いよいよ3月も最後の日。
今年の桜は早いですね・・・毎年その開花時期を心待ちにしている私ですが、今年の桜の開花はより一層感慨深いものがあります。
浜松で桜を眺めるのも、もうこれで5回目となります・・・
3月14日、無事に大学を卒業しました。
卒論の追い込みの時期には心身ともに荒れ狂っておりまして、このブログでも散々醜態をさらしてしまいました・・・お恥ずかしい限りです。。。
その卒論も、「空手教室に通う子どもたちのコラージュ作品からみた精神性に関する研究 ―幼児期から学童期を中心として―」という立派なタイトルのもと、原稿用紙換算で160頁越えの大作(?)になりました。
大学卒業に際し、まず心に浮かぶのは、親・家族への感謝です。
大学入学以前には、競走馬の調教・育成を学ぶため単身渡豪し、1年間その道のトレーニングを受けるなど、特に両親には心配をかけっぱなしだったと改めて反省しています。
これからも私が私として生きていくなかで、状況や立場等、様々な変化があるでしょうが、私が両親にとっての娘であることに変わりはありません。その都度迷惑も心配もかけてしまうと思いますが、それでも、私が出来ること、精一杯に生きることで恩返ししていけたらと思っています。
大学では心と身体の各々について専門的に学び、それぞれのつながりを学び、人間というものを総合的に知るきっかけとなりました。沢山の講義や実習を通じ、知識や情報を自分の中に取り入れる過程で、理論だけでは語りつくせない人間というものの在り方を改めて実感しました。
知識が無ければ対応できないことも多く(解剖学や生理学、スポーツ障害論やバイオメカニクスなど、ひたすら覚えることが多くテスト前は半ベソかきながら徹夜していました…)、半端な気持ちでは出来ません。しかし、学びとは知識そのものを持つこと、得ることが目的ではなく、的確に使えて初めてその効力を発揮します。私の場合は、まだまだこれからです。
ちなみに私は、「心身マネジメント学科」という新設学部の1期生でした。
学科のコンセプトとしては、今まで心理・身体と分けて学ばれがちであったことへ疑問を投じ、そこに社会・経済の学びを合わせ、総合的な面で指導者を育成する、というものです。
しかし、心と身体、一概に同じ枠組みの中に混ぜるわけにもいきませんし、指導する側にも互いにどこか相容れない部分もあり、今まで分けられてきた理由を垣間見た気もします。
何も授業から得るものだけが学びではなく、自分の置かれた環境から自分自身が何を得ようとするのかが重要だと感じた4年間の学生生活でした。
空手との関わりにも大きな変化がありました。大学入学と同時に始めた少年部指導です。
はじめの1年間は先輩指導員の補佐として、毎日各教室の稽古に参加していました。
この1年間は、まずは自分の目で見て感じて、土台作りの大切な年だったと思います。言うなれば、白紙に地図を描き出したといったところでしょうか。
2年次の4月からは自分の教室を立ち上げることになり、浜松市の地図を広げ、交通の便や学校の数、当時活動していた他の教室との距離などを踏まえ、実際に候補地の数々に足を運び施設とも交渉を繰り返し、自分自身で決めました。そして開設第1号教室が積志教室です。
不安と期待と緊張でいっぱいの開設初日には、3名の子どもが集まってくれ、何をするにもどこか頼りない私に、一層の決意と覚悟を与えてくれました。
その後、夏には長時間検討の末、高台を開設、浜体教室や白脇教室の引継ぎなどを経て、現在に至ります。会場の閉鎖に伴い移転や新たな活動場所の検討を余儀なくされるなど、時には危機的状況にも見舞われてきました。。。しかし、自分自身が教室の責任者である以上、そういったことへもひとつひとつ目を背けず立ち向かっていかなければなりません。立ち向かうといっても「対立」だけがすべてではないこと、「対話」が必要だということも学んできました。
「少年部の指導」とはいえ、関わるのは子どもたち本人だけではありません。
そこには子どもたちの保護者の方や、使わせていただいている施設の方・・・実に多くの方の存在があります。また、教室を自分で運営していく以上、空手の指導ばかりでなく、会場の確保や金銭の管理など、子どもたちとの関わりだけでは完結しません。もちろんこういうことを自分だけが行っているということではありませんが、教室運営における「関わり」を通じての学びもまた、私の人生に必要なものだったのだと思っています。
