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最後のシャングリラ稲城亜丁へ行ってきました。

2018-05-29 07:56:29 | 海外旅行
先週、私は、日本人専門ツアーの13人と一緒に、最後のシャングリラ亜丁自然公園へ行ってきました。天気にも恵まれ、みなも大満足でした。
日程は、これです。
5月19日、朝7時半成都ホテルから出発して、成都ー雅安高速道路を利用して、10時半、多営から高速道路を出て、天全県に入り、いまは、雅安ー康定への高速道路は、11人以上のバス制限で、残念でしたが、二郎山風光なども楽しみ。13時頃、二郎山トンネルを通じて、濾定県に入り、高原風光でした。後は、山道により、15時頃、康定市に到着、万年雪山の展望台で休憩でした。16時頃、折多山峠(標高4129メートル)、写真でした。17時頃、新都橋町に着き、突然雨でした。後ろ、ミニやコンガ山(7556メートル)もみました。ホテルに着き、虹でした、、、みなも興奮でした。
5月20日、朝食後、雅江へ、天路十八湾という展望台で写真でした。前進を続け、高原風光など、理塘へ!毛亜大草原の牧場の両側、チベット族の綺麗な家ももみました。後、海子山の登り、伊興ツオ湖へ観光でした。15時半頃、桑堆寺へ訪問、お寺のラマ僧と一緒に写真を撮りました。やっと、17時半頃、稲城のホテルに到着しました。稲城町の標高は、3800メートルで、歩きでも、とても苦しいでした。
5月21日、朝8時出発して、シャングリラ町へ移動しました。110キロだけでしたが、2時間半も要りました。10時半、シャングリラ町に到着、でも、新しい観光中心へ、上の村、7キロもあります。続き、新しい観光中心へ、11時頃、駐車場に着きました。でも、エレベーターから観光バスまで、300メートル程で、重いスーツケースで、大変でした。観光バスにて、素晴らしい雪山ー仙乃日を見ました。青い空、6032メートルの雪山を眺めていて、みなも、激動でしたよ。午後、沖古寺側の真珠海へ行ってきました、雪山の麓、緑の海で、素晴らしい景色でした。
5月22日、朝、日の出のため、5時半頃起き、6時頃、ホテルの展望台で、すこし雨でした。7時頃、ある方は、高山病でした。それで、私は、部屋へ、はっきりと尋ねて、酸素など、ホテルで休憩、お勧めでした。8時半、観光バス来られました。亜丁村から終点まで、4キロぐらいで、それから、電気車にて、洛容牧場へ。電気車は、森の中を通り抜けていて、30分間後、牧場でした!素晴らしい雪山ー央枚勇神山!それから遊覧道により、牛乃海へハイキング、6.7キロの登りました、大変でした。ある日本人も五色海に着きました。五色海の標高は、4700メートル!
5月23日、今日、午前、ホテルの展望台で雪山を眺め、10時半頃、観光バスにて、下りでした。12時頃、シャングリラ町である山東餃子館で美味しい餃子を食べました。15時半、稲城のホテルに着きました。私もお土産を買いました。
5月24日、今日、稲城から理塘へ、国道318により、ある展望台4618メートルで写真を撮りました。それから、下り、展望台により、素晴らしいミニヤコンカ山を眺めていました。16時頃、新都橋のホテルに到着しました。
5月25日、朝7時半出発して、折多山の越え、壮観な雲海に会い、みなも万歳!後、下り、10時半頃、康定の玉嶺雪山展望台へ、よく写真でした。二郎山トンネルを通じて、下りの時、前の車は、交通事故でした、ちょっと、交通渋滞でした。14時半頃、雅安に到着しました。17時頃成都に到着しました。今度、大移動は、合計1800キロ以上で、ご苦労様でした。
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青城山

