CURRICULUM VITAE ~人生の道程~

感じ、考え、歩き出し、つまづき、そして、起き上がる。

新章へ。。。

2009-03-31 21:45:08 | ○徒然日記
 いよいよ3月も最後の日。
今年の桜は早いですね・・・毎年その開花時期を心待ちにしている私ですが、今年の桜の開花はより一層感慨深いものがあります。
浜松で桜を眺めるのも、もうこれで5回目となります・・・


 3月14日、無事に大学を卒業しました。
卒論の追い込みの時期には心身ともに荒れ狂っておりまして、このブログでも散々醜態をさらしてしまいました・・・お恥ずかしい限りです。。。
その卒論も、「空手教室に通う子どもたちのコラージュ作品からみた精神性に関する研究 ―幼児期から学童期を中心として―」という立派なタイトルのもと、原稿用紙換算で160頁越えの大作(?)になりました。
 大学卒業に際し、まず心に浮かぶのは、親・家族への感謝です。
大学入学以前には、競走馬の調教・育成を学ぶため単身渡豪し、1年間その道のトレーニングを受けるなど、特に両親には心配をかけっぱなしだったと改めて反省しています。
これからも私が私として生きていくなかで、状況や立場等、様々な変化があるでしょうが、私が両親にとっての娘であることに変わりはありません。その都度迷惑も心配もかけてしまうと思いますが、それでも、私が出来ること、精一杯に生きることで恩返ししていけたらと思っています。

 大学では心と身体の各々について専門的に学び、それぞれのつながりを学び、人間というものを総合的に知るきっかけとなりました。沢山の講義や実習を通じ、知識や情報を自分の中に取り入れる過程で、理論だけでは語りつくせない人間というものの在り方を改めて実感しました。
知識が無ければ対応できないことも多く(解剖学や生理学、スポーツ障害論やバイオメカニクスなど、ひたすら覚えることが多くテスト前は半ベソかきながら徹夜していました…)、半端な気持ちでは出来ません。しかし、学びとは知識そのものを持つこと、得ることが目的ではなく、的確に使えて初めてその効力を発揮します。私の場合は、まだまだこれからです。
 ちなみに私は、「心身マネジメント学科」という新設学部の1期生でした。
学科のコンセプトとしては、今まで心理・身体と分けて学ばれがちであったことへ疑問を投じ、そこに社会・経済の学びを合わせ、総合的な面で指導者を育成する、というものです。
しかし、心と身体、一概に同じ枠組みの中に混ぜるわけにもいきませんし、指導する側にも互いにどこか相容れない部分もあり、今まで分けられてきた理由を垣間見た気もします。
何も授業から得るものだけが学びではなく、自分の置かれた環境から自分自身が何を得ようとするのかが重要だと感じた4年間の学生生活でした。

 空手との関わりにも大きな変化がありました。大学入学と同時に始めた少年部指導です。
はじめの1年間は先輩指導員の補佐として、毎日各教室の稽古に参加していました。
この1年間は、まずは自分の目で見て感じて、土台作りの大切な年だったと思います。言うなれば、白紙に地図を描き出したといったところでしょうか。
 2年次の4月からは自分の教室を立ち上げることになり、浜松市の地図を広げ、交通の便や学校の数、当時活動していた他の教室との距離などを踏まえ、実際に候補地の数々に足を運び施設とも交渉を繰り返し、自分自身で決めました。そして開設第1号教室が積志教室です。
不安と期待と緊張でいっぱいの開設初日には、3名の子どもが集まってくれ、何をするにもどこか頼りない私に、一層の決意と覚悟を与えてくれました。
 その後、夏には長時間検討の末、高台を開設、浜体教室や白脇教室の引継ぎなどを経て、現在に至ります。会場の閉鎖に伴い移転や新たな活動場所の検討を余儀なくされるなど、時には危機的状況にも見舞われてきました。。。しかし、自分自身が教室の責任者である以上、そういったことへもひとつひとつ目を背けず立ち向かっていかなければなりません。立ち向かうといっても「対立」だけがすべてではないこと、「対話」が必要だということも学んできました。