また、私はまだ出産経験がないので、「我が子」がいません。だからと言って子供の指導が出来ないか、成長を見守るのは親だけの役割かといえば、そうではないと思います。
親はもちろん、身内、先生、地域の大人たち・・・子どもは色々な立場のひとから、多くを吸収して成長していくものではないでしょうか。また、そんな子どもたちとともに育っていくのも、その大人たちの立場であり、人間性だと思います。
だから私は、「きょういく」とは「教育」ではなく、「共育」でありたいと思っています。
その分、「私」という人間が、その子の人生にほんの少しでも携わること、まして何かを指導するということへの重みをしっかりと認識した上で、子どもたちひとりひとりとしっかりと向かい合う必要があります。
子どもたちも生きていますし、もちろんこちらも生きています。
止まらぬ時の流れの中で、指導の場面、稽古の1回1回も「生けるもの」として捉えています。
その都度、思ったとおりに行くことなどあまりありません。「よし、やった!」と思える稽古など、年に数回ですし、もしかするとそういう風に感じたときこそひとりよがりの自己満足な稽古になっていないか、疑うべきかも知れません。しかし、気持ちは常により良い稽古を目指して、日々奮闘しています。
「苦労は買ってでもしろ」と、昔から、どこかで誰かが言っています。
しかし、そこらへんで簡単に売られている苦労などあるはずもなく、たとえその苦労が売っていたとしても、それを買うことが既に怠慢な証拠・・・そういう人は、まずは苦労を見つける苦労をすべきでしょう。
苦労というものはひとによって捉え方も感じ方もまちまちです。
私の苦労は他のひとからすれば大した苦労ではないかもしれないし、逆もまた然り。
要は自分の価値観だけで誰かの苦労を測るのは実におかしな話だということです。その人にとっての「苦労」が「苦労」なわけです。
しかし、それをそのまま受け入れ難いのが人間という生き物の厄介なところだと思います。
何かを得たとき、良くも悪くも誰しもそこに至る経緯があり、その中には努力も苦労も含まれるでしょう。しかし、人間は誰かの「得たもの」にしか目がいかず、その人がそこまでに通過してきた物事などお構い無しに結果のみを語りたがります。
私自身も、私なりに、文字には書き尽くせぬ経験をし、積み重ねて今があります。
すべてが良いことばかりではありません。時には傷つけてしまうこと、傷ついたこと、覚悟を決めて思い切って前に出るべきときもあれば、じっと耐えるべきときもあります。
それは誰にも言えることです。
自分を知り、他者を知り、そして、それぞれを受け入れ、活かす。
積み重ねてきたことを忘れず前を向いて歩くこと・・・それが、今までの自分自身とそんな自分と関わり繋がってきたものや積みあげてきたものを重んじることに繋がると思います。
私には夢も、課題も、目標も、これから私が私としてやらなければならないこと、やりたいことがまだまだたくさんあります。
そういうものにめぐり会えたこと、本当にありがたいことです。
そしてこんな風に大学生活を振り返ると、長くて短い4年間、私なりに情熱を絶やさず、我ながら必死に生きてきたと思います。
大学1年の誕生日から、不定期ながらこのブログを続けてきました。
学生として、少年部の指導員として、そしてひとりの人間として・・・あくまでも「ソトヅラ」ではあるのでしょうが、それでも私という人間の大学生活4年間の成長の過程が刻々と刻まれていると思います。
そして本日、この文章にて、このブログを卒業したいと思います。
インターネットというものの功罪についてはあちらこちらで語られていますが、それも付き合い方ひとつですね・・・こんなに拙い文章ですが、空手に関係される方、そうではない方、インターネットというものを利用してたくさんの方に読んで頂きました。
というわけで、「ちびっこ」の章は、これにて【完】です。
これまでも、これからも、私の活動を支えてくださる方々がいること、いつも忘れず、自身を鍛えることを怠らず、邁進していきたいと思います。
4年間、本当にありがとうございました!
