartbreaker)'が盗作論議に包まれたこと。 自身の一日一日を上げながらファンたちと交感した大切な空間の'meトゥデイ'が突然冷淡で恐ろしい空間に変わってしまった。

"盗作であろうがなかろうがそのような荷札がつくのは恥かしいことだと考えます。 インターネット上では互いに'盗作だ' '違う'戦いがついたし、企画会社では米国に行って是非を分けるといいましたよ。 法廷戦いまで起きそうだったしすべてのことらが耐えられるのが難しかったです。 私はそのまま人々の前で踊って歌うのが楽しいだけなのに。 人々の認識は私が意味しない方向に流れたし、回ってしまいそうでした。 だが、考え終わりに下ろした結論は歌手がすべての論議に対して答を与えなければならない所は舞台ということでしょう。"

彼はどのような話をしても効果がないことということを分かったし、俳優が劇場で演技で話をするように、歌手は舞台で話をしなければなければならないと考えた。

"私が作った音楽を私が責任を負うことができる所は舞台しかないと考えました。 私が舞台で残念な姿を見せるならばファンたちにおわび申し上げなければならないと考えましたよ。 最善を尽くして人々に楽しみを与えれば私の真心を認められられることと考えました。"

彼は幼いころから論議の中心に立つのになじんだ。 小さいことも大きくさせてしまうおかしな力が彼にはいるということだろうか。 だが、ファンたちとアンチ ファンたちの関心が彼にはかえって原動力だ。

"私に対する記事が出て行けば一番最初のコメントが悪口です。 私も人であるから探してみます。(笑い)割った方々より先に見て悪口を言って下さいます。 他の見方をすれば感謝します。 この方らが本当に私が嫌いならば関心を持っていないでしょうに。 私に最後の瞬間にことは期待があるからずっと確認をすることと考えます。 'この子本当に嫌いで、ところでずっと関心が行って'こういう感じる。 そうした方々があってさらに熱心にするべきだとの気がします。"

大衆歌手と大衆は離そうとしても離すことはできないサイダー. 関心と非難もコインの両面だ。

"'誰が勝つと思ってみよう'でなくアンチ ファンたちが減る時までずっと熱心にしなければならないですね。 私がファンたちに勝ってもならなくて、大衆と歌手はかみ合わさって行かなければならないから。 弟子になった気持ちでしょう。 前弟子として宿題をしてきたし先生によく見えたいそのような心情であることでしょう。"

大衆と芸能人の摂理まで貫いている'若年寄り'のような彼だが、本人が受けた傷をあえて隠そうとすることはなかった。

"叱責を受ける人の立場では何 十万倍さらに大変です。 韓国という狭い国でそのような位置になれば事実しょげます。 理解はしながらもとても痛かったんですよ。 もう少し翼をつけて上がろうとするが、ここで落ちるにはとても多くの道を来てしまったし帰り道もないです。 努力しているともう少し美しく見て下さればと思うのが私の率直な心情です。


インタビュー12☆

2010-04-07 22:11:16 | ジヨン2010年1~5月
[新スター告白]Gドラゴン⑫ "ソロアルバム、僕には賭けでした"

[アジア経済パク・ソヨン記者]他のメンバーらが各自の分野で頭角を現わす間Gドラゴンは着実にソロアルバムを準備した。 またまた、ソロアルバムを出そうとするなら数年の時間がかかるかも知れないという考え、人間クォン・ジヨンを知らせることができる最後の機会かも知れないという気がした。

Gドラゴンのソロアルバム'ハートブレーカー(Heartbreaker)'は2009年8月18日世の中光を見ることになった。 この日は彼の誕生日でもあった。

"本来4月に出てくることにされていたが、気に入らないですか。 十年を待った作品がこれではなかったし何か不足するという気がしました。 ソロ アルバムを出してまた、いつ私順番がくるかも知れないから。 私にはその一度のアルバムが賭博でした。"

