
『チンチョン、チャンチョン』
道路を歩いているとよく言われます
アジア人に対しての差別の言葉です。
言われるととても気分が悪くなります。
ここでは珍しいのでしょう、この顔つきや肌色が。
子どもは意味も分からず言っているので
腹が立っても、ちゃんと説明してあげます。
「超傷ついた。その言葉は差別の言葉だよ、
私を呼びたいなら「チェコ」と呼んで。」と
たいていの子どもはこれでわかってくれます。
この間は、高校生の軍団に通りの向こうから叫ばれました
たいてい無視をするんですが、その時ばかりは腹が立ったのでしょう
ズカズカとそばに行き、「その言葉傷ついた!もう言うな!」と。
すると高校生。
「チンチョンってどういう意味?」
おいおい、そんなの知らないよ
知らないなら言うな
って思いましたが、ここは冷静に
「分からない。でも気分が悪くなるから、きっと悪い意味だよ。」と。
ルシアンも意味も分からず言っているということですね~。
ちょうど日本にいる外国人に対して、
「ほら見て!ガイジン!ガイジン!」というような感覚でしょうか。
どちらも相手が傷つく言葉だからよくないことだと、今ここで言っておきます
やっかいなのは、大人の人
道路にたむろしている男の人達は私が通ると、からかい半分で言います。
通りすがりに耳元で囁いていく人も。たいていは無視。
「私はチンチョンじゃない。日本人だ。何か私に用事か?」
と言い返すときもあります。
そういうと「い、い、いや、なんでもないよ。」としどろもどろに(笑)
ひどい時には通りすがりの車の中から、「ヘーイ、チンチョン!」と叫ばれます。
私が何か言う前に車が去ってしまうので、
これだけは非常に腹が立ちます
なにくそー!なんで私がそんなこと言われなきゃいかんのだ
!
ジンバブエへ行った隊員の話では、
ここで受ける差別よりもひどい差別を受けたそうです
アフリカでは、白人、黒人、アジア人、の順で人を差別すると聞きました。
ここもそうですが、奴隷として差別を受けてきた黒人。
悲しいことにそれが、さらに見下す人を作り上げてしまったのかもしれません。
白人には絶対に差別しないのに、アジア人にはそうではありません。
そのくせ、自分が差別されることに関しては殊更、敏感なのです
そもそも日本では、堂々と人前でこのような
人種差別を受けることはありませんでした
だから、ここにきて「人種差別」を受けるとはどういうことか
よくわかりました
何もしていないし、害も加えてない。むしろセントルシアのために働いている。
なのに、「ここに自分がいる」というだけで差別を受けるのです
肌の色や顔つきだけで、自分を判断されてしまうことは本当に悔しいことです。
奴隷時代を経験した黒人はもっともっと悔しい思いをしてきたことでしょう。
人種差別だけに限ったことじゃないです。
見た目や体つきで人を差別することは、本当に最低なことだと実感しました。
人間は中身で勝負です
とまぁ、こんな感じで『チンチョン』愚痴を書きましたが
ほとんどのルシアンはそうではないです
特に私の住む街、スフレでは。人があったかいから。
だから、セントルシアもルシアンも私は大好きです
それに『チンチョン』って言われない1番の対処法を、私は見つけました
それは、通りすがる人みんなに、自分から挨拶をすること。
知らない人でも、とにかく挨拶します。怪しい人には、特に
挨拶されればもう友達。絶対に言ってきません。
単純というか子どもというか・・・
ルシアンのいいところも悪いところも、もっと知っていきたいです
写真は、チンチョンってよく言われる首都の街の様子です。
道路を歩いているとよく言われます