 「少年部の指導」とはいえ、関わるのは子どもたち本人だけではありません。
そこには子どもたちの保護者の方や、使わせていただいている施設の方・・・実に多くの方の存在があります。また、教室を自分で運営していく以上、空手の指導ばかりでなく、会場の確保や金銭の管理など、子どもたちとの関わりだけでは完結しません。もちろんこういうことを自分だけが行っているということではありませんが、教室運営における「関わり」を通じての学びもまた、私の人生に必要なものだったのだと思っています。
 また、私はまだ出産経験がないので、「我が子」がいません。だからと言って子供の指導が出来ないか、成長を見守るのは親だけの役割かといえば、そうではないと思います。
親はもちろん、身内、先生、地域の大人たち・・・子どもは色々な立場のひとから、多くを吸収して成長していくものではないでしょうか。また、そんな子どもたちとともに育っていくのも、その大人たちの立場であり、人間性だと思います。

 だから私は、「きょういく」とは「教育」ではなく、「共育」でありたいと思っています。
その分、「私」という人間が、その子の人生にほんの少しでも携わること、まして何かを指導するということへの重みをしっかりと認識した上で、子どもたちひとりひとりとしっかりと向かい合う必要があります。
子どもたちも生きていますし、もちろんこちらも生きています。
止まらぬ時の流れの中で、指導の場面、稽古の1回1回も「生けるもの」として捉えています。
その都度、思ったとおりに行くことなどあまりありません。「よし、やった!」と思える稽古など、年に数回ですし、もしかするとそういう風に感じたときこそひとりよがりの自己満足な稽古になっていないか、疑うべきかも知れません。しかし、気持ちは常により良い稽古を目指して、日々奮闘しています。

 「苦労は買ってでもしろ」と、昔から、どこかで誰かが言っています。
しかし、そこらへんで簡単に売られている苦労などあるはずもなく、たとえその苦労が売っていたとしても、それを買うことが既に怠慢な証拠・・・そういう人は、まずは苦労を見つける苦労をすべきでしょう。
苦労というものはひとによって捉え方も感じ方もまちまちです。
私の苦労は他のひとからすれば大した苦労ではないかもしれないし、逆もまた然り。
要は自分の価値観だけで誰かの苦労を測るのは実におかしな話だということです。その人にとっての「苦労」が「苦労」なわけです。
しかし、それをそのまま受け入れ難いのが人間という生き物の厄介なところだと思います。
何かを得たとき、良くも悪くも誰しもそこに至る経緯があり、その中には努力も苦労も含まれるでしょう。しかし、人間は誰かの「得たもの」にしか目がいかず、その人がそこまでに通過してきた物事などお構い無しに結果のみを語りたがります。

 私自身も、私なりに、文字には書き尽くせぬ経験をし、積み重ねて今があります。
すべてが良いことばかりではありません。時には傷つけてしまうこと、傷ついたこと、覚悟を決めて思い切って前に出るべきときもあれば、じっと耐えるべきときもあります。
それは誰にも言えることです。
自分を知り、他者を知り、そして、それぞれを受け入れ、活かす。
積み重ねてきたことを忘れず前を向いて歩くこと・・・それが、今までの自分自身とそんな自分と関わり繋がってきたものや積みあげてきたものを重んじることに繋がると思います。

 私には夢も、課題も、目標も、これから私が私としてやらなければならないこと、やりたいことがまだまだたくさんあります。
そういうものにめぐり会えたこと、本当にありがたいことです。
そしてこんな風に大学生活を振り返ると、長くて短い4年間、私なりに情熱を絶やさず、我ながら必死に生きてきたと思います。


 大学1年の誕生日から、不定期ながらこのブログを続けてきました。
学生として、少年部の指導員として、そしてひとりの人間として・・・あくまでも「ソトヅラ」ではあるのでしょうが、それでも私という人間の大学生活4年間の成長の過程が刻々と刻まれていると思います。
そして本日、この文章にて、このブログを卒業したいと思います。
インターネットというものの功罪についてはあちらこちらで語られていますが、それも付き合い方ひとつですね・・・こんなに拙い文章ですが、空手に関係される方、そうではない方、インターネットというものを利用してたくさんの方に読んで頂きました。
というわけで、「ちびっこ」の章は、これにて【完】です。
これまでも、これからも、私の活動を支えてくださる方々がいること、いつも忘れず、自身を鍛えることを怠らず、邁進していきたいと思います。
4年間、本当にありがとうございました!
私の「新章」に向かって、また一歩、自分の足で歩き始めます。


 過去の文章についてはしばらく残しておきます。
私も何かに行き詰ったとき、初心を思い起こすためにもたま覗いてみるつもりです。
最後の最後まで、長文にお付き合いいただきましてありがとうございました。