ソロ アルバム準備期間の間ビッグバンの日本活動が始まった。 数ヶ月の活動期間の間一日でもスケジュールが空く日ならば夜明けに韓国に飛んできて作業をして夜に帰った。 他のメンバーらが日本で視線の自由を感じてショッピングをして楽しむ時もGドラゴンは舞台衣装を探すのに余念がなかった。

"曲使って、舞台衣装購入して、画像チャットでミーティングして24時間ずっとアルバム考えだけしたようです。 最大限私の手助けが経たアルバムを作りたかったです。 '作られた'ことでなくクォン・ジヨンが'作ったんだな'を感じさせてあげたかったです。 字体・カラー・装飾など一つ一つみな気を遣って少しオーバーらしかったが。 定形化されたCDやなく贈り物を受けたような感じのレコードをおろしたかったです。 贈り物のようにケースに入れて高いものではないが開けてみながら期待感を持てるように。 アルバム デザインされる方々が私を変だと考えられた場合もありそうなんだけど。 どうなろうとアイディアが浮び上がれば明け方にもちょうど電話をして。(笑い)"

アルバム作業にどっぷり浸かってしまった。 "'ハートブレーカー'は愛に傷ついた内容でしょう。 心がつぶれた状態を表現するために何人かのダンサーらが私仮面をかぶって互いに違う踊るようにしましたよ。 一人の顔でいろいろ腹が立ってくるのを演出したことでしょう。"

ソロ アルバム作業を通じてメンバーらと一緒にする時とはまた他の経験をすることになった。 残りメンバーらの役割まで一人でみな消化して出しながらメンバーらの大切さを悟ることになったしもう少し成長した。

"アルバムを作りながら多くのことを学んだようです。 色々な分野の人々とミーティングをしました。 ビッグバンでは勝利とテソンがした'愛嬌屋'役割も今回は私の順序でした。 社長らの前では重たい姿を見せたりもしたんですって。 とにかく多様な人々と付き合って対人関係を習うことができました。"

歌手らがアルバムを出すと広報に拍車を加えるが、広報より舞台を重要視するYGエンターテイメントの特性上新聞社や放送局を通した広報は最小限に終わった。

"広報にならなくて大いに心配しました。 そうするうちに'米トゥデイ'というものを知ることになりましたよ。 ブログのようなことだがヤン・ヒョンソク社長が'私たちがプロモーションで選択したことはこれ一つだ。 広報はお前が処理しろ'と私にぷつんと投げかけたでしょう。 いつもこのような形です。 道を少しずつ少しずつ開いてくれれば私どもがそちらを切り開いて行かなければなりません。 とにかくミュージックビデオ衣装、新しくそめた頭一筋、このように少しずつファンたちに公開をし始めましたよ。 音楽ファイルも音源サイトに上げる前に私が直接伝えようと30チョジョンドで一曲一曲公開して、'寝る前に確認した時アップデートになっていれば明日学校へ行って話題ができて楽しいだろう?'こういう考えもしてみて。 ファンたちも私もときめく時間だったようです。"

Gドラゴンおかげで'meトゥデイ'の加入者も爆発的に増えた。 2年間何万人程度を維持した加入者数が数十万人に増加したこと。 多くの人々の関心をまた、一度受けることになったし'教頭'を感じる頃、突然'盗作疑惑'がふくらんだし事態は手のほどこしようもなく広がった。 アルバム発売一日前だった。


インタビュー11☆

2010-04-06 22:17:25 | ジヨン2010年1~5月
[新スター告白]Gドラゴン⑪"各自活動しながら余裕ができましたよ"

シングルアルバム3集時のGドラゴン[写真提供=YGエンターテイメント]


[アジア経済パク・ソヨン記者]雨後の筍にあふれ出るアイドル グループの洪水の中にグループ メンバー一つ一つの犬姓と名前が頭の中にくっきり記憶されるグループは珍しい。 誰か一人が'パッと'飛べば誰かは陰になる。 だが'ビッグバン'は数多くのアイドル グループの中でもメンバーら一つ一つが私の役割を正確にするめったに見ないグループだ。