アジア人に対しての差別の言葉です。
言われるととても気分が悪くなります。
ここでは珍しいのでしょう、この顔つきや肌色が。
子どもは意味も分からず言っているので

腹が立っても、ちゃんと説明してあげます。
「超傷ついた。その言葉は差別の言葉だよ、
私を呼びたいなら「チェコ」と呼んで。」と

たいていの子どもはこれでわかってくれます。
この間は、高校生の軍団に通りの向こうから叫ばれました

たいてい無視をするんですが、その時ばかりは腹が立ったのでしょう

ズカズカとそばに行き、「その言葉傷ついた!もう言うな!」と。
すると高校生。
「チンチョンってどういう意味?」
おいおい、そんなの知らないよ


って思いましたが、ここは冷静に
「分からない。でも気分が悪くなるから、きっと悪い意味だよ。」と。
ルシアンも意味も分からず言っているということですね~。
ちょうど日本にいる外国人に対して、
「ほら見て!ガイジン!ガイジン!」というような感覚でしょうか。
どちらも相手が傷つく言葉だからよくないことだと、今ここで言っておきます

やっかいなのは、大人の人

道路にたむろしている男の人達は私が通ると、からかい半分で言います。
通りすがりに耳元で囁いていく人も。たいていは無視。
「私はチンチョンじゃない。日本人だ。何か私に用事か?」
と言い返すときもあります。
そういうと「い、い、いや、なんでもないよ。」としどろもどろに(笑)
ひどい時には通りすがりの車の中から、「ヘーイ、チンチョン!」と叫ばれます。
私が何か言う前に車が去ってしまうので、
これだけは非常に腹が立ちます

なにくそー!なんで私がそんなこと言われなきゃいかんのだ

ジンバブエへ行った隊員の話では、
ここで受ける差別よりもひどい差別を受けたそうです

アフリカでは、白人、黒人、アジア人、の順で人を差別すると聞きました。
ここもそうですが、奴隷として差別を受けてきた黒人。
悲しいことにそれが、さらに見下す人を作り上げてしまったのかもしれません。
白人には絶対に差別しないのに、アジア人にはそうではありません。
そのくせ、自分が差別されることに関しては殊更、敏感なのです

そもそも日本では、堂々と人前でこのような
人種差別を受けることはありませんでした

だから、ここにきて「人種差別」を受けるとはどういうことか
よくわかりました

何もしていないし、害も加えてない。むしろセントルシアのために働いている。
なのに、「ここに自分がいる」というだけで差別を受けるのです

肌の色や顔つきだけで、自分を判断されてしまうことは本当に悔しいことです。
奴隷時代を経験した黒人はもっともっと悔しい思いをしてきたことでしょう。
人種差別だけに限ったことじゃないです。
見た目や体つきで人を差別することは、本当に最低なことだと実感しました。
人間は中身で勝負です

