はりえんじゅの道

立ち止まっても歩いても・・何時までたっても見付からない・・・・

青い花

2008-02-18 | Weblog
ヒマラヤの青い芥子
Meconopsis horridula ケシ科メコノプシス属多年草

 

ネパール西部・中国南西部の高山の岩場砂礫地
草丈は40cm~1mほどになり、4-7月に鮮やかな青い花が咲く。
ヒマラヤから中国西部 暖地で夏の温度に耐えられる。

原種

透明感のある高貴なその色は「ヒマラヤンブルー」の形容を持ち、標高
3500m以下では自生できない幻のケシの花、それがブルーポピー。


デルフィニューム




青いバラ



青いバラは不可能の代名詞と言われていたが、2007年日本のバイオテクノロジー

により、開発に成功したのだそうだ。 去年の暮に花屋さんで青いバラを発見

して、1本だけ買って来た。でもそれは白いバラに青い染料を染ませたもので、

しばらくすると活けておいたガラスの花瓶の水が綺麗なブルーになって、それは

それでとても美しかった。

花は皆美しいが、ブルーの花は殊に夢の世界に誘われるような趣があって、

すっかり虜になってしまう。blue poppy

RAKUGO

2008-02-17 | Weblog
「配置よく編集」はどうも無理なようなので、
雪景色を楽しむことにした。

今日は国際交流会館で開催される"英語落語"の公演会の案内をいただいているが、この雪だし誘って下さった友人も仕事の都合で行けないという。
1. "Love in the afternoon"   2. "The Mokubei's Favorite Lady"という演目で 2 を演ずるのは地元の人で、英語落語をはじめてから、かれこれ12年になるという。

行ってみたいのでわがオチバノキミを誘うが一向に興味を示さない。

「この雪降りに、馬鹿じゃない?」と言う。

ソレモソウダナ
風邪でも引くと大変だ

 


二階の窓から写しました。
三番目の写真は侘助の若木です。ピンボケ・小さい・ で花が見えませんね。払っても払っても重い雪が積もって枝が撓ってしまいました。
これがまた、何故トップの中央に行くのか分りません。
削除で消えて

ノロ・ウイルス

2008-02-15 | Weblog
去年の今頃のことを思い出す。

一昨年末、私は棚の掃除中に椅子から転倒し、脚を骨折して某病院に入院した。
担当医は良くケアして下さり看護師さんたちも親切で、骨折は順調に治癒し2月4日に退院した。
そこまでは良かったが・・・。

退院翌日の夜から、大変な吐き下しで、吐くものはもう無いのに吐き、お終いには血便が出た。翌日やっとの思いで近くのかかりつけの医院まで行き、手当をして頂いて、症状は一応収まった。 

しかし、以後ほとんど食物が摂れず、午後には38度の発熱がつづき(血液の炎症反応の数値が随分高かった)「これは内科からの症状ではないので整形の病院へ行くように」との指示で、入院していた病院へ予約依頼の電話をいれた。
ところが「外科的な手当は完璧にしてあるので、来院の必要はない。引き続きその内科で診て貰え」という思いもかけない返事が帰ってきた。(担当医は不在とのことで看護師さんから) 
ヒックリカエルホドオドロイタ!

が、ひどく弱っていたし、病院まで出かけて行く元気もないまま、内科の治療を受けながら20日近くが過ぎた。(内科のドクターは抗生剤なども投与して下さった)。しかし熱はとれず骨折部分の痛みはだんだんひどくなる。
今度は予約をとらず病院へ行った。5時間待たされてやっと診察
「手術の傷痕はきれいになっていますね。傷痕が小さいでしょう!! では28日に MRI 検査をしましょう」
とドクターが言った。
私、退院時45キロあった体重が38キロに減ってヒョロヒョロしていたが、気がつかないのか、気付いていても整形外科にとってはそんなことカンケイナイのか?
帰宅して検温すると、一時37度台に下がっていた熱が38度に上がっていた。

その後 RMI 検査はお断りし、ついでに病院もオコトワリしてしまった。

私の退院前夜に同室の1人が下痢で苦しんで居られたが、看病に来ていた娘さんとお孫さんも同じように罹患されたこと、他の2人の方も、私とほぼ同時に同じ症状で苦しまれたことを後日知った。

一連のデキゴトカラルイスイスルト、病院のノロカクシに翻弄されたワタクシであったらしいノダ!!

その病院の薄色の壁が、今でも”黒く見える”ので、遠回りしてなるべくそれを見ないようにしている。

5月になってから徐々に体調が回復して、食欲もまあまあ、今では体重も大分増えた。

体調の悪い間ずっと精神的なケアもして頂いたホームドクターには心から感謝している。
ほんとに有難うございました。



 

2枚・3枚・5枚

2008-02-15 | Weblog
  


今日は雪。
出かけねばならないので、こうしては居られないのだが、どうしても気になる。


何故余分なものが中央にでてしまうのか?




