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久しぶりのソロライブで

日記がごぶさたになってしまったので、このさい久しぶりに「だ・である」体の文章にします。

この秋はあまりにたくさんのライブをして、どのライブもすばらしい機会になって感謝、そのことをひとつひとつじっくり振り返りたいと思っていながらなかなか書けずにいた。そして少し休みがとれて気をゆるめてほろ酔いになりながらようやく書き始めることができる…しかし、どうしても最初に、自分がお世話になった人の訃報から始めなければならないことがとても悔しい。


今月の6日(土)、ギタリスト瀬賀倫夫さんが亡くなった。うちの父と同い年、58歳という若さだった。新潟での告別式、瀬賀さんと縁の深かった小川紀美代さん、ギターの畠山徳雄さんとの送り出しの演奏は、本当につらかった…。

瀬賀さんは若い頃からアルゼンチン音楽に傾倒、80年代の終わりにアルゼンチン・フォルクローレの祭典「コスキン・フェスティバル」にパートナーの多田行規さんと参加。その際に訪れたサンティアゴ・デル・エステロで、音楽家フアン・カルロス・カラバハルと出会った。

その年、ちょうど縁あって瀬賀さんは埼玉のわが家にみえた。そのころ私はギターを始めたばかりで、瀬賀さんが目の前で弾いてくれた、それはものすごいプレイに当時9歳の自分はショックをうけた。その秋に福島・川俣での「コスキン・エン・ハポン」で私が人前で初めてギターを弾くことになったのも、声変わり前後のボイスレターをサンティアゴのフアンカに届けてくれたのも、時を経て私がサンティアゴですばらしい音楽の日々を過ごせたのも、瀬賀さんと私の家族との縁あってのものだった。

2004年に小川さんとの演奏などで何度か瀬賀さんとご一緒する機会ができた。ライブではまだ帰国直後で音楽的に安定しない私を、その絶妙なトークでいろいろ紹介してくれた。同じギタリストとして、大人の距離感?も含めて対等に扱ってくれたことが忘れられない。ビールとたばこを愛し、本当に音楽を楽しんでいた…亡くなる10日前にも小川さんとのドゥオで新潟でコンサート…最後まで現役を貫いた人だった。瀬賀さんのご冥福を心からお祈りします。


13日(土)の祖師谷ムリウイでのライブ。いつもいろいろな編成で出ていても、完全にソロで演奏するのは実は初めて。瀬賀さんに捧げるライブにしたかったが、そんなかっこいいことが言えるほどにはあまり準備ができなかった(汗)。それだけ今年はいろいろな方とたくさんのライブをしたという証でもあるが、その反面の部分がでてきたのは、むしろ前向きにとらえていいことと思っている。

普段は2人以上で演奏する曲をあえてソロで、ライブの1曲目に弾くという「ささやかな冒険」はしたものの、ここは今年を振り返る意味でも、聴きに来てくださったお客さんとじっくり音楽の空間を楽しみたい気持ちで演奏した。2年ぶりにお会いする方、前回のライブを聴いていただいて今回も来てくださった方…そんな中で演奏できる幸せを、瀬賀さんに捧げます。
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