2018-05-29 07:39:29 | 海外旅行
青城山は四川省都江堰市の西南部に位置し、古くは「丈人山」と呼ばれ、主峰は上空に天高くそびえ、海抜は1260メートルです。山全体の木々が四季を通して青さを保ち、諸峰を囲む城郭のようなので、青城山と呼ばれています。何千段もの階段があり、くねくねした小道は、奥深い静かな所まで通じています。高い木々に囲まれた幽玄な雰囲気が特色で、古くから「青城天下幽」という美誉を持ちます。剣門の険、峨眉の秀、夔门の雄と同じレベルに立っています。景勝地の面積は200平方メートルで、古人の記述によると、青城山には「三十六峰」、「八大洞」、「七十二小洞」、「一百八景」があると言われています。青城山

青城山は前山と後山に分けられます。前山は青城山景勝地の主体の部分で、約15平方キロメートルあり、景色が美しく、文物と遺跡がたくさんあります。主な景観は建福宮、天然図画、天師洞、朝陽洞、祖師殿、上清宮などです。後山の総面積は100平方キロメートルで、水が澄み、奥深い林、山は雄壮で険しく、真直ぐ空高くそびえ、よじ登る事は不可能です。主な景観は金壁天倉、聖母洞、山泉霧潭、白雲群洞、天橋奇景などです。

青城山は木々が青々と茂り、深緑の森林と峰、川、谷、宮と観(道教の寺院)は、互いに引き立て合っています。寺院と亭閣は自然から材料を取り入れ、装飾は少なく、山林岩泉と一体になり、道教の素朴自然を尊ぶスタイルが現れています。その他、青城山の特色は日の出、雲海、聖灯などの自然奇観です。

青城山は中国の著名な道教名山であり、中国道教の発祥地の一つです。東漢以降、二千年も経過しています。公元143年、「天師」張陵はここに来て、青城山の奥深さと緑深さが気に入り、家屋を作り道教を伝えました。青城山は道教の発祥地になり、道教から「第五洞天」と認定されました。山全体で今まで無傷に保存された数十の道教寺院には、天師洞を中心に、建福宮、上清宮、祖師殿、圆明宮、老君阁、玉清宮、朝陽洞などがあります。

唐末期、有名な道士--杜光庭が青城山に来た後、天師道の伝統と上清道は結合されました。杜光庭は晩年、青城山に30年間定住し、著書をして説を立て、道教の発展に大きな影響をもたらしました。

明代、青城山の道教流派は、全真道竜門派に属しました。全真道は「養身習静」という修行方法を創立します。当時、道士は山に定住して、宮観の保護、山林の栽培をさらに重視してきました。明朝末年、戦乱が頻繁に起き、道士達は避難して各地に散りました。清朝康熙八年まで、武当山全真道竜門派道士--陈清覚は青城山で教務を管理した後、局面はよい方向に向かいました。現在、青城山道教流派は、全真道竜門派丹台碧洞宗に属しています。
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青城山

2018-05-29 07:39:29 | 海外旅行
青城山は四川省都江堰市の西南部に位置し、古くは「丈人山」と呼ばれ、主峰は上空に天高くそびえ、海抜は1260メートルです。山全体の木々が四季を通して青さを保ち、諸峰を囲む城郭のようなので、青城山と呼ばれています。何千段もの階段があり、くねくねした小道は、奥深い静かな所まで通じています。高い木々に囲まれた幽玄な雰囲気が特色で、古くから「青城天下幽」という美誉を持ちます。剣門の険、峨眉の秀、夔门の雄と同じレベルに立っています。景勝地の面積は200平方メートルで、古人の記述によると、青城山には「三十六峰」、「八大洞」、「七十二小洞」、「一百八景」があると言われています。青城山

青城山は前山と後山に分けられます。前山は青城山景勝地の主体の部分で、約15平方キロメートルあり、景色が美しく、文物と遺跡がたくさんあります。主な景観は建福宮、天然図画、天師洞、朝陽洞、祖師殿、上清宮などです。後山の総面積は100平方キロメートルで、水が澄み、奥深い林、山は雄壮で険しく、真直ぐ空高くそびえ、よじ登る事は不可能です。主な景観は金壁天倉、聖母洞、山泉霧潭、白雲群洞、天橋奇景などです。

