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"El Rejunte" Pirulo, Omar y Repo
15日(土)の夜、フアンカ&エル・レフンテのステージに参加しました。サンティアゴに来てからは火曜日にテルマスという町にフアンカのレコーディングに付き添ったりした以外はひたすら家で練習したりのんびりしていましたが、週末はリハからそのままアサド(バーベキュー)~翌5時までギタレアーダ(弾いて歌い)、明けた午前11時からまたレコーディングに付き添い、その夜レフンテの本番・・・といきなり過密スケジュールになってしまいました。
![Img_0200a Img_0200a](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/1e/19f6151da82014b48f5ec40a7f3c451c.jpg)
会場はサンティアゴから30kmほどのところにあるウピアニータ。ちょうどフェリアが開催中で、広場では地元の名産品の展示販売とステージがあります。エル・レフンテとご一緒するのは2004年以来とても久しぶりでうれしいです。
セッティングして前半のステージは舞台下で待機。フアンカ、ピルーロ、レポ、オマールの4人編成に、テルマスのレコーディングやアサドでも一緒だったパコがボンボでサポート。主にピルーロがトップボーカル、フアンカ、オマールがコーラスや交代でソロをとります。このピルーロの声がまたすばらしいんです。3人ともメロをとってもハーモニーにいっても完璧、こちらはすっかり観客になってしまいました。ステージの前は広いスペースがとってあり、チャカレーラにサンバ、みんな思い思いに踊りを楽しんでいます。
![Img_0326a Img_0326a](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/05/6e69c5f21fe47f0b910da692e7236ec4.jpg)
一方自分はこの後出るぞという高揚感と、そういえばライブ自体も半月ぶりだし今回アルゼンチンでの初演奏どうしよう・・・という後ろ向きの心を振り払うのといったりきたり。でも時々イニャキやレポのお父さんが声をかけてくれたおかげでかなりほぐれます。
休憩をはさんでステージに。最初はフアンカと私のドゥオで演奏。ピルーロがボンボで手伝ってくれました。20日から一緒にコスキンに行くのでそのシミュレーションを兼ねています。フアンカ得意の長MCでなんだかものすごい紹介をされてしまったような気がするのですが、みなさんにごあいさつ。ライトの関係であまり見えないせいか、日本人?と聞いて子どもたちがステージの前に見物に集まってきました。
フアンカの新作『de Pueblo en Pueblo 3』にも収録されているチャカレーラ『Monte Milenario』からスタート。前半からも含め、今回の曲のほとんどはフアンカ作詞、または作詞作曲によるものです。サンバの『La Adela sale a bailar』を弾いた後こちらにソロをふってもらい、前もって「これをやりなさい」とリクエストされていたミロンガのメドレー『Milonga de mis amores ~ Tango negro』を演奏。そしてチャカレーラ『Hermano Kakuy』でボーカル参加。ここまで来るとお客さんにすっかり迎え入れてもらって感激でした。最後は全員でチャカレーラを4曲続けて弾いて終了。いろいろフレーズを飛ばしたりはありましたが、7年ぶりにサンティアゴで一緒にチャカレーラを弾けたことが何よりも最高の時間になりました。
![Img_0357a Img_0357a](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/bd/ca4314dda81a513ace53a943c04eb1d7.jpg)
![Img_0406a Img_0406a](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/8c/4c44e888e2d60c6e6810d85ff2ae75e9.jpg)
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フアンカ宅やレコーディングの場、アサドに演奏後の打ち上げでも必ず話題になったのが2008年12月に他界された瀬賀倫夫さんとの思い出でした。89年に多田行規さんとの「ロス・デル・セキヤ」としてコスキンに出場後、サンティアゴを初めて訪れた瀬賀さんはフアンカとの知己を得て、以来サンティアゴに何度も通ってたくさんの交流をされてきました。
一方89年に埼玉の私の家にもみえて父が持っていたフアンカのレコードを見てびっくり、当時ギターを始めて間もない私が最初にいきなりサンバを弾いている変わった少年だった?のを知った瀬賀さんは「埼玉にアルゼンチン、サンティアゴ・デル・エステロの音楽を演奏している家族がいる」とフアンカに紹介してくれました。カセットテープで録音したメッセージがなつかしいです。
2004年の滞在の時にも新潟からファビオやルーカスとのメールで「チエイの様子はどうだ?』と気にかけてくれていた瀬賀さん。この20年間のご縁に感謝、この日の演奏はサンティアゴを愛し、サンティアゴに愛されたMichio Sega !に捧げたいと思います。
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ちなみにサンティアゴ~ウピアニータ間の移動はタクシーやパコの車(テルマスから100km近くはるばる来てくれました)に分乗、タクシーの運転手の兄ちゃんにもフェリアにいる間ずっと付き合ってもらいました。彼がまたキャラクターの持ち主で、暗くて見えにくいのに歩いている女の子をみかけるとすかさずクラクションや口笛でアピール。うらやましいです。フィアットの小型車に5人乗り、前にフアンカ、後ろにピルーロ、私、オマールが乗り、しかもボンボとギターを座席に1台ずつ抱えての道中、楽しかったです。
さっそく動画もアップしました。上はライブ映像のチャカレーラ2曲(イニャキ撮影)、下はリハの模様(智詠撮影)です。ステージ&フェリアの写真はファビオ担当、まさか150枚も撮ってバッテリー使い切るとは・・・
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"Por si no te vuelva a ver" J.C.Carabajal-Pablo Carabajal
"Atamisqueando" J.C.Carabajal-Elpidio Herrera
(chacarera)
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"El cielo de mi Santiago" J.C.Carabajal-Cuti Carabajal
(zamba)