私の「新章」に向かって、また一歩、自分の足で歩き始めます。
過去の文章についてはしばらく残しておきます。
私も何かに行き詰ったとき、初心を思い起こすためにもたま覗いてみるつもりです。
最後の最後まで、長文にお付き合いいただきましてありがとうございました。
今年の桜は早いですね・・・毎年その開花時期を心待ちにしている私ですが、今年の桜の開花はより一層感慨深いものがあります。
浜松で桜を眺めるのも、もうこれで5回目となります・・・
3月14日、無事に大学を卒業しました。
卒論の追い込みの時期には心身ともに荒れ狂っておりまして、このブログでも散々醜態をさらしてしまいました・・・お恥ずかしい限りです。。。
その卒論も、「空手教室に通う子どもたちのコラージュ作品からみた精神性に関する研究 ―幼児期から学童期を中心として―」という立派なタイトルのもと、原稿用紙換算で160頁越えの大作(?)になりました。
大学卒業に際し、まず心に浮かぶのは、親・家族への感謝です。
大学入学以前には、競走馬の調教・育成を学ぶため単身渡豪し、1年間その道のトレーニングを受けるなど、特に両親には心配をかけっぱなしだったと改めて反省しています。
これからも私が私として生きていくなかで、状況や立場等、様々な変化があるでしょうが、私が両親にとっての娘であることに変わりはありません。その都度迷惑も心配もかけてしまうと思いますが、それでも、私が出来ること、精一杯に生きることで恩返ししていけたらと思っています。
大学では心と身体の各々について専門的に学び、それぞれのつながりを学び、人間というものを総合的に知るきっかけとなりました。沢山の講義や実習を通じ、知識や情報を自分の中に取り入れる過程で、理論だけでは語りつくせない人間というものの在り方を改めて実感しました。
知識が無ければ対応できないことも多く(解剖学や生理学、スポーツ障害論やバイオメカニクスなど、ひたすら覚えることが多くテスト前は半ベソかきながら徹夜していました…)、半端な気持ちでは出来ません。しかし、学びとは知識そのものを持つこと、得ることが目的ではなく、的確に使えて初めてその効力を発揮します。私の場合は、まだまだこれからです。
ちなみに私は、「心身マネジメント学科」という新設学部の1期生でした。
学科のコンセプトとしては、今まで心理・身体と分けて学ばれがちであったことへ疑問を投じ、そこに社会・経済の学びを合わせ、総合的な面で指導者を育成する、というものです。
しかし、心と身体、一概に同じ枠組みの中に混ぜるわけにもいきませんし、指導する側にも互いにどこか相容れない部分もあり、今まで分けられてきた理由を垣間見た気もします。
何も授業から得るものだけが学びではなく、自分の置かれた環境から自分自身が何を得ようとするのかが重要だと感じた4年間の学生生活でした。
空手との関わりにも大きな変化がありました。大学入学と同時に始めた少年部指導です。
はじめの1年間は先輩指導員の補佐として、毎日各教室の稽古に参加していました。
この1年間は、まずは自分の目で見て感じて、土台作りの大切な年だったと思います。言うなれば、白紙に地図を描き出したといったところでしょうか。
2年次の4月からは自分の教室を立ち上げることになり、浜松市の地図を広げ、交通の便や学校の数、当時活動していた他の教室との距離などを踏まえ、実際に候補地の数々に足を運び施設とも交渉を繰り返し、自分自身で決めました。そして開設第1号教室が積志教室です。
不安と期待と緊張でいっぱいの開設初日には、3名の子どもが集まってくれ、何をするにもどこか頼りない私に、一層の決意と覚悟を与えてくれました。
その後、夏には長時間検討の末、高台を開設、浜体教室や白脇教室の引継ぎなどを経て、現在に至ります。会場の閉鎖に伴い移転や新たな活動場所の検討を余儀なくされるなど、時には危機的状況にも見舞われてきました。。。しかし、自分自身が教室の責任者である以上、そういったことへもひとつひとつ目を背けず立ち向かっていかなければなりません。立ち向かうといっても「対立」だけがすべてではないこと、「対話」が必要だということも学んできました。
「少年部の指導」とはいえ、関わるのは子どもたち本人だけではありません。
そこには子どもたちの保護者の方や、使わせていただいている施設の方・・・実に多くの方の存在があります。また、教室を自分で運営していく以上、空手の指導ばかりでなく、会場の確保や金銭の管理など、子どもたちとの関わりだけでは完結しません。もちろんこういうことを自分だけが行っているということではありませんが、教室運営における「関わり」を通じての学びもまた、私の人生に必要なものだったのだと思っています。