青城山は木々が青々と茂り、深緑の森林と峰、川、谷、宮と観(道教の寺院)は、互いに引き立て合っています。寺院と亭閣は自然から材料を取り入れ、装飾は少なく、山林岩泉と一体になり、道教の素朴自然を尊ぶスタイルが現れています。その他、青城山の特色は日の出、雲海、聖灯などの自然奇観です。

青城山は中国の著名な道教名山であり、中国道教の発祥地の一つです。東漢以降、二千年も経過しています。公元143年、「天師」張陵はここに来て、青城山の奥深さと緑深さが気に入り、家屋を作り道教を伝えました。青城山は道教の発祥地になり、道教から「第五洞天」と認定されました。山全体で今まで無傷に保存された数十の道教寺院には、天師洞を中心に、建福宮、上清宮、祖師殿、圆明宮、老君阁、玉清宮、朝陽洞などがあります。

唐末期、有名な道士--杜光庭が青城山に来た後、天師道の伝統と上清道は結合されました。杜光庭は晩年、青城山に30年間定住し、著書をして説を立て、道教の発展に大きな影響をもたらしました。

明代、青城山の道教流派は、全真道竜門派に属しました。全真道は「養身習静」という修行方法を創立します。当時、道士は山に定住して、宮観の保護、山林の栽培をさらに重視してきました。明朝末年、戦乱が頻繁に起き、道士達は避難して各地に散りました。清朝康熙八年まで、武当山全真道竜門派道士--陈清覚は青城山で教務を管理した後、局面はよい方向に向かいました。現在、青城山道教流派は、全真道竜門派丹台碧洞宗に属しています。
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杜甫草堂

2018-05-29 07:24:24 | 海外旅行
杜甫草堂は唐代の詩人-杜甫が成都に住んでいた時の住居です。759年から約4年間、杜甫は安禄山の乱を逃れるために成都に移り住み、絵のように美しい街の郊外にある浣花溪のほとりにあばらやを建てて質素な生活を送りました。彼の全作品1400首のうち、代表作を含む247首がここで生まれました。唐末期には杜甫を称えるためにあばらやの跡地に草堂が建てられましたが明代になり再建されて今日に至っています。

1811年、杜甫草堂の規模とレイアウトが決められ、記念となる祠と詩人の旧居が一体となった博物館のようになっています。古めかしく素朴な雰囲気に溢れ、幽玄の美として名声を博しています。

杜甫草堂は清の嘉慶皇帝の時代に建て直された際の設計をそのままに、総面積は300ムー(1ムー=6.6アール)あります。庭園は非常に独特で、いわゆる「混合式」という中国の古典庭園様式です。博物館はそれぞれ文物観光スポット(草堂の旧跡)、庭園(梅園)、サービスゾーン(草堂寺)に分けられています。草堂旧跡内には照壁、正門、大廨、詩史堂、柴門、工部祠が一直線上に配されており、回廊は左右対称で、その両側にはその他付属建築物があります。間を水が流れ、小さな橋が連なり、竹林が茂り、荘厳かつ古風質素、静かで静寂な雰囲気を醸し出しています。

杜甫草堂の中にある記念となる祠の中心的な建築は詩史堂です。真ん中には彫刻家の劉開渠によって彫られた杜甫像が置かれ、堂内には歴代の有名人が書かれた絵馬が陳列されています。工部祠内には杜甫の肖像画が祀られています。祠の東側には「少陵草堂」という石碑を保護するためのあずまやがあり、それは杜甫の暮らしていたあばらやを象徴しています。

成都杜甫草堂の博物館には貴重な資料が3万冊以上、文物も2000件以上保存されています。宋、元、明、清の時代に杜甫の詩を彫刻したもの、影印本、写本及び近代の様々な印刷物、そして15種の言語の翻訳本があります。朝鮮、日本に伝わった120余りの漢語版も保存しています。ここは杜甫の生涯にわたり作られた詩がたくさん最もよく保存されている所といえるでしょう。成都杜甫草堂は詩聖によって世界的にも有名です。
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