とまぁ、こんな感じで『チンチョン』愚痴を書きましたが
ほとんどのルシアンはそうではないです

特に私の住む街、スフレでは。人があったかいから。
だから、セントルシアもルシアンも私は大好きです

それに『チンチョン』って言われない1番の対処法を、私は見つけました

それは、通りすがる人みんなに、自分から挨拶をすること。
知らない人でも、とにかく挨拶します。怪しい人には、特に

挨拶されればもう友達。絶対に言ってきません。
単純というか子どもというか・・・
ルシアンのいいところも悪いところも、もっと知っていきたいです

写真は、チンチョンってよく言われる首都の街の様子です。
あとチャイニーとも…。
アジア人をチンチョン、チャイニーとひとくくりにしかできないのか!?と不愉快になる。
この言葉をきくと馬鹿にされてるようでイライラ。
アジアには日本人も韓国人もベトナム人もタイ人も…とにかくいろんな人がいるのになぁ。
地球の裏側にあたるアジアの情報がここではほとんど無いからなんだろうね。
そして教育も不十分なのは明らか…。
地道に理解者を増やしていくしかないね。
自分から挨拶をするというのは深く納得です。
知り合いになってしまえば大丈夫!
チンチョン撲滅に向けてがんばろう☆
旅行なら一時だけど、滞在するってのはそういうのも肌身に感じる訳ですね。
以前の書き込みにもあったけど、ちょっと人助けにしても、躊躇してしまうような日本の(いや、自分の)昨今。
初対面の人に「超傷ついた」なんて話しかけるのも勇気がいりそうです。
でも、日頃学級で「○○って言われて、いやだったんだ、と、その子にまずはいいなさい。」なんて指導しているのは私です。
これは「【相手が】(○○するの)やめて!」ではなくて、「(ちょっかい出されて)【私は】いやなんだ!」と、【私】の気持ちを伝えるようにしていくのが大切、なんて研修で聞いたからです。
私たち大人でもいえることですね。
「挨拶をすること」私はもう一つ、職場ではできるだけ名前を呼びかけてあげたいな、と考えています。なかなかできないけど。
「[ちぇこ]と呼んで!」と一緒ですね。
アジア圏…確かにわからないかも…。私自身、外国のこともよくわからないでいるから…。
確かに知り合いになってしまえばこっちのもの。でもアジアの製品や食品、レストラン(特に中華)は世界のいたるところにあるし、皆もそれを利用してるのに、なぜ差別するのだろうか?
わからないっていうのは、とても不安な存在だから・・・自分たちにとって。
不安なものは出来るだけ失くしたいですよね。
「チョンチン」とか名前をつけることで、区別する。
区別ならまだいいけれど、怖いからやがて差別になる。
差をつけることで、怖さから逃れる。
そんな心理が、日本の中でも溢れ返ってるのではないかなと思います。
難しいことですが、「わからない」は「わからない」で放っておくより、「わかろうとする」努力が必要です。
差別される側も、する側も、そして無関心な立場の人も。
少しでも「わかろう」とすれば、お互いが作っている壁は壊れ始めます。
それでも、私たちはどこか優位に立ちたい。人間の性なのか、そういう部分を否定も出来ない自分もいます。だからこそ、「わかろう」と意識することは大切なのだと思わずにはいられませんね。。。
俺もほとんど無視だね
逆にタクシーとかで日本人というと金持ってる
イメージあるみたいでふっかけてくるから、
そう俺はチーナ(中国)って答える。
ちょっと負けた感があるけどね
ナショナリティーに欠ける自分があるわ。
ちえをみならわないとね。
マジ言い返したかった・・・
ちえちゃんんが言い返してくれてた時はマジさまーーーみろ
一人だと・・・
でも本当にこうして海外に出て、差別的扱いされ、孤独な気持ちや寂しい思いをすると、本当に日本で外人さんがいたら、優しくしてあげようと思うんだよね
でも良い勉強になるね
そうそう・・・日記にも書いたんだけど、帰りのアトランタ空港で黒人にカツアゲされた
怖かった・・・
それを知ってるだけでずいぶんこの差別も違うと思うのに。
でもうちらも、ここに来るまで
こんな世界があったなんて知らなかったから
仕方ないか
地道な活動が実を結ぶ。
そんな気がするよ。
ちなみに日本は中国や韓国とだいぶ一緒にされてるよね。
うちらがカリブの国の人たちが一緒に見えるのと一緒だね
一方的に「やめて」というよりも
自分がどう感じてるのかを伝える方がよく伝わるときがある
私もなるべくIメッセージを重視してます。
それと、名前呼ぶのって大事だと思いました
この人私の名前呼んでくれた → 覚えてくれてたんだ → 嬉しい → また話そう
というように、いい循環が生まれますもんね
でも、そう。中国製のものよく利用してるのに差別を受ける。
世界のいたるところにいる中国人は、そういう点でものすごく強い意志を持ってると思う
知り合いの中国人は、中国に住んでるよりここの方がちゃんとした生活ができてよっぽどいいって言ってたけど、生活がかかってる彼らには差別の言葉も我慢できるんだろうね。
なんかお気楽にいる自分たち日本人よりよっぽど強いと思ったよ。
日本にいたら学べないことばかりだね
「わかる」
簡単なことのように思えて、実はすごく難しいよね。
わかるためには自分も相手を受け入れる心がないといけないし
自分も心を開かなきゃいけないでしょ。
で、更には新しいことや自分と意見が合わないことでも
全て受け入れて消化しなきゃいけない
でもそれができたとき、差別もなくなるんだろうなぁ。
「人類皆友達」の日が来るのも遠くないと信じたい。
そしたら戦争なんかもなくなるんじゃないか
なんか大きな話になっちゃったけど
地道に一人一人が「わかり合い」にチャレンジすることだね