"アイドル グループが普通見れば1人あるいは多くてこそ3人が引き立って見えて残りは'埋められる'場合が多いでしょう。 末っ子は静かにしなければならなくて。 だが、私どもは1人1人を順に光を当ててくださいよ。 1集では私を、2集では太陽を集中照明しましたよ。"

シングルアルバム2集時のGドラゴン[写真提供=YGエンターテイメント]


メンバー1人一人の個性と欲求を見回して、よく表出されるようにしてくれてこそグループが長引くと考えるヤン・ヒョンソク代表の意があったので'ビッグバン'は個別メンバーらが各自多様な分野で頭角を現わした。 若くて熱情的なメンバーらが自身の領域を持って活発に活動するのは一グループが成長して持続するに当たり核心的な部分でもある。

"私が作詞作曲をしてスタイリングをするならばテヤンは外国ミュージシャンのような姿と踊りが魅力的でしょう。 一言で今にも切れそうかで節制された米価あります。 可愛い勝利はミュージカルでも活躍して、テソンはバラエティー ショーで頭角を見せたし、塔はドラマと映画など俳優として位置づけを固めています。"

各自他の分野で活動をしながら彼らが交わす会話も変わった。 '井戸の中カエル'を越えて遠く見通すことができる目と余裕ができたこと。

"各自出て行って活動をして見たら互いに尊敬する部分もできてさらにねばっこくなったようです。 対話が変わって余裕ができましたよ。 己惚れる余裕でなく遠く見ることができる目ができたようです。"

他のメンバーらが各自の分野で頭角を現わす間Gドラゴンは着実にソロアルバムを準備した。 またまた、ソロアルバムを出そうとするなら数年の時間がかかるかも知れないという考え、人間クォン・ジヨンを知らせることができる最後の機会かも知れないという気がした。



シングルアルバム3集時のGドラゴン[写真提供=YGエンターテイメント]

インタビュー10☆

2010-04-05 22:24:58 | ジヨン2010年1~5月
[新スター告白]Gドラゴン⑩"終わりがどこか分からない"

'赤い夕焼け'を熱唱しているGドラゴン


[アジア経済パク・ソヨン記者]Gドラゴン(実名クォン・ジヨン・23)が作ったことらは大部分はやり言葉で'大当たり'を出した。 自身のソロ曲で作った'嘘'がビッグバン ミニアルバム1集(2007年)に収録されて途方もないヒットをすることになったし、以後'最後の挨拶'から'ハルハル' '赤い夕焼け'に至るまで連続ヒット行進を継続した。

"人々が'大当たり出た'としても事実私どもは感じられませんでした。 外に出て行くことができないから。 また、放送局・宿舎・練習室周囲をぐるぐる回るからです。 私たちは相変らず'あいつらどうして'という話を聞く子供たちに過ぎなかった。 1位をたくさんしても体で感じられるのは全くなかったです。 ただ観客らの歓呼が'歌手だからそうするだろう'と考えました。 舞台に出てきてみれば誰でも歓呼をするが、その時は歌を歌っているから全く分かりませんでした。"

芸能人らが常に聞く話がある。 そして心の底から繰り返して言う話がある。 すぐに'次が本当に重要だ'だ。 "それが芸能人として最も大変な部分であることのようです。 今回うまくいってもいつも常に'次がさらにチュンヨハダ′エヨ. 普通の方らが考える時芸能人をするのをやさしいと考えられることもできるので本当に違います。"

活動が終わっても安心しない。 'さらに熱心にしよう' 'ここで終わってはいけなくて' '次がさらに重要だ'という相次ぐ緊張感ら.