また、私はまだ出産経験がないので、「我が子」がいません。だからと言って子供の指導が出来ないか、成長を見守るのは親だけの役割かといえば、そうではないと思います。
親はもちろん、身内、先生、地域の大人たち・・・子どもは色々な立場のひとから、多くを吸収して成長していくものではないでしょうか。また、そんな子どもたちとともに育っていくのも、その大人たちの立場であり、人間性だと思います。
だから私は、「きょういく」とは「教育」ではなく、「共育」でありたいと思っています。
その分、「私」という人間が、その子の人生にほんの少しでも携わること、まして何かを指導するということへの重みをしっかりと認識した上で、子どもたちひとりひとりとしっかりと向かい合う必要があります。
子どもたちも生きていますし、もちろんこちらも生きています。
止まらぬ時の流れの中で、指導の場面、稽古の1回1回も「生けるもの」として捉えています。
その都度、思ったとおりに行くことなどあまりありません。「よし、やった!」と思える稽古など、年に数回ですし、もしかするとそういう風に感じたときこそひとりよがりの自己満足な稽古になっていないか、疑うべきかも知れません。しかし、気持ちは常により良い稽古を目指して、日々奮闘しています。
「苦労は買ってでもしろ」と、昔から、どこかで誰かが言っています。
しかし、そこらへんで簡単に売られている苦労などあるはずもなく、たとえその苦労が売っていたとしても、それを買うことが既に怠慢な証拠・・・そういう人は、まずは苦労を見つける苦労をすべきでしょう。
苦労というものはひとによって捉え方も感じ方もまちまちです。
私の苦労は他のひとからすれば大した苦労ではないかもしれないし、逆もまた然り。
要は自分の価値観だけで誰かの苦労を測るのは実におかしな話だということです。その人にとっての「苦労」が「苦労」なわけです。
しかし、それをそのまま受け入れ難いのが人間という生き物の厄介なところだと思います。
何かを得たとき、良くも悪くも誰しもそこに至る経緯があり、その中には努力も苦労も含まれるでしょう。しかし、人間は誰かの「得たもの」にしか目がいかず、その人がそこまでに通過してきた物事などお構い無しに結果のみを語りたがります。
私自身も、私なりに、文字には書き尽くせぬ経験をし、積み重ねて今があります。
すべてが良いことばかりではありません。時には傷つけてしまうこと、傷ついたこと、覚悟を決めて思い切って前に出るべきときもあれば、じっと耐えるべきときもあります。
それは誰にも言えることです。
自分を知り、他者を知り、そして、それぞれを受け入れ、活かす。
積み重ねてきたことを忘れず前を向いて歩くこと・・・それが、今までの自分自身とそんな自分と関わり繋がってきたものや積みあげてきたものを重んじることに繋がると思います。
私には夢も、課題も、目標も、これから私が私としてやらなければならないこと、やりたいことがまだまだたくさんあります。
そういうものにめぐり会えたこと、本当にありがたいことです。
そしてこんな風に大学生活を振り返ると、長くて短い4年間、私なりに情熱を絶やさず、我ながら必死に生きてきたと思います。
大学1年の誕生日から、不定期ながらこのブログを続けてきました。
学生として、少年部の指導員として、そしてひとりの人間として・・・あくまでも「ソトヅラ」ではあるのでしょうが、それでも私という人間の大学生活4年間の成長の過程が刻々と刻まれていると思います。
そして本日、この文章にて、このブログを卒業したいと思います。
インターネットというものの功罪についてはあちらこちらで語られていますが、それも付き合い方ひとつですね・・・こんなに拙い文章ですが、空手に関係される方、そうではない方、インターネットというものを利用してたくさんの方に読んで頂きました。
というわけで、「ちびっこ」の章は、これにて【完】です。
これまでも、これからも、私の活動を支えてくださる方々がいること、いつも忘れず、自身を鍛えることを怠らず、邁進していきたいと思います。
4年間、本当にありがとうございました!
私の「新章」に向かって、また一歩、自分の足で歩き始めます。
過去の文章についてはしばらく残しておきます。
私も何かに行き詰ったとき、初心を思い起こすためにもたま覗いてみるつもりです。
最後の最後まで、長文にお付き合いいただきましてありがとうございました。