何枚出ても思い通りの場所に貼りついてもらわねば意味がない。

てこでも動いてくれない画像!
額縁は要らない。それに私がアップしたのは4枚だ。

写真

2008-02-14 | Weblog
マウント・エディス・キャベルが抱く天使が純白の羽を広げたような氷河。駐車場からゆるやかな斜面のトレイルを1時間ばかり歩くと、間近にエンジェル氷河が現われる。そこから流れ出す氷塊の浮いた氷河湖も間近に見ることができる。カナディアン・ロッキーの美しい山々の中で、エディス・キャベルはその命名の由来にも因って一際美しく聳えたっている。


昨日 テクノアークで
私  「先生、このブログに複数の写真を入れることが出来ますか?」
先生 「はい、出来ますよ。簡単です。画像編集の項を、良く読んで
    やってみて下さい」
私  「はい、やってみます。(陰の声)〈デキッコナイト思うけど。先生忙しそうだからナア〉」

以来何回か試みるが予想どおり出来ない。
もっとちゃんと読めば出来るかなあ
もう少しがんばってみよう。
しかし疲れた。




Wo さんのコメントからの連想

2008-02-13 | Weblog

 シャルル・アズナーブル

 

 

彼の父はグルジアで生まれ、その父(シャルルの祖父)はロシアでニコライ2世の料理人をしていた(最近本人がニコライ2世ではないと否定した)。母はトルコ系アルメニア人の商人の家系である。彼らはアメリカ行きのビザを申請するためパリに滞在している時に落ち合い、1922年に結婚した。 シャルルの両親は早くから彼とその兄弟をパリに持つレストランや多くの舞台に立たせた。9歳より芸能活動を開始し、アズナブールの芸名を名乗る。 1946年に、フランスの有名な女性歌手エディット・ピアフに認められたことにより彼の経歴は飾られている。彼女のフランスおよびアメリカのツアーに同伴した。 エディット・ピアフの生涯の多くの事実と出来事は謎に包まれている。彼女はエディット・ジョヴァンナ・ガション(Édith Giovanna Gassion)としてパリの貧しい地区ベルヴィル(Belleville)に生まれた。 ピアフはベルヴィル街72の路上で生まれたという伝説があるが、出生証明書によればベルヴィルのテノン病院で誕生したというのが事実である。エディットという名はドイツ軍に処刑されたイギリス人看護婦イーディス・キャヴェル(Edith Cavell)にちなんでいる。(キャベルが処刑されたのはこの年の10月でパリでも大きな話題となっていたのだ)。(ちなみにパリジャンの俗語で雀を意味するピアフが彼女のニックネームになるのは20年後のことである)

 

カナダのジャスパーにエディス・キャベルの名を冠した山がある。エンゼル氷河が懸かっている。そこをトレッキングしたことがある。

落葉~アズナーブル~エディット・ピアフ~エディス・キャベル。

 これは「同調」かもしれない。


今日は何の日

2008-02-12 | Weblog
今日は何の日
今日はリンカーンの誕生日。
かの有名な"ゲティスバーグの演説"が載っていた。
リンカーンは偉大だ。リンカーン


It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished
work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is
rather for us to be dedicated to the great task remaining before us ---
that from these honored dead we take increased devotion to that cause
for which they gave the last full measure of devotion --- that we here
highly resolve that there dead shall not have died in vain ---

私たちがむしろしなければならないのは、ここで戦った人たちの理想を更に
進めていくことです。私たちはこの目の前に残された仕事を仕上げなければ
なりません。この名誉ある死者たちが最大限の献身によってもたらしてくれ
たその結果を更に大きなものにしていかなければなりません。彼らの死が
決して無駄な物であってはなりません。

that this nation, under God, shall have a new birth of freedom --- and
that government of the people, by the people, for the people, shall not
perish from the earth.

私たちがしなければならないことは、この国において、神の下に新しい自由な
社会を築いていくことです。そして人民の、人民による、人民のための政治は
決して地上から消滅してはならないのです。
今日は何の日
(june さんのブログより 
《面白い情報がいっぱい詰まっていますよ》)

友人

2008-02-11 | Weblog
友人の一人に美術館巡りが趣味という人がいる。
 
Tさんという。

Tさんは今までに一体幾つの美術館を訪ねたのだろう。

今度会ったらお訊ねしてみよう。

Tさんはルドンがお好きだそうだ。

私はあまり沢山の絵を見ていないので、「ルドンてあの目玉を描く人?」

と又無知ぶりを発揮した。わが家の貧弱な画集にはルドンは、ほんの

数点しか載っていない。で Google で探してみたらほんとに魅力的な

絵がずらずら出てきて、たちまち好きになってしまった。

ホンモノを見る機会はないだろうなあ。

「私はユトリロが好き」と今まで長い間ユトリロに固執していた。

(ユトリロは私本物を見たのだ。白の時代と黒の時代の作品を。

そう数多くではなかったけど)

でも、そろそろ改めることにします。Tさん

Vancouverの友人

2008-02-09 | Weblog
ネットサーフィンしていたら、カナダの友人から電話がかかってきた。
彼女はご主人が亡くなってから、郊外のお家を引き払って、便利な
バンクーバーのダウンタウンで一人で暮らしている。
なんとまあ明るく楽しそうなお話で、うらやましい。
私も1か月でいいからそんなふうに暮らしてみたいなあ
時々気軽に日本へ来ては、(帰ってかな)又気軽に帰って(行ってかな?)
しまう。
彼女はご主人の任地のアフガニスタン・アメリカ・オーストラリア
に住んでいた。
「昨日まで、友人とカジノへ行っていた」というので、無知な私は驚いて
「え?バクチをするの?」といって笑われた。
後で”カジノを検索してみよう。

御断り この写真は借り物で記事とは一切関係ありません。(Woさんへ)