"終わりがどこかを分からないです。"だが、ファンたちを見るときは力が出る。 "'ビッグバンを見て夢を育てる'というファンたちを見るときは'これがいたずらではないね'と感じます。 責任感が大きくなるといわなければなりませんか。"

もちろんビッグバン メンバーらは'休む体質'が違ったりもする。 休暇を与えれば一日二日家にいながらも'何でもしなければならない'という考えに練習室にこそこそ出てくる。

"約束をしなくてもメンバーらが出てきてみれば踊っていて、歌詞使っていて...練習がとても生活化されましたよ。 そうしたら他の人らより曲を多く使うことになって、選ぶことができるようになってそうです。 何より'失望感'を抱かれて差し上げないために今までくることになったようです。"

走るばかりである時間ら、ファンたちを失望させることができないという考えら中でもGドラゴンはいつのまにかバランスを取る方法を習った。 彼が果たして何のために飛んできたかを少なくとも感じることになることだ。
(www.asiae.co.kr)でずっと連載されます。

正規アルバム1集の活動の頃のGドラゴン

インタビュー9☆

2010-04-04 22:30:12 | ジヨン2010年1~5月
[新スター告白]Gドラゴン⑨"ヤン・ヒョンソク兄、この人何だろう?"

ミニアルバム1集発売当時Gドラゴン[写真提供=YGエンターテイメント]


[アジア経済パク・ソヨン記者]自身のソロ曲と考えて作った'嘘'をヤン・ヒョンソクYGエンターテイメント代表が'ビッグバン'のための曲だと目をつけて、Gドラゴンはこの曲をメンバーらの歌でまた作り始めた。

"初めからまた作ろうとするからとても力が抜けました。 それでもまた作業をしたし'メンバーらが果たして好むだろうか'心配しながら聞かせましたよ。 その間した音楽とは大いに違ったのでメンバーらが初めて聞いては'アザ~'しましたよ。 '気に入らないか? それでは仕方ないだろう'考えながら静かにしていましたよ。 その時太陽が'してみよう!'で話しましたよ。"

Gドラゴンは率直にその時メンバーらがどんな感情を感じたのかまだ分からないと話した。 メンバーらに自身のソロ デビューのために作った曲を聞かせるという自体だけで震えた。 一言で彼の好みのとおり作った曲を聞かせたことなのでどんな結果が出るのかを考えることさえも震えることだった。

"震えましたよ。 メンバーらに聞かせることが…. だが、歌詞も修正して各パートを責任紙でしろと分けてから仕事がさらさら解けましたよ。 社長がとても'柿(感)'が良いです。 'これは何月に出て行かなければならなくて'とぴったり決めればあきれるようにも的中します。"

Gドラゴンが数えきれない程多くの曲を作れば、ヤン・ヒョンソク代表は聞いて、選ぶ。 ヤン代表は普段には気さくな町内兄のようで叔父のようだがことにおいてはついて行くことはできない卓越した感覚を自慢する。

"ヒョンソクが兄は神霊気があったようです。(笑い)曲を聞いて静かに話をしなくて目を何度(か)転がされては曲だけでなく出て行く時期まで決めて下さい。 私が使った曲を送れば数十曲多ければ百曲までみな集めておいて選び出しましょう。 1秒も聞かない時もあります。 計算的にするというよりは'これ違う' 'これ感じ良い'このような形でしょう。 兄が'感じ良い'ですればその曲はさく烈します。 恐ろしいほどと'この人何だろう?'こういう考えになります。"

ヤン・ヒョンソク代表はGドラゴンにあってはこの上なく良い兄であり、師匠、そして秘密の丘だ。 自らが歌手出身だから歌手の心をとてもよく分かる社長だ。 歌手らが大変な部分、力が出る部分を正確に知って良いシステムを作る。

"としたい音楽、着たい服、立ちたい舞台すべてできるようにして下さるから。 '嘘'も結果的には兄末代でさく烈したことでしょう。ヒウッヒウッ"

ミニアルバム1集発売当時Gドラゴン[写真提供=YGエンターテイメント]


インタビュー8☆

2010-04-03 22:42:06 | ジヨン2010年1~5月
[新スター告白]Gドラゴン⑧"'嘘'渡して涙が'くるっと'回りましたよ"

シングルアルバム2集時のGドラゴン


[アジア経済パク・ソヨン記者]グループ'ビッグバン'はデビュー初め'実力派アイドル'で注目された。 本人らが作詞作曲振りつけスタイリングまでやり遂げる'新概念'アイドル グループだった。 黒い服にペインティング、斜めに使った帽子、'裏路地'の臭いを漂うこのアイドルには'ダークアイドル'というニックネームがついた。