変化・追記。。。

2009-03-12 20:28:24 | ○徒然日記
悪い方向への変化…というものを考えてみると、そもそも「悪い」とは何かを知る必要があると思いました。
そして、この場合、「悪い」という表現自体が、思うところを伝えきれていないと感じます。

悪いというより、自分や相手にとって思わしくない方向、とでも言えるでしょうか。。。
それに、変化の方向というものは、良し悪しで単純に判断されるものでもなければ、そのモノサシすら人によって様々です。
何が良いとか悪いとか、そういうものでもないと思いますし、そもそも「答え」なんてもの自体がないのだと思います。


変化は風に似ているのではないかと勝手に考えています。
自然が起こした風を受け、それを前に進む力にすることも出来ます。
また、扇いだり吹くことで風を自分で起こすことも出来ます。

ただ、風を待つだけでも、風を起こし続けるだけでもうまくいかないものなんですよね…
時に嵐のような暴風に吹きさらされながら、時に無風のなかを立ち止まり途方に暮れながら、それでも活路を見出だすために、人間ってなんとかしているものではないでしょうか。
…少なくとも、今の私は結構毎日必死です^^;

自分自身の変化を受容する。
今の私は、昨日の私とは違います。
今の私は、明日の私とも違うでしょう。

さてさて、明日の風はどちらに吹くでしょう。。。

変化。。。

2009-03-12 06:19:35 | ○徒然日記
いよいよ明後日は大学の卒業式です。
天気予報ではピンポイントで雲と傘のマークが出ていましたが・・・
そういえば入学式もあんまり天気がよくなかったかなぁ。。。
当日は袴を着ます☆
おそらく人生最初で最後の経験となるのではないかと思うので、今から楽しみです^^


「なんか変わったよね~」
こう言われると、思わず「え?!そうか?!」と、戸惑うとともに、内心少しムッとしてしまうことがあります。
それはきっと自分の中で「変わった」ということが「悪いほうへの変化」と捉えてしまうからだと思います。
「変化」の方向は何も一方向ではないにもかかわらず。。。

ひとは、年月の流れの中で多様に変化していきます。
逆に言えば、流れる水のように、ずっと同じでいることはないのではないでしょうか。
変化すること、そしてそれを受けとめることが、その人の可能性であるとも思っています。

その時に良しとされていた自分が、いつまでたっても良しとされるとは限りません。
もちろん忘れてはいけないもの、変わらず持ち続けていたいものはありますが、自分が置かれた状況や立場によって変わっていかなければいけないこともあります。

現状打破には勇気が必要です。
変化には恐れも伴います。

この4年間、自分の在り方について考え行動することを自分に課してきたつもりです。
そのなかで、良かれと思った行動が裏目に出たり、思うようにいかないのもまた常ですが・・・
考えて生きるということは、そう簡単にはいかないものだと思いますし、簡単にいかないからこそ意味があるのだと思っています。
そんなこんなで、結果、考えすぎて自爆するのがオチな私です。。。
もっと、つよくならなければ。


カウントダウン。。。

2009-03-05 23:52:58 | ○徒然日記
久々更新です。
いよいよ3月も5日を過ぎました。
卒業式まで、気づけばあと10日も無いようです。
もうすぐ卒業するということ、浜松に来てもう丸4年が経とうとしていること・・・
色々なことに対して、まだあまり実感が湧いてきません。

肝心の卒論ですが、一応形にしたものを担当教官に渡したところ、ふた月寝ずの日々の私に追い討ちをかけるが如く「赤入れてまた連絡するわ^^」の一言で会話が終了・・・しかもそれから1週間あまり、音沙汰も無く^^;
本日、資格関係の諸手続きで久々に登校し、運良く鉢合わせた先生。
恐る恐る、「・・・アレはどうなりましたか・・・」と問うたところ、「冒頭部分、もう少しボリューム出していこう」・・・思わず引きつる笑顔、そして絶句。。。
どうやら、卒業式の日に製本したものを渡して下さるつもりだったようで、それを以って「完了」ということにしたいらしいです><。
しかし、なんというか、これでは達成感もあまり感じられないままであります・・・
積もりに積もった疲労感と消耗しきった心身は空虚感すら感じたまま、まさかの放置プレー。。。これにはさすがの私も参ってしまいました。どこまでも放任主義というか、なんというか、それでいて憎めないなんて・・・先生、かなり小悪魔です。40代のおっちゃんですが・・・おっと、失礼^^;

そんなこんなで、卒業までのカウントダウンまでもが慌しく始まりました。