あの日
見た紫陽花と同じ色の紫陽花
あの日も静かな雨が降っていた
時の流れは残酷で
あの日のあなたとはまるで別人の
変わり果てたあなたが微笑む
年老いて
やせ細った
不自由な体
あなたから消えていく
記憶
言葉
・
・
幼い子どものように
発せられる単語
『老い』という哀しく厳しい現実
ただ
あなたが笑っていることだけが
救いだった
あの日と同じように
雨の中
紫陽花も微笑んでいた
~母との再会・老い~
コロナウイルスの影響で面会できなかった
母と七月四日にようやく面会できました。
母は以前の母とはまるで別人でした。
前に会ったのは四、五年前ですが、
当時は普通に会話ができ、歩くこともできました。
今は驚くほどやせ細り、背中が曲がり
本当に小さくなっていました。
初め見た時、私が母とわからなかったほどです。
あまりの変わりように涙が零れました。
足は腰の圧迫骨折が原因で動かなくなり
歩くこともできす、認知症の症状もひどく
多くのことを忘れてしまっていました。
母は書道の師範で以前は書道教室を開いていたのですが、
字も書けなくなっていました。
もともと母は性格がきつく、大変厳しい人でした。
私が幼いころから母とはいろいろなことがあり
私にとってはつらい経験が多くありました。
私が精神疾患を患うようになり
医師からは私が両親、特に母親と接することで
症状が悪化すると言われ
「関わらない方がいい。縁を切りなさい。」と
言われたこともありました。
私は恐怖心で両親と会えなくなり
気づくと十年以上が経過していました。
ただ、四、五年前の今と同じ季節、梅雨に
あることがきっかけで母と会うことができました。
私は母と会うまでは不安で怖くて仕方なかったのですが、
私の娘も一緒に会うことになっていたので
なんとか会うことができました。
会ってみると、意外にも自分でも驚くほど
何もなかったかのように世間話をすることができました。
それが元気だった母に会った最後です。
それから、時々電話で話すものの、会うことはできず、
再会したのが病院での面会です。
母は認知症の症状が重く、会話もあまりできませんが、
表情は穏やかで笑っていました。
私にはそれが救いに思えました。
また、母の友人のことは忘れてしまっていましたが、
父や私、娘のことも覚えており
ほっとしました。
母が私を忘れてしなわないうちに会えて
本当によかった・・・
そう心から思います。
そして
四年前に元気だった母と一度でも
普通に話せてよかったと思っています。
母は七月の半ばに退院し、
今は特別養護老人施設に入所しています。
認知症の父の世話をしている私が
足が不自由で重い認知症の母も世話することは
無理だということで、ケアマネージャーの勧めで
入所が決まりました。
先週、面会に行きました。
コロナウイルスの影響で面会は今は月二回までで
一回15分という短いものです。
あっという間に15分は過ぎてしまいましたが、
母の笑顔を見れて、よかったです。
今週も面会に行く予定です。
ただ、コロナウイルスの流行で
いつ面会ができなくなるかもしれません。
施設の職員の方も八月は面会できなくなるだろうと
おっしゃっていました。
コロナウイルスが少しでも早く
収束することを祈ります。
皆さま
穏やかな夜を過ごされますように。
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