"デビュー超リーダーとしてメンバーらを追い詰めましたよ。 ムチを持って悪役をしなければなりませんでした。 人々がことを抜け出した自分の姿を見ればバカといいます。 ところで私がA型の小心な性格だと仕事をする時は計算をたくさんする方でしょう。 自ら'気がつかなければならなくて'と注入します。 人々が私に仕事をする時は目つきが変わるとそうします。"

休む時はメンバーらを困らせていたずらをする分別がない兄だが仕事をする時だけは恐ろしくメンバーらを鞭打ちする。 普段には大成、勝利など成熟した弟らよりごちゃまぜの'いたずらっ子'兄だが仕事にからは頑固な完ぺき主義者だ

ミニアルバム3集時のGドラゴン

"本当に熱心に練習したし、歌も熱心に作りましたよ。 '嘘'は本来私がソロ曲で使おうと作った曲です。 当時私たちはハウス音楽に陥っていましたよ。 その当時社長が日本なのか香港に行っておられたがメールで曲を送って差し上げましたよ。 新しい曲だと恥ずかしかったり悪口を言うことができたがメール送って5分もならなくて電話が来ました。 社長が'これだこれ. 本当に申し訳ないがソロ曲たたんでビッベン曲で行こう。 タイトルだ'いいましたよ。"

初めての感じは'空しさ'だった。 ソロ曲を出すことにした時点であったし、またソロ曲を出そうとするなら数年を待たなければならないかもしれない状況でそのような感情は一個人として、歌手として当然のことだった。

"何日夜を明かして作業をしたがグループがご一緒する曲で初めからまた使わざるを得なかったんですよ。 'この曲は君の曲でなく'ビッグバン'曲だ'いうから。 ビッグバン1集から私が音楽を作ったし、プロデューサーとしてビッグバンが先んじなければなければならないと考えるがそれでも'涙がくるっと'回りましたよ。"

二十才のGドラゴンはある明け方、夜が明けてくる頃窓側でそのようにぼうぜんと数時間を座っていた。


シングルアルバム1集時Gドラゴン

インタビュー7☆

2010-04-02 22:49:26 | ジヨン2010年1~5月
[新スター告白]Gドラゴン⑦"デビュー後人気、私のようでなかった"

デビュー時Gドラゴンの姿[写真提供=YGエンターテイメント]


[アジア経済パク・ソヨン記者]実力派アイドルグループを作るためのサバイバル過程を入れたドキュメンタリー'リアルダキュビッグバン'を通じて認知度をアップした'ビッグバン'は2006年デビューを目標にアルバムを準備し始めた。 その時当時Gドラゴン(実名クォン・ジヨン・23)は他の人々は一つもするのが難しいアルバム準備と修学能力試験準備を同時にしなければならなかった。

"歌手は頭が空いた、'考えによって' '操り人形'所属会社でみな作られることだ、こういう色眼鏡が嫌いでした。 考えを表出できる歌手になりたかったんですよ。 こういう考えはヤン・ヒョンソク社長も同じでした。 学校試験で80点以上越えられなければ練習もさせられなかったです。"

練習にまい進しながらもGドラゴンは学校生活と友人らとの関係を疎かにすることはできない部分だった。

"ただ期間に瞬間的な集中力を発揮して他の人々のように'一夜漬け'をたくさんしましたよ。 あきれるように夜を明かして学校に行って試験を受けてそうしましたよ。 知能指数だけ高くて...(笑い)学校では芸能人だと日クラスの友達らと遊ばないでそんなことも格好見たくなくて先に近付いて程度こともたくさんしました。 友人らにおいしいもの買ってくれと締めたり。"

デビュー時Gドラゴンの姿[写真提供=YGエンターテイメント]


日外敵の部分では'程度期'があふれるのかGドラゴンは学校の友人らとも他の人々のように平凡な友情をわかちあうことができた。

"試験期間なれば友人らがノートも貸してくれてたくさん助かりました。 先生らも歌手活動を準備するのをたくさん応援して下さって。 ご両親は学校生活を疎かにしないことに対して本当に感心がったでしょう。 そうした点で大変でも今考えれば'上手にした'したいです。"

色々な人々の助けとメンバーらの努力が合わされて成功的なデビュー戦を払って出した。 デビュー直後認知度が急上昇するとすぐにGドラゴンはかえってこういう関心らが'私のこと'同じでないこともした。

"デビューするやいなやとても急に人気を得るから'会社発' '所属会社の力'こうした話らがありました。 いくら良い歌手がいても会社が小さければ事実認知されるのが難しいのも事実であるから。 幼いころから業界でおきることをたくさん見てきたためかデビュー後照明を受けて本当にうまくいったことは考えたが'己惚れれば大変なことになる'という考えも共に聞きました。"

'子供ルーラ'からエンターテイメント業界の浮沈を見守ってGドラゴンはデビュー後急に得た人気がかえって心配なこともした。 大衆に認められて生き残ることができるところは実力だけという考えに彼はチームのリーダーとして'ムチ'になることに決心した。


デビュー時Gドラゴンの姿[写真提供=YGエンターテイメント]

インタビュー6☆

2010-04-01 22:59:30 | ジヨン2010年1~5月
[新スター告白]Gドラゴン⑥'ビッグバン'ニックネームは'どうして'でしたよ

アジア経済パク・ソヨン記者]'ビッグバン'メンバー中Gドラゴン(実名クォン・ジヨン・23)と太陽(実名トン・ヨンベ・23)を除いた初めてのメンバーで塔(実名チェ・スンヒョン・24)が議論されたが、ヤン・ヒョンソクYGエンターテイメント代表は真っ最中成長期にある塔のぽっちゃりとした容貌が'ビッグバン'には適切でないと考えた。

"6ヶ月ぶりに塔兄が狂ったように運動をして痩せてきました。 '君なぜこのように陥ったの?'尋ねるから'ここに入ってきたくて何ヶ月の間熱心にした'でしましたよ。 またオーディションを見たし当然つきましたよ。"

その後に続いてMnetの'バトル神話'というプログラムで最終脱落した勝利(実名イ・スンヨン・20),世の中が明るくなるような笑う姿のために選ばれた大成(実名カン・テソン・22)まで今の'ビッグバン'のメンバーらが順に合流した。

"本来は現在'ビースト'のメンバーのヒョン・スンも私どものメンバーでした。 ヒョン・スンまで六人で練習をして宿舎生活をしましたよ。 序盤には違うように生きてきた六人が集まるから性格も合わないで気力の戦いのようなこともありました。 ところで良くない時点を行き過ぎる瞬間本当に家族になりましたよ、1年半程度かかったようです。 多分そのような時間らがあったので今は目(雪)だけ見ても気持ちが通じることができることでしょう。"

どうのこうのある合宿生活を経てチームワークを作ったし、'ビッグバン'デビューのための'作戦'が開始された。 所属会社で'ビッグバン'のための候補群らを置いてサバイバル ドキュメンタリープログラムを作ろうという計画をたてたこと。 熊TV・MTVコリアで放送された'リアルダキュビッグバン(BIGBANG)'を通じて'ビッグバン'の存在をファンたちに知らせようという試みであり、それは成功した。

"YGでアイドルが出てくるということもそうで、サバイバル形式のドキュメンタリープログラムがファンたちの関心をたくさん受けましたよ。 その時だけでもリアルなプログラムがない焚くからです。 まだデビュー前だとたくさん負担もなりましたね。 いくつかの百万の人々が見たし注目をあびているのにまだ私たちは一つのグループとして音楽も踊りもなかったです。 所属会社の方らが私たちだけ見れば'あの子らどうして'といっていたが私どもを呼ぶ名前が'どうして'になりましたよ。(笑い)"

結局ヒョンスンは脱落したし、他のメンバーらは少なくない衝撃を受けた。 だが、ファンたちの注目の中にアルバムを準備し始めたし本格的に'ビッグバン'の姿を整え始めた。

子供のころのチドゥレゴン[写真提供= YGエンターテイメント]